水町勇一郎『労働法』第6版

社研の水町勇一郎先生から、『労働法』第6版をご恵投いただきました。ありがとうございます。

労働法 第6版

労働法 第6版

学びやすいテキストとして定評ある本書も第6版となりましたが、現状なんといっても注目されるのはやはり同一労働同一賃金に関する論点でしょう。第3章2「正規・非正規労働者間の処遇格差に関する学説・裁判例の展開」では、救済肯定説と否定説の両方を紹介し、裁判例も立場が定まっていないと評価した上で(私には学説はともかく裁判例では否定説が主流のように思われますが)、さらに「正規・非正規労働者間の処遇格差の公序違反性(私見)」というコラムで自説を展開しておられます。

  • (4月4日追記)当初このコラムが第6版から記載されたと書きましたが、第5版にすでに記載がありました。第5版と思って第4版を参照していたという初歩的なミスでした。お詫びして訂正いたします。

 正規・非正規労働者角の処遇格差については、パートタイム労働者、有期契約労働者、派遣労働者、業務委託労働者など非正規労働者全体を視野に入れ、かつ、賃金のみならずその処遇(労働条件)全体を対象としながら、非正規労働者に対する合理的理由のない不利益取扱いを違法とする法原則を構築する方向で格差問題の前進的解決を図っていくべきである。この原則の運用にあたっては、(1)個々の給付の目的・性質ごとに「合理的理由」の有無を判断すること、(2)その判断において、労使間で正規労働者と非正規労働者の間の利益を調整するための誠実な話合い・取組みが行われたかを考慮する解釈をとることがポイントとなる。有期契約労働者について期間の定めがあることによる不合理な労働条件の相違を禁止した2012(平成24)年の労働契約法改正(労契法20条)は、この方向に向けて政策的に一歩前進したものと位置づけられよう。
水町勇一郎(2016)『労働法第6版』p.317)

例によって機種依存文字(○付数字)は変更しました。この書きぶりをみると水町先生は「合理的理由のない不利益取扱い」と「不合理な労働条件の相違」を区別しておられないように思えますが、必ずしもそうではなく、「合理的な理由があるかどうかは判然としないが、しかし不合理とまではいえない」というグレーゾーンがありうるのではないかということは以前もご紹介しました。
さてそれはそれとして、やはりこの考え方を使って「格差問題の漸進的解決」を図ろうというのは筋が悪いと申し上げざるを得ません。そもそも企業実務としては雇用形態が異なる以上は「違うものは違う」としかいえないわけです。それでもまあ、労働時間が短い以外にはなんら一切異ならないのであれば「差別的取扱いをしてはならない」すなわち「違うものは違うけれど、そこだけが違うのだったら同じにしよう」というのが社会的正義だ、ということでパート法改正が行われたわけですね。そして同様の議論が有期契約労働者についてもあったわけですが、こちらは短時間労働者と同じところまでは踏み込んでいません。つまり、有期契約の場合は短時間に較べると「違うものは違う」の程度が大きいという現実があるわけで、だから短時間ほどには踏み込めなかった。これが派遣労働となると、おそらくはさらに「違い」の程度が大きいものと思われ、それでもなお先般の法改正時には何らかの対処が必要だという話になったわけです。ですから、水町先生は「政策的に一歩前進した」と楽観的に評価しておられるわけですが(そしてたしかに一歩前進ではあるでしょうが)、しかしこの先残された分野はかなり進むのが難しい分野であり、とりわけ業務請負労働についてまで「合理的理由のない不利益取り扱いを違法」と言われると、実際のルール作りや運用はどうやったらいいものか見当もつかず、相当の混乱は免れないでしょう。
次に「(1)個々の給付の目的・性質ごとに「合理的理由」の有無を判断」については、よく議論に上る通勤手当や従業員食堂の利用や慶弔手当・慶弔休暇などを想定するとまあそうかなと思わされてしまうわけですが十分な注意が必要で、ひとつはここでも繰り返し書いているように労働条件というのはパッケージなので個別の労働条件を単体で取り出して議論することには慎重でなければならないという一般論があり、そしてもう一つは賞与をどうするのかという個別の大問題があります。わが国では幅広い労働者、まあだいたい正社員であれば相当額の業績配分的な賞与が支払われています。これはわが国の正社員は欧米のウェイジワーカーと違ってそれぞれに企業業績に責任を持つと考えられている、石田光男先生の言葉を借りればPDCAサイクルに組み込まれているからですが、非正規労働者については多くは企業や組織の経営目標に主体的にかかわることまでは期待されておらず、実態としても職務限定の職務給であることが多いことから、業績配分的な賞与は支払われず、まああっても金一封程度の支給にとどまっているわけです。これを単体で個別に取り出し、非正規労働者に業績への貢献がないことを合理的に明らかにせよ、という話になるとこれはかなりの混乱をもたらすことが想定されます。最悪の場合、正社員であっても一部の幹部を除けば企業業績には関与しないという形で組織や役割を再整理して、大半の労働者には賞与は支給されないという方向に舵を切らざるを得なくなることも考えられます。もちろんこれは大陸欧州ではむしろ普通の考え方であって、労働者階級に生まれた子どもはまた一生を労働者階級で過ごし、その子どももまた同様、という階級社会になるわけですが、それを本当に日本国民が望んでいるのかという話です。フランスがご専門の水町先生には抵抗がないのだろうとは思いますが…。
(2)については、集団的プロセスに非正規労働者(の代表)を加えていくという考え方には賛同するものです。また、わが国での実態を考えれば基本的には企業内での調整であって企業・業種横断的な調整までは求めないことも現実的だろうと思います。ただ、非正規労働者についてはやはり正社員に較べると労働市場の需給関係が大きく影響するわけで、企業内労使関係にまず期待されるのは市場価格が下がったときに既就労の非正規労働者の賃金が下がらない・市場価格が上がったときには既就労の非正規労働者に反映させるようにする、といった役割ではないかとは思います。これも相当に利害の調整をともなうわけですから。
ということで、繰り返しになりますが非正規労働者の処遇の改善のために「合理的理由のない不利益取扱いを違法とする」というアプローチを活用するのはどうにも筋が悪いように思われます。もちろん考え方として間違っていると云いたいわけではありませんが、(理屈はともかく)非正規の処遇を改善したいというのが現時点での要請であるなら、もっと低コストで効果的な方法があるのではないかと思うわけです。