「就活かえって長く」6割

今朝の日経新聞から。

 就職活動の新たなスケジュールが今季から導入されたことで「学生の就活期間が長くなった」と考える大学が59%に上ることが25日、文部科学省の調査で分かった。授業や卒論に支障が出ると懸念する声も多かった。学生が勉強に専念できるよう、日程が従来よりも3〜4カ月繰り下げられたが、大学側が逆の印象を持っていることが浮き彫りになった。(関連記事を社会面に)
 調査は5月、全国の国公私立の大学・短大から抽出した82校を対象に実施し、2016年春に卒業する学生の就活の状況を聞いた。「就活期間が短くなった」と答えた大学は17%にとどまった。「あまり変化はない」は21%。
…学事日程への影響は50%が「前年度より支障が増えそう」とした。授業への出席状況が悪化したり卒論の指導に支障が出たりすることを懸念する大学が目立った。「影響が小さくなる」との回答はわずか4%だった。
 新スケジュールでは、企業が説明会などを始める時期が大学3年生の12月から3月、面接などの選考開始が4年生の4月から8月に繰り下げられた。だが、経団連に非加盟のIT企業や外資系はもっと早くから採用を進めるところが多い。
立命館大の松原修キャリアセンター次長は「例年なら5月下旬に内定をもらい、卒業研究に打ち込めていた。就活が長引いて身が入らないようでは、本末転倒だ」と話している
平成27年6月27日付日本経済新聞朝刊から)

なるほど、昨年までなら5月に決まる学生はその後に学業などに取り組めていたところ、今年からは8月〜10月まで待たされる分長期化するという話ですね。まあ大日本貿易会が学生の留学期間を確保するために就活開始を遅らせろというのが発端の話ですから、留学しない学生はその間が長期化につながるというのはハナから見当のつく話だったのかもしれません。
もちろん、普通に考えれば8月以降に総合商社をはじめとして経団連の憲章を遵守するような人気企業の採用が始まるわけで、その前に内定を出したところで優秀な学生は後からそれら企業に取られてしまうのだから抜け駆けして早く採用活動をしてもムダだという話になるはずですが、そうはならないというのが記事にある(関連記事を社会面に)になるわけですね。どういう記事かというと昨今問題視されているこの話です。

 文部科学省が25日に発表した就職活動に関する調査で、企業が内々定や内定を出す条件として学生に就活を終えるよう強要するハラスメントについて、2015年春に卒業した学生から相談を受けた大学・短大は全体の45%に上ったことがわかった。過剰な強要行為は「オワハラ(就活終われハラスメント)」とも呼ばれている。…
 具体的には「『今後就職活動を行わない』との文言が書かれた誓約書にサインを求められた」「親の承諾書の提出を求められた」などの相談が寄せられたという。
…今年は採用選考の開始時期が遅くなったが、10月の内定時期は変わらない。同省担当者は「短期間で優秀な人材を確保しようと採用担当者もプレッシャーを感じ、学生へのハラスメントにつながっている」と話している。
平成27年6月27日付日本経済新聞朝刊から)

就活の場面ではいかに誓約書だの承諾書だの言っても職業選択の自由に優越するとはおよそ思えないわけで悪あがきの域を出ないわけですが、採用担当者も自身の評価やサラリーマン/サラリーウーマン人生にかかわるとなれば必死というところなのでしょうか。しかしあれだな、内定者が三菱商事三井物産に逃げたからと言って採用担当者の責任だという話になる企業というのもあるのかなあ。それで商事や物産の内定を蹴らせましたというなら採用担当者の殊勲甲でしょうが…。
いずれにしてもオワハラのような行為はアンフェアなだけではなくマッチングの効率も低下させるわけで、過去繰り返し書いていますがこの手の話はフェアに競争すればより魅力的な企業とより魅力的な学生からマッチングしていくのが合理的なわけです。さらにいえば、学生の側は簡単には内定を取り消されないという規制があるわけなので抜け駆けをするインセンティブは大いにあり、つまりより優秀な学生が動き出す前に先回りして内定を獲得してしまえばそれを奪われる心配はないわけです。逆に言えば抜け駆けする企業はそういう学生をつかまされるリスクも高いということになるはずですが、それは(とりわけ今季のような売り手市場の場合には)それでかまわないという割り切りなのかもしれません。
まあなんにしてもオワハラをやるということは自社がそれだけ魅力に劣るということを自認するに等しいとも考えられるわけなので、それがウェブなどで喧伝されればかえって人気を損ねて採用に支障をきたすのではないかとも思われます。なにしろ今季からの話なので、何年か続くうちには抜け駆けしても得はないぞという話になって大勢は8月から一斉スタートということになっていくかもしれません。楽観的すぎるかなあ。