すわ「残業代ゼロ」(3)「働き過ぎ」対策と労働基準監督行政

前々回、前回に続いて産業競争力会議での議論を取り上げます。今回はまた長谷川主査ペーパーに戻りまして、「多様で柔軟性ある労働時間制度」の前提として置かれている「「働き過ぎ」防止の総合対策」について考えてみたいと思います。
さてペーパーを見ると冒頭部分でこんな反省が述べられています。

 過去の労働改革においては、働き過ぎやそれに伴う過労死、なかんずく法令の主旨を尊重しない企業の存在のために、前向きな議論や検討が妨げられてきたケースもある。そのため、働き過ぎ防止や法令の主旨を尊重しない企業の取締りなどを徹底したうえで、経済成長に寄与する優良かつ真面目な個人や企業の活動を過度に抑制することのないような政策とすることが重要である。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/goudou/dai4/siryou2.pdf

たしかに、労働時間法制に限らず、たとえば派遣法などでも似たような話はあって、要するに悪質な企業・業者があるからということで、規制緩和が進まなかったり、まとも・マジメな企業まで規制強化されたりするという実情は、本来おかしいのではないかと私は思います。ただ、さはさりながら、問題のある実態が放置されている中では規制緩和するのは怖いとか、一律に全部規制してしまえといった感情論が出てくるのもわからないではありません。規制や法制度をどうするにしても、問題のある実態は是正することが必要だということは論を待ちません。このあたりの趣旨はまあわからないではありません。
もっとも「過去の労働改革においては、働き過ぎやそれに伴う過労死、なかんずく法令の主旨を尊重しない企業の存在のために」というのはなかなか意味がつかみにくく、なかんずくが何の就中なのかというのが問題で、ふつうに読めば「働き方やそれに伴う過労死」の就中と読めるわけですがそれでは意味が通りません。かと言って別の読み方があるかといえばなくはないでしょうが、こんどは続く具体論とつながりません。ペーパーの記載はこうなっています。

 まずは、長時間労働を強要するような企業が淘汰されるよう、問題のある企業を峻別して、労働基準監督署による監督指導を徹底する(労働時間の実績に関わる情報開示の促進など)。本来、経済成長に寄与する優良かつ真面目な個人・企業の活動を過度に抑制する制度は好ましくなく、労働法制においても、企業・行政からの情報開示を促したうえで、過度な事前規制型から事後監視型への転換していくべきである。そのため、例えば、ハローワークにおける企業からの求人の掲示に当っては、従業員の定着率や残業時間のデータ開示を要することを検討すべきである。また、ハローワーク機能の一部地方・民間開放等を大幅に進めている現在の政策の方向性を鑑み、労働行政全体の人員配置を見直すことで、諸外国に比べ大幅に不足している労働基準監督のための人員を強化すべきである。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/goudou/dai4/siryou2.pdf

と、これだけで、これが「「働き過ぎ」防止の総合対策」だと言われてしまうと、いささか泣けてくるものがあります。
問題のある企業に対する監督指導の徹底はもちろん重要だろうと思うのですが、その実例として一つだけあげられているのが労働時間の実績に関わる情報開示の促進だ、というのはいかにも力不足な感はあります。そもそも情報開示の促進といってもどのようにという方法論が難しく、有価証券報告書や企業ウェブサイトがある企業であればそれらを使って開示させることも考えられるでしょうが、しかし問題のある企業の多くにはそのどちらもない可能性も高いわけです。ということでやるのであれば後で出てくるように求人するときに、というのが有力な方法だろうと思いますが、それが労働基準監督署のやることかといえばたぶん違う(職安のやること)でしょうし、ましてやそれで「長時間労働を強要するような企業が淘汰される」かといえば、まあ悲観的にならざるを得ないでしょう。
そもそも、「働き過ぎ」とカギかっこをつけているのは一般的な働き過ぎではなくて、典型的には「それに伴う過労死」のような健康被害をもたらす「働き過ぎ」という含意だろうと思うのですが、それを防ぐにはなにより企業による(さらに望むべくは労使による)職場レベルでの労働者の健康管理、つまり「働き過ぎ」になりそうだったら仕事をストップさせるとか、医学的な指導などの対応をとるとかいったことで、そういったことをまじめにやらない企業が「法の趣旨を尊重しない企業」だ、ということなのかもしれませんが、法の趣旨を尊重しないだけでは労基署(や職安)にできることは限界があります。
ということで、労基署のやるべき仕事は法に違反している企業に対する指導、是正や取締であり、悪質なケースには送検などの断固たる措置を取ることだろうと思うのですが違うのでしょうか。まああれかな、企業経営者がまとめたペーパーに「企業による法違反の実態がある」とは書けなかったのかなあ。
しかし、現実には残業代どころか賃金そのものをまともに払わない企業とかいうのもあるのが現実であり、そうした企業がブラック企業として問題になっていることが多いでしょう。「働き過ぎ」につながるような長時間労働をさせている企業は、そもそも36協定がないとか、あっても定めた上限を超えているとかいった法違反をしている可能性が高い(のではないかと思うのですが)わけなので、労基署はまずは法違反している企業をきちんと取り締まることが大切であり、そのために必要であれば(必要だと思いますが)労働基準監督官を増員すべきだ、と主張すべきではないかと思うわけです。
ただ、ここでわざわざ「ハローワーク機能の一部地方・民間開放等を大幅に進めている現在の政策の方向性を鑑み、労働行政全体の人員配置を見直すことで」と書いているのは、行政改革とか小さな政府とかに配慮したものなのでしょうが、私としては労働基準監督行政の不備は人数だけではなく人材の質や管理体制の問題もあると思っていますので、職安行政で余った人を回せばいい、という考え方には懐疑的です(今はいいかもしれませんが、かつてのことを考えると本当に職安の人を減らしてしまっていいのかも疑問ですし)。むしろ、良質な人材を確保するためには賃金をはじめとする労働条件の改善も必要ではないかと思っているくらいです。
つまり、「働き過ぎ」やブラック企業をなくしていくためには、これら悪質な法違反を犯している企業に踏み込んでいかなければならないわけですが、そうした企業では前述のように「就業規則ってなんですか」とか「36協定ってどこの競艇場?」とかいう経営者も多いでしょう。なかにはコワモテの用心棒が出てきたり、経営者自身がコワモテで「おととい来やがれ」みたいなこともあって、身の危険を感じることもあるでしょう。それを考えれば、総合的にたとえば警察官に近いくらいの労働条件であってしかるべき(実際一部司法警察権限も持っているわけですし)でしょうし、採用時やその後の研修などを通じてそれに相応の質保障も必要となってくるでしょう。
管理体制についても一考が必要と思われるところで、厚生労働省はかの四・六通達(労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準)を発出して以来、平成23年度までの毎年度「監督指導による賃金不払残業の是正結果」(平成21年度から「賃金不払残業(サービス残業)是正の結果まとめ」)を発表しており、そのタイトル・サブタイトルにおいて「平成23年度に監督指導により支払われた割増賃金の合計額は、約146億円」などと誇ってきました。現場の要員が不足する中で金額の大きさで評価するかのような管理をすれば、現場の優先順位が「身の危険すらあるが、本当に監督すべき悪質な企業」ではなく「短期間で多額の「是正」が可能な大企業」に向かってしまうのは致し方のないところでしょう。そもそもこの集計自体が一貫して「労働基準法違反で是正指導した事案のうち、1企業で100万円以上の割増賃金が支払われた事案の状況を取りまとめ」たというものですから、1企業で100万円以上是正することを露骨に奨励しているようにも見えてしまいます。実際この経年変化をみてみると労働者一人あたり是正額は12万円前後でそれほど変化がないのに対し、1企業あたり是正額は明らかに減少傾向にあり、もちろん素直に監督の成果が表れた結果だと解釈すべきなのかもしれませんが私のようなひねた心の持ち主は行くところがなくなってきたかななどと邪推してしまうわけで。
もちろん公平のためにも申し上げなければなりませんが、監督の相当割合は申告によるものだと言われていますから、ここに出てこないような小規模の監督もリソーセスが許す範囲でしっかりと行われているのだろうと思います。基本的な問題点はやはり要員不足と管理体制であって、個別の監督官が怠慢だとか申し上げるつもりはありません(いや現実にはとんでもなくひどい例もみましたがまれな例外だと信じたい)。リソーセスが不足しているにもかかわらず過度の期待をかけることは無理なのであり、それでもなお国民が公務員の増員や処遇改善はけしからんと叫び続けるのであれば、「働き過ぎ」やブラック企業がのざばることもある程度致し方ないと考えてもらわなければならないということではないかと思います。
ということで元に戻りますと、産業競争力会議の長谷川主査ペーパーも事前規制から事後規制(そういえば事後監視というのも妙な言葉だ)と言うのであれば(それは私も同感ですが)、労働基準監督行政の質量両面での強化充実をもっと明確に強調してほしかったとはかなり思います。繰り返しになりますが「労働時間の実績に関わる情報開示の促進」ではいかにもパワー不足ですよねえ。