毎年充実した内容で開催されている慶応大学の鶴光太郎先生先生の企画になるRIETI政策シンポジウムが今年もさる2日に開催されましたので聴講してまいりました。すでに9回めになるということで、今回のテーマは「正社員改革と多様な働き方実現を目指して」となっています。会場はほぼ満席の盛況でまずはご同慶です。
https://rieti.smktg.jp/public/seminar/view/24
いまのところ開催案内しかアップされていないようですが、いずれ当日資料→開催報告と公表されていくものと思われます。
ということで遅くなりましたが内容のご紹介と感想など書いていきたいと思いますが、まず第1部では「正社員改革」と題した報告が3本あり、まずは企画者の鶴先生が総論報告に立たれました。内容的には鶴先生が座長を務められた規制改革会議の雇用分野の取り組みの紹介で、具体的には限定正社員と雇用終了、すなわち不当解雇の金銭解決の2点を中心に規制改革会議での議論が紹介されました。
続いて同WGメンバーで早大の島田陽一先生が労働時間法制、具体的には規制改革会議で議論された新しい労働時間制度について報告され、さらに同じくメンバーで東大の水町勇一郎先生が失業なき労働移動に向けた政策、具体的には労働移動支援助成金の拡充と不当解雇の金銭解決について報告されました。
いろいろと興味深い内容もあったのですが第2部のパネルディスカッションとも関連する点が多いのでそちらで主に取り上げさせていただくとして、後から出てこないポイントについていくつか書きますと、まず規制改革会議が提唱した労働時間制度の三位一体改革については、繰り返しになりますが上限規制も否定するものではなく、実態に応じて適切に行われることが重要だろうと思います。「欧州では週48時間」とか言う人がいると使用者側がドン引きし、いっぽうで時間外労働が月80時間100時間という人がいると労働者側から「過労死認定基準ガー」と言い出す人が出てくるという図式がこれまで繰り返されてきたように思うのですが、なんとかうまく着地できないものかと思います。
ということで、これはエグゼンプションの範囲も基本的には同じことだろうと思うわけですが、結局のところ法律や政省令でこまごまと定めようとしてもなかなかうまく行かないわけで、まあ大まかかつ緩やかな上限は制度的に決めるとしても、あとは島田先生もご指摘のとおり現場の実情を周知した労使による集団的プロセスが重要だろうと思います。そこで現状の労使協定でいいかというとさすがにそれでは心配であり、島田先生は労使委員会方式を念頭に置かれていたようですがそれでも心配だという人もいるでしょう。私はまずは経団連が提案していたように過半数労組のある企業で労働協約によるという方法がいいのではないかと思います(個人的にはショップ制の協約を用件にしてもいいと思っているくらい)。というか労使委員会方式もしっかりした労組がある企業でなければ十分には機能しないのではないかと思料。まあ必ずしも労組でなくてもきちんと機能しているなら幹部も含む社員会でもいいという話はあるかもしれませんが。
もうひとつ、不当解雇の金銭解決については今後の課題として「法律で目安(最低基準)を定め、各企業・事業場の労使協定によって実態にあった解決金の水準を定める」とされているのですが、これはどうなのか。そもそも上記と同様に労使協定ではあぶなっかしくてしょうがないという話があり、では過半数労組との協約ならいいかというと、さて解決金の最低基準を協定しようという労組がどれほどあるものか。さらに問題なのはこの方式だと使用者による活用ができなくなることで、つまり何かのはずみで人間関係がうまくいかなくなって職場の雰囲気をいたたまれないものにしている労働者というのもまあ稀にはいるわけであり、従業員10人とかの小規模企業ではそれが死活問題だったりすることもないわけではないわけで、使用者の申し立てで金銭解決可能となると、そういう場合には労使が結託して法律ギリギリの低額な最低基準を設けて当該労働者を解雇するのが労使双方にとって最善の対処という事態は十分に考えられるわけです。でまあこれは少数者の利益を考えると問題であるには違いなく、したがっていつまでも使用者からの申し立てはまかりならぬという話になってしまうでしょう。要するに前々から書いているように解雇事案は個別に事情が大きく異なるため、事前に一般論的に決めようという話ではうまくいくとは思えず、労使ではなく裁判所が個別事情を勘案して決めるのがいいのではないかと思うわけです。労使協定方式を提案する一方で「安易な解雇の拡大防止の観点から」とか言われてもなあと。
さて続く第2部は「多様な働き方を実現するために働き方改革」をテーマとしたパネルディスカッションで、慶大の樋口美雄先生、東大の白波瀬佐和子先生、元日経新聞の中野円佳氏、経産省産政局産業人材政策担当参事官の小林浩史氏と島田先生がパネリスト、鶴先生がモデレータを務められました。
はじめに各パネリストによるキーノートスピーチがあり、まず樋口先生は人口減少社会においては多様な労働力の活用を進めるべくライフステージにおけるさまざまな制約に対応すべく働き方を柔軟に変更できることが必要であり、それを可能にするためには納得性・公平性・透明性ある横断的な評価が必要だと指摘されました。
次いで白波瀬先生は万人が働き方の選択肢を選択できるとは限らず、そこに存在する格差が固定化することのないよう、選択による移動の機会を確保することが必要だと指摘された上で、現在の日本では正規と非正規の間の障壁を解除して相互に連携することが重要であり、正社員改革がその突破口となることへの期待を表明されました。
続いて中野氏がご著書『育休世代のジレンマ』をもとに、女性総合職が出産・育休を契機に時間的「過剰な配慮」によって結果的にキャリア上有意義な仕事を得られなくなり、それが退職や意欲の減退につながっていること、さらに女性総合職が上方婚している場合にはそれが夫婦間の所得格差を拡大し、ますます女性の意欲・キャリアを阻害するという悪循環が存在することなどを紹介されました。
最後に経産省の小林氏は経産省の政策の紹介ということで、ダイバーシティ100選に選ばれた好事例、霞ヶ関が取り組む夏の生活スタイル変革「ゆう活」、そして現状人材ビジネスが未成熟なミドル層の人材仲介ビジネスの育成策などを説明されました。
続けてパネルディスカッションとなり、さまざまな議論が提起され興味深い内容も多々ありれましたが、正直な感想としてはどうも大半が多様な働き手の議論に終始して多様な働き方の議論があまりないという不思議な展開となり、したがって正社員改革の議論はほとんどないままに終わってしまい、率直に申し上げて相当に物足りない感は残りました。要するに第1部と第2部の関連性がなく、私としてはそこを期待していたわけですが、しかし正社員改革はパネルのテーマからも外されているのであえて分断したのかもしれません。
とはいえここはやはり切っても切れないのではないとも思うところで、なぜなら正社員改革にしても多様な働き方にしても、その共通の背景として(主として規模の大きい企業にみられる)無限定社員の長期雇用と内部育成・内部昇進を中心とした人事管理の課題があると思われるからです。
もちろんこれ自身は依然として相当程度有効に機能しているわけですが、いっぽうで企業組織の拡大が停滞する中で景気変動等に応じた人員規模の適正化をはかるためには長期雇用だけでは対応できず、一定割合の雇い止め可能な非正規労働を必要とするようになったことが非正規労働比率の上昇につながりました。
また、長期雇用慣行下においては、いわゆる大卒ホワイトカラー正社員については全員が幹部候補生とされ、これに対する動機づけとしては、足元の賃金などに比べて中長期的な昇進といったキャリアがはるかに重視されてきました。ところが、これまた企業組織の拡大が停滞する中では、従来のように動機づけの目標である昇進先ポストや、それにつながる有益な仕事・ポジションが不足するようになってきました。下世話な表現になりますが、社員としてみればそれなりにたくさんのニンジン(ポスト、ポジション)があると言われて、まあ20代後半から30代くらいまでは貢献度を下回るといわれる賃金水準で働きながら、しかしいずれニンジンを獲得することで埋め合せることができるだろうと思って働いてきたところ、実はそんなにたくさんニンジンはありませんという話になったきたわけです。でまあ仕方ないのでポスト昇進というニンジンは配分できないけれど社内資格は昇格させることでとりあえす賃金の埋め合せだけは確保しようという対応になり、さらに不況や業績不振などに見まわれると、雇用が失われるよりはまだマシだろうということで賃金の埋め合せもできません勘弁してくださいというのが先般の成果主義騒ぎではなかったかと思うわけです。その過程で中高年の賃金のばらつきは大きく拡大したとされていますが、それでもなお(これは鶴先生が第1部で指摘されましたが)諸外国に比べればわが国の40代以降の賃金の伸びがまだみられるのは、候補者数に較べてポスト数が限られていて、その中から現実に昇進する人が選ばれる理由・過程が必ずしも明確でない中では、さらに賃金でも大差をつけると昇格できなかった人のモラルに与える影響が甚大だからだろうと思われるわけです。
すなわち、第1部で鶴先生は今後の課題として「大部分がある段階から賃金が伸びない仕組みへ「途中から限定正社員」」というのをあげられたわけですが、正直大企業の大半ではすでに事実上そうなっているよねえという感は否めなかったわけです。40代前半から半ば過ぎくらいには、自分はこの先さらに役員やゼネラルマネージャーへの昇格が期待できるのか、あるいは頑張れば(そして運がよければ)もう一段階くらい昇進できるかもしれないという程度なのかはかなりの程度判明している例が多いのではないでしょうか。そして残念ながら後者に対する「もう一段階くらいは」という動機づけが、まあ素晴らしくうまくいっているとまでは言えないのが実情ではないかと思われ、その結果が「実現するかどうかわからない昇進に期待するくらいなら仕事はどうあれ要るだけの残業はつけさせていただきます」という残業代ドロボーだったりするのではないでしょうか。
ただまあ確かにそれは事実上そうなっているに過ぎず、制度化することが必要だというのであればそれはそのとおりかもしれません。つまり、こうした問題に対しても非正規雇用の増加で対応するのかと言えばそれが望ましいとはおよそ思えないわけで、もちろん昇進の目がなくなった幹部候補生に対する画期的な動機づけ手法が開発されればそれに越したことはないわけですがそれもあまり期待できそうにないとなると、次善の策としてスローキャリアで幹部候補生でない限定正社員が現実的な解決策になるのではないかというのは私としても大いに考えられると思っているわけです。それにもかかわらず、残念ながらパネルではそういった議論にはまったくならず、私の印象としてはひたすら長時間労働の話を堂々巡りしていたように感じたということで、前に書いたような物足りなさを覚えたのだろうと思います。
そのうえで各パネリストの議論についてコメントさせていただきますと、まず樋口先生のご所論については、なるほどそのとおりだとも思うのですが、しかし限界はあるだろうなとも思いました。というのは、それほど技能レベルが高くない段階であれば、その評価も比較的明らかであり、働き方の違いを超えて納得性・公平性・透明性のある評価もかなりの程度可能だろうと思いますし、パートタイマーが基幹的業務を担っている大手スーパーなどではすでに(人事制度の一本化といった形で)実施されていることでもあります。いっぽうで技能レベルが高くなってくると見る人の見方によって評価が異なってくる部分が大きくなり、また(経済・市場環境の良し悪しや周囲のサポートなど)運不運による部分も拡大してくるので、納得性公平性といっても容易ではなく(まあそこを頑張ってしっかりやれという激励だとは思うのですが)、またキャリアを通じた能力形成の重要性を考えると、正規と同等またはそれ以上の非正規というのも、もちろんあるだろうとは思いますが樋口先生が想定されるほどに出現するかというとそうでもないだろうとも思います(いや樋口先生がどの程度を想定されているのかはわかりませんが)。さらに、マネージャークラスの個別の人事となると、たとえば総務部長が空席になって後任候補として50歳のベテランと40歳の中堅がいる場合に、今現在よりよくその仕事をこなせるのはベテランの方だけれど将来の人材育成を考えて中堅を昇進させようとか、逆にどちらも能力は遜色ないのだけれど40歳では若すぎて内外の抑えが利かないからベテランを起用しようとかいう話は往々にしてあるわけで、まあ納得性についてはそんな説明をして一応調達できるとしても、公平性や透明性を求めるのはまあ無理としたものでしょう。
白波瀬先生のご所論もうなずかされるものではあったのですがやはりややご無理なご注文という感はあり、限定正社員が導入されたところでやはり非正規雇用は残るでしょうし、無限定正社員も相当のプレゼンスで存続するだろうと思います。いっぽうで、それなりに雇用調整の可能性を確保しつつ、期間の定めがなく非正規に較べて雇用が安定し、スローキャリアではあっても一定の能力向上・キャリア形成およびそれを通じた賃金上昇もある限定正社員が普及すれば、現状の非正規労働のかなりの部分はそちらに移行できる可能性があると思いますし、無限定正社員として拘束度の強い働き方ができない人の選択肢としても有望なのではないかと思います。(同じことですが)非正規−限定正社員、限定正社員−無限定正社員の移動も非正規−無限定に較べれば相当に容易なはずなので、格差の縮小や固定化防止にも資するのではないでしょうか。逆にいえばそれ以上の期待も難しかろうと思います。なお一言愚痴を書かせていただきますと、白波瀬先生のご所論は(格差を問題視しその解消をめざす立場からはある意味当然なのかもしれませんが)いまひとつ多様性とは逆行しているように感じられ、たとえばこれは議論の手法としてあえて端的に言われたのだろうとは思うのですが、「男性も女性も、仕事も家庭もでなければならない」と言われてしまうと、まあ正直あまり多様な感じはしないなあと思いました。
中野氏の所論についても同様の印象があり、多様な労働力(といっても女性総合職だけですが)については論じていても多様な働き方については論じられていない、というか逆行している感があります。
まず、たしかにケア責任のある男女が昇進しにくいことは事実でしょうがそれに対する対策が長時間労働の禁止的な是正というのは、まあ画一的とまでは申し上げませんがあまり多様だという感じはしません。そもそも大企業でゼネラルマネージャークラスを目指すような人はどこの国でも長時間労働であって家庭との関係にフリクションを抱えているのが普通であり、それを禁止するのは国際的にも非現実的でしょう。
ここでのわが国における問題点は大卒ホワイトカラーがほぼ全員そうなることでそういう人が多すぎることではないでしょうか。したがって中野氏の指摘する「どこかの段階で上昇意欲を調整(冷却)したり、何かを諦めたりできた人が残る」というのも前述のとおりいずれは大半の男性にも起こる(ゼネラルマネージャーポストが限られている以上当然)わけであり、男女の違いはまあ社会的に男性はそれでも簡単に退職できないのでほとんどの人が退職より意欲の冷却を選択することと、それと裏腹かもしれませんが、女性のほうが(出産・育児という契機があることで)それが早く起こりやすいということでしょう(だから辞めるという選択肢がとりやすい)。
ただそれがすべて悪いかというとそうでもないのではないかと思うところもあり、つまり私としてはマミートラックの問題はそれが女性に固定される点であり、男女がともに自由に選択可能でかつ事実として選択されているマミーアンドダディートラックであれば、それはむしろ働き方の有力な選択肢として評価してよいのではないかと思うし、少なくともその方が多様性が高いと思うからです。
夫婦間の所得格差が職場と家庭の悪循環をもたらすという議論も、これもまあ取材対象がそうだったから中野氏としても致し方のないところだったのでしょうが、しかし夫婦間の所得格差のために女性の昇進が阻まれているのであれば所得の高くない男性と結婚するというのが当たり前の発想ではないかと思います。そしてそれが現実に当たり前に行われていないところにいろいろな問題点を指摘できるのではないでしょうか。もちろん多様性という観点からは夫婦ともエリートを目指して育児などは外注するという考え方もあり、実際祖父母に育児を任せてという例はすでにたくさんあるわけだ。
ということで私としてはやはりスローキャリアの限定正社員の普及・拡大がこれらすべての有力な対策だという結論になります。エリートに長時間労働をさせないことではなく、長時間労働をしないノンエリートの男女、特に男性を増やしていくことが課題なのではないでしょうか。中野氏は戦う敵を間違えているような気がしてなりません。
経産省の小林氏は、まずは同省のダイバーシティ経営企業100選に認定された中から優良事例を紹介されました。どれもたいへん示唆に富む事例なのですが、度々書いているように中小企業の事例についてはそれでうまくいかない人がやめていく結果うまくいっているという事情がかなりの程度あることを想定する必要があり(ここであげられた事例がそうだというわけではない)、ベンチマークする際には注意が必要だと思います。少なくとも「中小にできるのになぜ大企業にできない」式の短絡的な議論は不毛だろうと思います。
いっぽうでこれは案外参考になるなと思ったのがカルビーと重松建設の事例で、あえて端的にいえばトップダウンで強引に女性を登用している事例です。これが重要と思うのは前述の中野氏の話と関係するところで、自分より所得の低い男性と結婚する女性を増やしましょう(それにより昇進できる女性を増やしましょう)というときに、ここは鶏と卵のような関係があって、高所得女性を増やす努力も必要だろうと思うからです。そのとき、失礼ながら樋口先生が言われるような評価や人事制度の話をこねくり回すよりは、ズバリと「わが社は女性登用を進めるために女性を優先的に昇進させます」とトップダウンで決めてしまったほうがいいのではないかと思うわけです。前述の50歳のベテランと40歳の中堅のくだりで書いたように、上位ポストが空いたときに複数の候補者がいるのがむしろ普通であり、前述のような程度の説明で昇進者を決めているのが実情であるとすれば「女性だからこの人を選びます」という説明もできるのではないか。このくらい外形的に明確な説明であれば、選に洩れた人たちも、まあ納得はいかなくてもあきらめはつきやすいようにも思えるわけです。いずれにしたって大半の人はどこかでなんらかの理由を見つけてしぶしぶ現実を受け入れる時が来るわけで、世の男性はこれまでさんざん出産・育児を理由に女性にあきらめさせてきた(それが本当の理由かどうかとは別に、女性の内心の事情として)わけなので、この程度のことは受け入れてもいいのではないかと。まあしかしあれかな、世の中そこらじゅうがそうなったらかなり荒れた感じになるかな。ここでも多様性は必要かもしれません。
あとは霞ヶ関の「ゆう活」、早く登庁して早く退庁するという「夏の生活スタイル変革」の取り組みと、現在未成熟なミドル層を対象とした人材ビジネスの育成策について説明されましたが、これに関する議論の中で樋口先生が「労働移動については、経済学者としてはまずなにより需要があることが必要不可欠であることは指摘したい」とズバッと指摘されたのはまさに我が意を得たりで心強く思いました。つまりは人材移動も大事だろうけどまず経産省は産業政策をしっかりやれということで、RIETIのシンポジウムであることを思えばずいぶん思い切ったことを言われるものだと感服しました。もちろん経産省としてみればこれも鶏と卵のようなものだということだろうと思いますが。
ということで私としては物足りない思いで帰ってきたわけではありますが、しかしこうならざるを得ないのだろうなと思うところもあり、なにかというと私は限定正社員についてたびたびスローキャリアのとか幹部候補生でないかと書いているわけですが、登壇者の皆様にはそれは簡単には言えないことだという前提があるように思われるわけです。だから第1部と第2部とはあえて分断し、樋口先生はあれほど評価の話を強調されるのでしょうし、みなさんひたすら長時間労働を目の敵にされるのではなかろうかと邪推する私。
とはいえ国際的に見てもどの国でもエリートの大半は長時間労働であり、労働時間とキャリアのトレードオフというのは存在するわけなので、それをないと言ってみても始まらないのではないかとは感じました。少なくともここに関しては問題は長時間労働ではなく、エリートレースに参加する人が多すぎるかつ女性が不利すぎる点にあるのではないでしょうか。
とはいえ、スローキャリアの限定正社員、特に男性のそれが広く普及するかどうかは最終的には国民の選択であり、どうせほとんどの人は脱落するんだから最初からほどほどにしておきましょう他にいろいろいいこともあるんだからという人がそれなりの多数になっていくのか、それともいやいや可能性が低いことはわかっているけれどやはり幹部候補生で行けるところまでは行きたいんだぼくはエリートなんだという人が多いままなのか、なかなか悩ましいところではあります。欧州では10代のうちにエリートとノンエリートの仕分けは終わり、20代前半でエリート内もほぼ仕分けられるわけですが、日本人は日本社会をそういう社会にしてもいいと思えるのかどうか、世間の人たちは私ほどには多様性とかあまり好きではないのかなあなどと例によって悲観的になって終わります。