雇用改革の視点by大内伸哉先生

さて山籠もりしている間に日経新聞の経済教室で「雇用改革の視点」という2回企画が掲載されておりました。6月5日付朝刊では、神戸大学大内伸哉先生が登場して「経済変化踏まえ見直しを」と訴えておられます。
まず、現状の議論の混乱、かみあわなさについて述べられています。

 政府の成長戦略をめぐり、雇用制度改革が話題だ。…政府が説明に成功しているとは思えない。労働組合が改革に必死に反対するのも無理はない。
 しかし、焦点である解雇規制改革や労働時間改革の提案は、決して労働者保護を目的とする労働法の本質を変えようとするものではない。…
 議論されている解雇規制改革は、世間で誤解されているような解雇の自由化を目指すものではない。不当な解雇が許されないのは当然だ。ただ不当解雇をした企業への制裁として現行法のように解雇を無効としても、実情は労働者が金銭を受け取って退職していることが多い。制裁内容を実情に合わせて補償金の支払いに変えよというのが、金銭解決制度の導入論の骨子だ。
平成26年6月5日付日本経済新聞朝刊「経済教室」から、以下同じ
http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20140605&ng=DGKDZO72259600U4A600C1KE8000

ここまではまったくそのとおりという内容で、金銭解決の議論とは別に、解雇の自由化を声高に主張する一群の論者というのがいて、その声が非常に大きいので「手切れ金で首切り自在にするつもりではないか」との疑心暗鬼を生んでいるわけです。まあ、解雇不当時の補償・制裁金なのか、手切れ金なのかというのは、理屈上は異なるにしてもカネに色がついているわけでもなく、小規模零細企業を中心に手切れ金すらない、あるいはあっても涙金程度の解雇が広く行われている実情の中で金銭解決の導入がこうした労働者の救済としても期待されていることを考えると、それほど現実的な意味のある議論でもないかもしれません。いずれにしても、重要なのは保護の必要性に応じた・見合った解決金の金額を設定することだという話は過去なんどか書いたと思います。
さて、ここからは正社員と非正社員の雇用保障と近年のその変化について述べられます。

…正社員の雇用保障が、非正社員のチャンスを奪っている…非正社員から出発した者が、その後、正社員に移行できる機会は限定的だ。ここから、能力がある非正社員と能力がない正社員という非効率と不公平な状況が生じうる。
 だからといって、無期転換ルールのような法律による強制介入が成功するとは思えない。正社員という働き方があるのは、企業が雇用保障の下で社員を育成し、生産性を高めることが期待される中核的人材を確保したいからだ。
 ところが、正社員は数としてはすでに過剰なので、法律が介入しても、名前だけの正社員(拘束性が小さいが、雇用保障が劣る限定正社員など)が増えるか、正社員化の強制を何とか回避しようとする企業の対応(5年に到達する前の雇い止めなど)を誘発するだけだろう。

無期転換ルールのような法律の介入は成功しないという結論はそのとおりと思うのですが、これは少し混乱を招く議論と思われます。まず「能力がある非正社員と能力がない正社員という非効率と不公平な状況が生じうる」と書かれていますが、そのあとにすぐ「正社員という働き方があるのは、企業が雇用保障の下で社員を育成し、生産性を高める」と書かれているとおり、基本的には正社員は能力を高める機会が豊富で、結果として能力が高いことが多いのに対し、非正社員はその機会が乏しく、結果として能力が伸長しにくいというのが問題視されているわけです。もちろん現実は多様であり、勤続15年で売場主任クラスになっている非正社員と入社1年めの正社員を較べればそういう状況もあるでしょうが、しかし無期転換ルールというのはそこを意図したものではないでしょう。
そのあとに「正社員は数としてはすでに過剰」というのもそのとおりなのですがもう少し踏み込んでほしかったところで、実態としては多くの企業では能力が高い正社員がすでに過剰というところが核心ではないかと思います。これも毎度の話ですが要するにポートフォリオであり、企業にとっては能力も高ければ雇用保障をふくむ処遇も高いという従業員が一定数必要でしょうし、そこそこの能力でそこそこの処遇という従業員もやはり一定数必要でしょう。だから、さらに続けて書かれているように、無期転換しろといわれてもそこのバランスは崩せないので、無期転換はしますが仕事も処遇も変わらずに職種限定で仕事がなくなったらやめてもらいますという話になるわけです。
このあたりが明確でないため、以下の議論は少々問題含みになっていきます。

 解雇規制改革の主な狙いは非効率で不公平な状況を解消すべく、限られた雇用のパイのなかで能力ある非正社員と過剰となった正社員の入れ替えを可能とする前提を整えることにある。前提には、企業から放逐された労働者に対する新たな職場をみつけるための支援や、それまでの生活保障といった雇用流動化政策の強化も含む。

うーん、こういう展開は困るなあ。まず、これが大内先生がその前に言われたような「能力がある非正社員と能力がない正社員」の入れ替えだとすれば(「非効率で不公平な状況を解消すべく」と書かれているのでそうなのだろうと思うのですが)上記ポートフォリオのバランスが崩れるわけですよ?
ちょっとわかりにくいかもしれないので単純化していえば、ある企業に能力1級の年収500万円の正社員が10人、能力2級の年収400万円の正社員が5人いるとしましょう。それに対して、必要人員は能力1級と能力2級がそれぞれ7人とします。単純にヘッドカウントでも1人余剰ですし、能力的には能力1級の人の能力が過剰になって遊ばせてしまっている状態です。
ここで「能力がある非正社員と能力がない正社員」の入れ替えを行うと、能力2級年収400万円の正社員を(大内先生の言葉を借りれば)放逐して能力1級の非正社員を年収500万円の正社員として雇うわけですから、能力の余剰はますます拡大してしまいます。能力2級を2人放逐して非正社員を1人雇うなら現状よりは状況が改善する可能性はありますが、そんなことをするくらいなら企業は能力2級を1人放逐するにとどめるでしょう。
仮にこれが「能力も過剰になっている正社員と、いまは能力がないけれど潜在能力のある非正社員の入れ替え」だとすると、上記設例では能力1級正社員を3人放逐して能力2級非正社員を正社員として2人雇用することで、員数・能力ともに正社員の過剰を解消することが可能になります。ただ、それを「企業から放逐された労働者に対する新たな職場をみつけるための支援や、それまでの生活保障といった雇用流動化政策の強化も含む」「前提を整える」ことで実行しようという話になってしまうと、それって解雇の自由化となにが違うのよということになるわけで、これはちょっと困るなあ。なお余談ながらこの場合でも企業はポートフォリオを維持する必要はあり、したがって潜在能力のある非正社員が正社員になっても潜在能力が発揮される可能性はかなり制約される(職種限定で仕事がなくなれば退職する限定正社員となる)だろうことには注意が必要かと思います。

 雇用流動化政策の強化は、IT(情報技術)化の進展により産業界が必要とする業種や職種が大きく変わり、労働力もより成長性のある業種や職種への移動が必要となる時代に備える意味もある。
 求められる技能が大きく変わるなかで、特定の企業での雇用継続がどうしても困難となることもあろう。こうした場合の労働者の移動をいかに円滑に進めるかが重要な課題なのだ。解雇をできるだけ制限するという雇用維持型政策で思考停止していては、新たな事態の対処が後手に回る。

これも解雇自由化論者の主張と似ていて、さすがにこれは警戒されるだろうと思います。ここまで来ると「解雇不当の際に制裁金でもある解決金の支払で解決」という話からはかなりかけはなれていますし、作戦としても少々まずいのではないかという気がします。これは大内先生ご自身もどこかで指摘されていたと記憶(記憶違いでしたら申し訳ありません)しますが、「求められる技能が大きく変わるなかで、特定の企業での雇用継続がどうしても困難となる」ケースでは現状でも正当に(解決金の問題など発生せずに)解雇可能ではないかと思います。また、今はそうではなくても「労働力もより成長性のある業種や職種への移動が必要となる時代に備える」ことは必要と思いますが、それは本当にそうなれば労働者の自発的な意思で相当程度実現するでしょう。金銭解決断固反対論者のように「解雇をできるだけ制限するという雇用維持型政策で思考停止」するのはまずかろうと私も思いますが、行き過ぎも作戦的にはどうかと思うところです。
さて次が非常に重要な指摘で、

 金銭解決制度は解雇規制が厳格な他国でもみられ、企業に甘いものではない。それでも、こうした改革をすれば、日本の労働市場の硬直性は緩和した印象を与え、外国人投資家にとって日本の魅力を高める。これも解雇規制改革の重要な狙いの一つだ。

解雇の金銭解決がどうして成長戦力になるのか、などと言っている人たちがかなりいるわけですが、要するに対内直接投資の促進ですよ、ということですね。産業競争力会議八田達夫先生とかが特区での解雇規制の緩和を主張されたときも同様で、外資系企業(とベンチャー)が商売をやりやすいようにという発想ではなかったかと思います(ちなみにそのときの厚労省の反応がまさに「解雇をできるだけ制限するという雇用維持型政策で思考停止」だったことは以前書きましたhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20130924#p1)。
まあイメージ的な要素がかなり大きいのでどこまで効くかはやってみないとわかりませんが、成長戦略としてあげられている他の施策と較べてみれば、まあこれだって成長戦略だよなとは思います。
さて続いて話は労働時間規制に移ります。

 労働時間改革にも批判が強いが、誤解も多い。…割増賃金は、時間外労働をさせた企業への制裁であると同時に、長時間労働に従事した労働者への報償でもある。…時や業務に拘束されて仕事をする労働者には、健康確保のため、時間比例の割増賃金により長時間労働を抑制することが必要だ。同時に、規制に違反する「不払い時間外労働」をきちんと摘発していくことも必要だ。
 一方、今後の日本経済にとって重要なのは、付加価値を高める創造的な働き方だ。そこで求められるのは時間に縛られない働き方であり、その労働に対する処遇は優れた成果へのインセンティブ(誘因)となるものでなければならない。そこでは長時間労働への制裁は余計だし、時間比例の報償は不要だ。
 ところが現行法では、インセンティブ型の処遇を入れようとしても、裁量労働制の適用対象者や管理監督者に該当しない限り、時間比例の報償という要素が必ず入ってくる。現在の労働時間改革論は、こうしたインセンティブ型で働く労働者に適合的な、賃金と労働時間を切り離す制度を作ろうとする試みだ。
 労働者の健康確保もむろん大切だ。しかしインセンティブ型の働き方にふさわしいのは、本人の希望をできるだけ反映できるような休息確保のシステムであり(年次有給休暇、週休、勤務間の休息など)、労働時間の長さを規制することではない。

「処遇は優れた成果へのインセンティブ(誘因)となるものでなければならない」とまで言い切られると高く稀少な(余剰になりにくい)能力獲得へのインセンティブも重要なのではないかと申し上げたくなるわけですが、まあそれも優れた成果へのプロセスだと考えればいいのでしょう。また、こうした働き方をしたい人にとっては勤務間の休息規制などは百害あって一利なしの余計なお世話以外のなにものでもなかろうという話もこれまで何度か書きました。
それを除けばたいへん核心をついた議論であり、なにが核心かというと「時間に縛られない働き方」です。こうした労働者が時間に縛られない働き方をしたいと考えたときに、現行法制は企業の経営管理とあいまってそうした労働者にとって事実上の上限規制になってしまっているところが問題になるわけです。

 歴史的にも労働時間規制は、雇用社会のニーズに合わせて弾力化を進めてきた。今回の改革もその延長線上にある。改革に異論が出るのは、新たな制度の導入の是非でなく、その適用対象労働者の範囲をめぐるものだ。
 対象者の基準が不明確で不当な拡大の危険がある現行の管理監督者制の反省にかんがみ、法令で対象者の指針を設定し、それに則して現場の労使協定で具体的な適用対象者の範囲を決める方式が望ましい。新たな制度は労働時間や賃金という労働契約の根幹的内容にかかわるものなので、対象労働者の同意も必要であることは言うまでもない。

これもまったくそのとおりだろうと思います。産業競争力会議で提案されたBタイプ(年収1千万円以上)について、「年収1,000万円なら管理監督者になるので、制度をつくっても意味がない」という趣旨の意見が多々ありますが、はたして年収1,000万円のスタッフ管理職が労基法上の管理監督者に該当するのかどうかといえば、疑わしい実態は相当にあるのではないでしょうか。そうしたグレーゾーンをなくしていく上でこの制度はきわめて有意義であり、実際、2007年当時のホワイトカラー・エグゼンプションでも同様の議論がされていました。
もちろん、それこそ「管理監督者制の反省にかんがみ」濫用防止のしくみは決定的に重要であり、当初は相当程度限定的にスタートすることも必要でしょう。
最後はより大きな雇用改革の必要性を訴えて終わっています。

 少子高齢化による労働力人口の減少とIT化の進展…グローバル化は…高度経済成長期に確立した日本の雇用社会のルールを揺るがしていくことは必至だ。採用方法、人材育成のあり方、賃金制度、労働時間制度、人事権、雇用保障をめぐる従来のルールは大きな見直しが必要となる。
 …移行期の混乱は不可避だし、…セーフティーネットも不可欠だ。…重要なのは、長期的な観点からの安全網だ。政府は個々の労働者が産業構造の変化のなかでもプロとしての専門的技能を発揮していけるような「転職力」を身につけるためのサポートシステムを緊急に整備していく必要がある。
 派遣や有期雇用も企業に都合の良い働かせ方にすぎないと捉えるのではなく、職業人生の初期段階で経験を蓄積して技能を磨き、よりよいポストをつかむためのステッピングストーンと位置づけることもまた、必要だ。
 解雇規制改革や労働時間改革は、大きな雇用改革のためのほんの序曲にすぎない。

一般論としてはそうなのでしょうが、大切なのは具体的な方法論と程度問題でしょう。たしかに現状維持や保護強化に汲々とするだけでは時代の変化に取り残されるわけですが、いっぽうで雇用改革は多数の自然人たる労働者に大きな影響を与えるものですから、一部の論者の方(大内先生がそうだというわけではありません)がイライラされるのもわからないではないですが、しかしなにより政労使三者による手続きを通じた漸進的な取り組みが望まれると思います。