日本の若者はなぜ立ち上がらないのか

先週の話ですが日経電子版に「日本の若者はなぜ立ち上がらないのか 内田樹×城繁幸×原田泰×山田昌弘」というインタビュー記事が掲載されました。集まってディスカッションしたというのではなく、個別のインタビューを討論風にまとめた記事のようです。
http://www.nikkei.com/life/living/article/g=96958A90889DE1E7EAE5EBE6E2E2E0E7E3E2E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E1E2EBE0E2E3E3E6E0E6E4
なかなか興味深い内容ですので順次コメントしていきたいと思います。

 ニューヨーク、ロンドン、ローマ、香港、ソウル……。「ウォール街を占領せよ」の掛け声のもと、経済格差の解消などを求める抗議行動が世界に広がっている。日本にも波及したが、10月15日に行われたデモの参加者はわずか100人ほど。数千人規模で展開する欧米とは格段の差がある。日本の若者はなぜ、立ち上がらないのか。若者論に通じる識者4人に聞いた。
 識者は内田樹神戸女学院大学名誉教授、城繁幸ジョーズ・ラボ代表、原田泰・大和総研顧問、山田昌弘中央大学教授の4氏。
http://www.nikkei.com/life/living/article/g=96958A90889DE1E7EAE5EBE6E2E2E0E7E3E2E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E1E2EBE0E2E3E3E6E0E6E4およびこれに続くページから、以下同じ

という趣旨なのですが、なかなか面白い顔ぶれではあります。この方々が若者論の専門家かというとそうでもないような気もしますが、「若者論に詳しい識者」といわれればそうかなあと。なお記事は議論が行ったりきたりしている感がありますので、私が勝手に再整理します。ということでオリジナルは上記リンク先をおあたりください。
さて日本の若者はなぜ立ち上がらないのか?という問いに対して、まず上げられているのは「立ち上がりたくなるほど困っていない」という指摘です。

 中央大学文学部の山田昌弘教授(専門は家族社会学、53)は「若者が立ち上がらないのは、不満がないから。将来を考えれば不安はあるが、今は楽しい。これが大方の若者の本音ではないか」と語る。
 基盤としてあるのが親との同居、いわゆる「パラサイト」だ。「住宅費が高い日本では、住むところさえあれば生きていける。親と同居していれば、食事もまかなってもらえる。こんな環境にあっては、デモなんて考えもしないだろう。欧米であれだけデモが広がったのは、住むところがないという現実がある」。

 人事コンサルタント城繁幸氏(38)は「生活水準の相対的な向上」を理由に挙げる。「デフレの進行によって、かつてないほど生活費が抑えられている。300円の牛丼を食べてケータイをいじってゲームをしている方が心地よい、という現状がある限り、大多数の若者はデモには向かわないだろう」。
 欧米のデモの中には経済のグローバル化を標的にする動きがあるが、城氏は「日本の若者はグローバル化の恩恵を受けている。1980年代の20代よりも、今の20代の方が物質的には豊か。年収はおそらく3割程度減っているが、80年代は牛丼は高く、部屋にはエアコンもパソコンも携帯電話もなかった。基礎的な生活水準は格段に上がっており、この差が若者の気質に与える影響は大きい」と話す。

 エコノミスト大和総研顧問の原田泰氏(61)は「欧米に比べて失業率が高くないことも、デモが起こりにくい理由」とみる。欧米では若年層の失業率は20〜40%。スペインでは25歳未満の失業率が8月には46%に達した。これに対して日本では高いとはいえ10%に満たない。「年収200万円でも暮らしていける現実があり、欧米ほど失業が深刻化していない。不満が顕在化しにくい」と原田氏は言う。
 欧米に比べ低い失業率の背景として城氏は「日本語の壁」を指摘する。「欧米では低賃金の労働が外国人に次々と取って代わられているが、日本ではまだまだ、日本人の若者が雇用されるケースが多い。日本語が話せることが保護壁となって低賃金の外国人労働者流入を阻み、若者を失業から守っている」。これが逆に「若者から危機意識を奪っている側面もある」とする。

例によってツッコミどころ満載なのが城繁幸氏で、「アメリカやイギリスで立ち上がっているのに、なぜ日本の若者は立ち上がらないのか?」という問いに対して「以前より豊かだから」というのは答になっていないでしょう。「なぜ日本では」という問いなんですから。アメリカやイギリスでも80年代の若者に較べれば今の若者は豊かじゃないかなあ。もちろん「そこそこ豊かだから立ち上がらない」という点ではそのとおりだと思いますし、海外では仕事もカネもないが時間だけはあるから石でも投げてやるかという話になっているのに対して日本では携帯のゲームをやるくらいのカネはあるからだという話であればそうかもしれないなと思うかもしれませんが(思わないかもしれない)。
グローバル化の恩恵を受けている」というのは事実としてははそうだと思いますが、パソコンや携帯電話については技術革新の恩恵と言うべきではないでしょうか。もちろん海外生産による低価格化という面ではグローバル化の恩恵もありますので間違いではありませんが。
城氏のいわゆる「日本語の壁」についても、現実をみればアメリカには英語の話せないメキシコ人とかが流入していてコミュニティカレッジで英語を教えているわけですし、ドイツに入ってきたトルコ人がドイツ語を使えたとも思えないなあ。
さてこれだけでは実も蓋もありませんし記事にもならないわけで、「立ち上がりにくい構造がある」という指摘もなされます。

 山田氏はまた「パラサイトしている若者は横の連携が取りづらい」とも指摘する。「欧米では貧困層がまとまって暮らすエリアがあり、そこでくすぶった不満が発火点となるケースが目立つ。しかし日本ではたとえ不満を抱えていても、親元で暮らす限りはそれは点にすぎず、面にはならない。これではまとまった運動にはつながりにくい」。

 大和総研の原田氏は「企業の採用システムが若者の行動を阻んでいる」と指摘する。
 「現在の日本社会では、勉強ができる人はもとより、営業センスがある人や外食店などで現場を引っ張っていける人など、多少なりともリーダーの素質がある人はほとんど、企業が吸い上げている。その結果、企業社会の外にいろんな意味での優秀な人材が現れにくくなっている」

 城氏はまた、「欧米と違い、日本には明確なデモの対象がいない」ことが若者が立ち上がらない一因だという。「欧米で広がった一連のデモは『ウォール街的なもの』を敵視しているが、日本には『強欲な資本家』が見当たらない。例えば東京電力の経営陣をつかまえても、欧米のように莫大な報酬をもらっているわけではない。ただのサラリーマンにすぎない。どこに向かって拳を上げたらいいのか、実にわかりにくい構造になっている」。

山田氏の指摘はさきほどの「パラサイトしている限りは困らないから」という話と裏表ではないかと思いますが、仮に「このままで私の将来はどうなる」という問題意識を持った若者がいたとしても、なかなか集まりにくい、そういう場がないということでしょうか。これは日本の家族構造が期せずして若者の行動を阻む「分断統治」的な機能を果たしているとみることもできそうです。
そこで面白いのが原田氏の指摘で、要するに社会運動のリーダーの素養がある人は企業が社員として取り込んでいるのでリーダーシップを取れる人が少ない、というわけです。なるほどなあと思わせる指摘で、たしかに湯浅誠氏のような辣腕のプロデューサーの手にかかれば年越し派遣村のような社会的に影響を及ぼす一大イベントも起きるわけです(まあ必ず成功するかといえばそうでもないかもしれませんが)。いっぽうで、実際に抗議活動などを仕切っている人(まあ学生さんに限るかもしれませんが)に対しては、まあそもそも採用力が強い有名大企業はともかく、採用力が相対的に強くない企業の社長さんの中には「あれだけの行動力と指導力のある人材ならぜひウチに来てほしい」という話も往々にしてあるわけです。これまた一種の「分断統治」と言っていえなくもないかもしれません。ただまあ、企業に対して「企業社会の外にも優秀な人材が現れるよう採用を手控えてほしい」というのも無理な話ですし、本当にそれをやられたら手控えられた学生さんこそいい迷惑でしょう。
原田氏の議論はさらに続くのですが、とりあえずこの段階では、要するに抗議行動のようなものはカネにならないから若者は立ち上がらないというポイントはありそうです。湯浅氏くらいに成功すれば本は売れるし政府の委員とかお仕事にもたくさん呼ばれるし十分に見返りがあるのでしょうが、それはやはり例外なのでしょう。逆にこれが十分カネになるスキームができるなら電通やら博報堂やらがプロデュースして嵐やAKB48が参加する「兜町占領軍」とかいうのが実行されて盛り上がったりしてこらこらこら。いやわれながらネーミングのセンス悪いな。ということで本来こういうカネにならない社会運動を取り仕切るべき政党・政治団体はなにやってるんだという話だろうとは思うのですが。
なお労働運動の出番ではないかとの声もありそうですが、私は労働組合にはそこまでの期待をかけるべきではないような気がします。本家本元のウォールストリート占拠についてはJILPTの山崎憲副主任研究員がJILPTのサイトでレポートしていますが(http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2011_10/america_01.htm)、これを読むと途中から労組が入ってきて変になってきているのではないかとしか思えないのですが。そうでもないのかなあ。
城氏の指摘については、要するに日本でこれをやるときに兜町に行くんですかということですね。あるいは丸の内や大手町に行ってみたところで、企業は労働者の首をバンバン飛ばして大儲けして株主と経営者で山分けして兜町を潤しているか…というとぜんぜんそんなことはないわけで、言わんとしていることはわからないではありません。ただまあ、上記山崎氏のレポートにも「掲げられる主張は、高額所得者に対する税制優遇措置を廃して、所得上位1%に集中する富を残りの99%に分配することで格差を是正することや、金融関連企業を代表とする企業減税を廃して、介護、教育、医療等への公共サービスに対する予算削減を阻止すること」などとあるように、米国で一義的に問題になっているのは他国と比較して富裕層・金融関連企業にかなり有利な税制になっているということなので、東京電力の社長の報酬を持ち出すのはちょっとズレてないかという気がしなくもありません。
さてお気付きのとおり長々と書いてきたにもかかわらず内田樹氏がまだ登場しておられません。内田氏は日本の若者が立ち上がらない理由を「社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできたイデオロギー」に帰する興味深い論を述べておられますが、長くなりましたので明日のエントリに回したいと思います。