「同一労働同一賃金」と期間比例原則

そりゃまあ推進法もできたわけですしなにかしなければという話はわからないのではないのですがどうなのか。とりあえず事実関係としてまず今国会における安倍首相の施政方針演説ですが、該当部分を抜き出してみますとこうなっています。

非正規雇用の皆さんの均衡待遇の確保に取り組みます。短時間労働者への被用者保険の適用を拡大します。正社員化や処遇改善を進める事業者へのキャリアアップ助成金を拡充します。契約社員でも、原則一年以上働いていれば、育児休業や介護休業を取得できるようにします。更に、本年取りまとめる「ニッポン一億総活躍プラン」では、同一労働同一賃金の実現に踏み込む考えであります。
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement2/20160122siseihousin.html

しますしますと言っているのはすでに労使で話がついて法案も出るという内容なのでそれはそれでいいとしたものでしょう。それに対して最後におまけのようにくっついた同一労働同一賃金については、これから取りまとめられる「ニッポン一億総活躍プラン」でその実現に「踏み込む考え」ということでこれからの話ではあり、具体的な内容は含まれていません。
これについては2月5日の衆院予算委員会で議論があったとの報道がありました。

 安倍晋三首相は5日の衆院予算委員会で、非正規労働者の待遇を改善する「同一労働同一賃金」の実現に向けて法改正を検討する考えを示した。「制度改正が必要な事項は労働政策審議会で議論をすることになる」と述べた。同一労働同一賃金は、政府が5月にまとめる「ニッポン一億総活躍プラン」の柱の一つとなる。
平成28年2月6日付日本経済新聞朝刊から)

まだ国会会議録検索システムに掲載されていないので正確なところはわからないのですが、労政審で議論する、というのはきわめて常識的な考え方ではあるとは思います。ただ一方で「ニッポン一億総活躍プラン」について加藤担当相は「この春ころ」に取りまとめると発言していてそれほど先の長い話でもないわけで、その程度の期間でどれほどの議論ができるのかという感もあります。賃金をどう決めるかというのは労使にとって最大級の大問題であって、企業・労組によって考え方の違いも大きいわけなので、2か月か3か月の議論で簡単にまとまるものでもなく、まあ「プラン」にそれらしい一言でも入れることでまあ「踏み込んだ」、という話で終わるのかな…などと思っていたところ、週末の日経新聞にこんな記事が掲載されていました。

 政府は非正規雇用の待遇を改善するため、仕事の習熟度や技能といった「熟練度」を賃金に反映させるよう法改正する。正社員と同じ仕事なら同じ賃金水準にする「同一労働同一賃金」の実現に向け、経験豊かで生産性の高い派遣社員らの賃金を上がりやすくする。約2000万人に上る非正規の賃金底上げにつなげる。
 5月にまとめる「ニッポン一億総活躍プラン」に盛り込む。関連法はパートタイム労働法や労働契約法の改正と、派遣社員の待遇に関する新法で構成する見込み。厚生労働相の諮問機関の労働政策審議会で詳細を詰め、早ければ秋の臨時国会に提出する。
 現行法では、企業が非正規と正社員との間に賃金格差を設ける場合、派遣労働者は特に定めがなく、パートタイムや有期雇用は「業務の内容」「責任の程度」「配置の変更の範囲」などを考慮するとしている。しかし、いずれも習熟度や技能、勤続年数といった非正規の「熟練度」を賃金に反映するしくみはない。
…法改正では、経営者が賃金を定める際、熟練度の考慮を義務づける規定をそれぞれの法律に設ける。欧州は理由があいまいな賃金の差を禁止し、差を設けた企業に訴訟などで格差の立証責任を課している。日本も「熟練度」を明記することで、なぜ非正規が正規よりも賃金が低いのか企業に事実上の説明責任を課す。
 非正規による賃金格差訴訟はこれまで「法律に『熟練度』の規定がないため、能力などを訴えても勝訴例は非常に少ない」(政府関係者)のが実情。法整備で企業側に対抗する根拠ができる。
 ただ賃金体系で熟練度をどのように定義付けするかは労使交渉や判例の蓄積によるため、法改正しても、すぐに非正規の賃金改善につながるとは限らない。経営状況が厳しければ、非正規の賃上げの原資を確保するために、正社員の賃金や待遇を引き下げざるを得なくなる可能性もある。
平成28年2月7日付日本経済新聞朝刊)

「政府関係者」ということなのでおそらくは官僚、それも課長クラスか企画官クラスの可能性が高いかな?(局長なら「政府高官」になると思う)という感じで、そのあたりに取材して書いた記事なのでしょう。もっとも「政府関係者」の発言として特定できるのは「法律に『熟練度』の規定がないため、能力などを訴えても勝訴例は非常に少ない」だけなので、あとはこの発言から記者が推測した内容なのかもしれません。
それはそれとして内容的には期間比例原則のようなものを法定しましょうという趣旨だと思われ、これ自体はすでにEUの有期労働指令に定められているなどそれほど目新しいものではありません。欧州では有期に限らず、期間の定めのない職務給の雇用であっても最初の数年は少しずつ昇給するという例が広く見られるようです。
そしてこれは別にわが国でも珍しいものではなく、たとえばウェブ上で比較的詳細に待遇が示されているダイハツ工業(池田工場)の有期雇用労働者(いわゆる期間従業員)の賃金は本日現在で以下のように記載されていて、毎年上がるようになっています。

初めてのご就業は、日給8,800円。その後、12か月・24か月と日給が増えていきます。未経験者はもちろん!ダイハツ経験者も歓迎!!以前のお勤め期間をプラスさせていただきます。
\9,000/ 満12か月以上
\9,500/満24か月以上
\10,000/ 満36か月以上
https://daihatsu-kikan.jp/jobfind-pc/job/All/3

日給8,800円ということはまあベースで月18万円くらい、これに時間外手当(割増率の記載はありませんが1日所定8時間・法定の25%であれば1,375円/時間)をはじめ諸手当(皆勤手当35,000円は記載あり、他にも交代制勤務にともなう手当などが支給されると思われる)を加えればまあ20万円台の半ばには達すると思われ、それなりに正社員との均衡は実現されているのではないでしょうか。ちなみに同社の高卒初任給は164,500円であり、ただ正社員には賞与があるので単純には比較できません(期間従業員についてもお盆や年末年始に若干額の手当が支給された例はあるようなのですが、今現在その時期ではないのでウェブ上では不明です。まあ正社員の賞与のような高額にはならないでしょうが…)。

  • (3月2日追記)すみません計算間違ってました。修正しました。なお所定労働時間もウェブ上をみると7時間50分とか7時間35分とか複数あるようですのでアバウトに8時間で計算しています。割増率も不明なのでまあ最低の数字ということでご容赦ください。

また退職金(満期慰労金)についても勤続が長いほど高額になっています。

長くシッカリご就業いただいた方には、満期慰労金をご用意。
頑張っていただいた分はキッチリお返しします。ご安心下さい。
<満期慰労金 一例>
\60,000/就労日数80〜99日
\250,000/就労日数160〜179日
\500,000/就労日数240〜299日
\1,060,000/就労日数540〜559日
\1,460,000/就労日数720日
https://daihatsu-kikan.jp/jobfind-pc/job/All/3

就労日数なので720日となると3年相当くらいでしょうか。もちろん日給にしても退職金にしても『熟練度』に応じてというほかに長期勤続奨励の意味合いは大きいでしょう(まあこれは正社員でも同じだ)し、退職金を期間ではなく就労日数に応じた設計にしているのは精勤奨励という意味もあるのだろうと思います。
問題はその先で、この例でも4年めまでは昇給するわけですがそれ以降は同一額ということなのだろうと思います(労働市場の状況に応じた変更は行われるだろうと思いますが)。そのくらいになると「同一労働」と一口に言っても表面的に簡単に判別できるわけではなく、多能工化や「ふだんと違った作業」のノウハウといったものが重要になってきて、それらを身につけるとなるとやはり期間従業員のままでは難しいのではないかというのは容易に想定されるところでしょう。実際、そうした段階では期間従業員が正社員に登用されている例というのも多いのではないかと思います(もちろん全部ではないでしょうし比較すれば少数だろうとも思いますが)。
まあもちろん世間には半年契約で7回更新して4年間働いてますが一度も昇給したことありませんという有期契約労働者も多数いるわけで(近年最賃がかなり上がっているので多数派ではないような気はしますが)、そういう人たちの賃金を上げるには期間比例原則のようなものを法定するのも悪くはないだろうと思います。まあ少しでいいから上げなさいという話であれば抵抗する経営者というのもあまりいなかろうと思いますし、それに見合うだけの仕事をやってもらおうという動機づけになれば能力向上の観点からも有益でしょう。
ここで重要なのはとにかく欲張らないということだろうと思います。記事をみても『熟練度』なるものに配慮することを義務付けるということなので、配慮されている=少額でも昇給していればそれで足りる、という建付けになるのだろうと思いますしまずはそれが妥当だろうとも思います。ただ、それだと当然ながら処遇向上の効果も限られてくるわけで、非正規の賃金を上げたいというニーズに対してはやや力不足に思われるかもしれません。実際、正社員のいわゆる定昇は平均2%と言われており、それにベアも最近は復活しています。さらに、一般的に能力がまだ高くない若い時期は能力も上がりやすく昇給率も高いことも考え合わせれば、高めの数字を作って義務付けるということも不可能ではありません。
しかしこれは諸刃の剣ではあり、過度に高い昇給を求めるとそれを嫌っての雇止めを誘発しやすいことには十分な注意が必要だろうと思います。あるいは過度に長期にわたって昇給を求めることも、やはりどこかの段階での雇止めを誘発するでしょう。このあたりのバランスはなかなかに微妙であり、産業・企業によってもおおいに異なるのではないかと思われます。あまり欲張ることなく、入社後5年間は『熟練度』なるものに配慮してなんらかの昇給等を行うこと、くらいにとどめて、あとは個別労使の努力を促すことが望ましいのではないかと思います。
さて有期は以上として次はパートですが、パートについても大手流通を中心にかなりの程度期間比例的なものは導入が進んでいると言っていいのではないかと思います。たとえば業界の代表として著名なイオンの例では、パート社員にも人事評価が導入されていてそれが時給に反映され、さらに昇格試験に合格すると資格昇格してそれも時給に反映される制度になっているようです(http://part-arbeit.aeonretail.jp/casaiyo/institution.htm)。ただこちらはある程度から先はまず勤務時間が問題となるようで、一定資格以上になるにはフルタイム勤務をする必要があり、そうなると月給制になってさらに資格昇格=昇給の道が開け、さらに一定以上に上るには転居転勤のある総合職正社員に転換しなければならない、という制度のようです(http://www.aeonretail.jp/saiyo/community/institution.html)。
もちろんこれまた世間でいちばんよくできた例のひとつであって、もう10年パートやってるんだけどこのあいだ時給が上がったのっていつだったかしらという人も多数いるのが現実だろうと思いますし、そうした人たちの底上げをはかるには期間比例もいいのだろうとも思います。
ただ、イオンの例をみても、スーパーのパートというのは自動車メーカーの有期雇用と較べて非常に多様であり、人により勤務時間も日数も大きく異なることから『熟練度』なるもののありようも相当に異なっているということになりそうです。だから個別の評価が必要になるのであり、一律的に有額の期間比例原則を義務化することはそれを妨げることになるでしょう。せっかく個別に評価して昇給を決めているのに、最低でも毎年2%昇給するのでなければ『熟練度』なるものに配慮しているとは認められない、などと言われるのは多分に理不尽であり、なおも強要されるのであればそれを織り込んで当初の賃金水準を低く設定するよりないということになってしまいます(しかも最低賃金の規制にかかる可能性もある)。
派遣についてはたしかに現在は業法しかないのでやるとしたら新法ということになるのでしょう。ここで悩ましいのは派遣先が変わったときに『熟練度』なるものをリセットするのか、という問題で、派遣先の職場や仕事に習熟したことを評価して時給を上げるのであれば派遣先が変われば元に戻るというのが正論でしょうし、派遣社員としての汎用的専門性の向上を評価するのであれば継続すべきということになるでしょう。なかなか容易ならざる話で、期間比例で賃金が上がったのはいいけれど若干高くなりすぎて次の派遣先が見つかりにくいという話になってしまっては本末転倒のような気もするわけです。まあそれも含めて派遣元はしっかり派遣先を探せという話になるのかもしれませんが。
ということで期間比例原則は労使が自主的に取り組むのであれば大いに結構ですし、そうした労使の取り組みを阻害しない実害のない範囲でやるのであれば法定するのも悪くはない(別にいいとも思わないが)というのが私の意見です。具体的には、法改正は労働条件決定にあたっての考慮項目に『熟練度』なるものを追加するにとどめ、あとは通達などで賃金が上がっていなくてもその理由を説明できれば足りる(特に最低賃金で就労している場合は習熟してなお昇給の余地がないことも考えられる)、金額は問わず賃金が上がっていれば『熟練度』が考慮されたと考える、くらいを明らかにするという感じでしょうか。
とはいえ、確かに期間比例原則を義務化すれば一応は非正規の処遇は改善する方向でしょうし正社員との格差も縮小する方向だとも思いますが、しかし「同一労働同一賃金だ!」と景気よくアドバルーンを上げたわりにはたいしたことねえなという印象を持つ人も多いのではないかと思います。ただまあそれには致し方ない部分が多分にあり、最初にも書きましたが(そして過去もさんざん書いてきましたが)「同一労働同一賃金」というのは記事が「正社員と同じ仕事なら同じ賃金水準にする「同一労働同一賃金」」などとさらっと書くような簡単なものではまったくなく、真剣に議論を始めたら(すでにかなりの蓄積はありますがそれでもなお)大変な手間と時間がかかるテーマであり、まあJILPTが予備的な事実調べをやり、それをふまえて研究者の研究会が半年から1年かけて報告書をつくり、さらにそれをもとに(踏まえるかどうかも含めて)公労使でまあやはり半年か1年はかけて議論するような、まあ2年やそこらは簡単にかかってしまうようなシロモノであるわけです。そんなものを選挙もあるし世間受けするタマを早いことあれこれ用意しなければいけないということでこらこらこら、春までにまとめるプランに織り込めと言われたら、労働官僚としてもまあそれなりに目新しくて実害のないものとしては期間比例原則くらいしかないんだよという話なのかもしれません。だとすれば取材を受けられたのが課長さんか企画官さんかわかりませんがまあ大変だなあというか、その尽力は多とすべきなのかもしれません。