長時間労働をやめれば

さてきのうの続きでむむむな話のその2です。ハフィントンポストの衆院選特集で、株式会社ワーク・ライフバランスの小室淑恵社長が争点として長時間労働を取り上げておられます。「長時間労働をやめれば、日本は変わる」というのですが…。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/12/komuro-yoshie-election2014_n_6313526.html
まあこの方はそれがご商売なのでセールストークをされるのは当然だろうと思いますが、長時間労働をやめれば財政再建社会保障問題も消費不振もすべて解決しますと言われてしまうと役人のむだづかいをやめさせればこれらすべての財源が捻出できるとか言っていたいつぞやのどこかの政党のマニフェストを思い出すかなあ。いやもちろんそれなりの裏付けがあって言っておられるのだと思いますが、労働時間短縮にともなう生産性向上が相当に高く見積もられているのではないかと想像します(まったくの想像です)。まあ民主党(あ、書いてしまった)のマニフェストにも一応裏付けの数字はあったわけだしな。
それはそれとして記事にもある健康被害につながるような長時間労働は生産性云々以前の問題ですし、長時間労働の減少や労働時間の短縮はそれ自身は基本的に(まあ不況や経営不振で仕事が減るのは困るわけですが)たいへん望ましいことであり、労使で大いに取り組んでほしいと思いますが、長時間労働がすべて悪であるとしているところに無理があるように思います。
これは過去も何度か書いた話ですが、小室氏は「長時間労働で…私生活で勉強して斬新な発想のためのインプットをしたり技術力を高めたりする機会がない」と主張されるわけです。しかし他人から見れば、「私生活で勉強」だって仕事の一部みたいなものでしょう(少なくともその時間は育児などにあてることはできないわけで)。いっぽうで会社勤めの技術者が仕事が終わった後に居残って会社の設備を使って仕事とは関係ない興味本意の実験をやっているなんてことはザラにある(そこから生まれたイノベーションも少なくない)わけで、それと「私生活で勉強」と何が違うかといえばまあ社会人大学院に行けば社会人教育を消費していることにはなるというくらいの違いしかないでしょう。
「今までは、持てる時間をすべて仕事に投入できる人だけが昇進する社会でしたが、…すべての人が生産性高く、時間内に仕事を終えるモデルに転換していくことが大切です。」というのもむむむという話で、一定以上の昇進をめざす人であればどこの国でも(「私生活で勉強」なども含めて)相当に長時間労働だというのが現実ではないかと思います。もちろん例外はあり、例外を認めないのは問題だと思いますが、しかし「すべての人が生産性高く、時間内に仕事を終える」というのも例外を認めない発想ですよね?あと、女性管理職登用についてはこう書かれているのですが、むむむむむ…。

…今の労働時間のまま、女性の管理職登用が進められれば、すべてを犠牲にできる(もしくはアウトソーシングできる)スーパーウーマンだけが抜擢されることになります。育児や介護している女性は、時間の制約があるので、そのコースには乗れません。能力による登用ならいいですが、実際には、労働時間を投入できるかどうかという環境の違いが大きいのです。
 もし女性が、労働時間を確保するために、家事や育児を全部アウトソーシングしたとして、それで本当に充実感を得られるか、後輩たちがそうなりたいと思えるかというと、そうではないと思います。

性中立的にスーパーパーソンということばを使いたいと思いますが、「すべてを犠牲に、あるいはアウトソーシングして」管理職に登用されていく人のことをスーパーパーソンとはふつう言わないように思います。残業も休出もほとんどせず、しかし誰もが「あの人は有能だ」と認めるような仕事をしている人は、やはり能力によって登用されますし、その人を私たちは敬意をもって「スーパーパーソン」と呼ぶわけです(当然少数ですが、だからスーパーなわけです)。もちろんスーパーでない普通の人では労働時間を多く投入できる人のほうが有利であることは間違いないわけですが、ワークライフバランスとキャリアには一定のトレードオフがあることは否定しても仕方がなく、その上でそれぞれの人が自分なりのバランスを考え実現するよりないのでしょう。それがけしからんから普通の人もスーパーパーソンと同じ時間しか働いてはいけない、それが公平だ、というのは、まあそういう考え方もあるかもしれませんが…。ただまあ世の男性にはキャリアを重視する人が多すぎるのではないか、その長時間労働は是正されるべきではないか、という指摘はそのとおりで、そうした価値観が強すぎるせいで事実上ワークライフバランスを選択しにくいという問題点もたしかにありそうです。このあたりは難問でまた別途の議論です。
「もし女性が、労働時間を確保するために、家事や育児を全部アウトソーシングしたとして、それで本当に充実感を得られるか、後輩たちがそうなりたいと思えるかというと、そうではないと思います。」というのも、いや配偶者が専業主婦の男性はいま現在もそうですよ?その中にはそれで充実感を得ている人もいるでしょうし、そうなりたいと思っている後輩もいるでしょう。女性だって、発言小町とか見ると「専業主夫がほしい」という女性の声はいくつも見つかります。女性は、あるいは男性も含めて、家事や育児を内製しなければ本当の充実感は得られないのだというのであれば、それもずいぶん狭量な価値観だと思います。
もちろん男女を問わずワークライフバランスが実現しやすい働き方を拡大していくことは大切であり、少子高齢化が進む中ではますます必要だろうと思いますが、全員が同じ働き方をしなければならないという世の中は、まあ息が詰まるというか、居心地の悪い世界ではないかとも思います。このくらい強烈なことを言わないと商売にならないんですという話であれば、まあそうなのかなと思いますが…。