守島基博『人材の複雑方程式』

「日本労働研究雑誌」第605号(平成22年12月号)に寄稿した読書ノート「守島基博『人材の複雑方程式』」が労働政策研究・研修機構のサイトに掲載されました。
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2010/12/pdf/094-100.pdf#dokusho_1
ということで、ここにも全文を転載しておきます。

日本労働研究雑誌 2010年 12月号 [雑誌]

日本労働研究雑誌 2010年 12月号 [雑誌]

人材の複雑方程式(日経プレミアシリーズ)

人材の複雑方程式(日経プレミアシリーズ)

読書ノートは書評ではない(書評コーナーは別途ある)ので、内容紹介やその論評・批評ではなく、本を材料にして自分の言いたいことを書いています。他の方が書かれたものをみると書評に近いものが多いので本当にそれでいいのかなあと思わなくもないのですが、まあこれで3回めの依頼ということはこれでかまわないということなのでしょう。
掲載時にも少し感想を書きましたが(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101206#p1)実はけっこう苦戦しました。読書ノートの依頼は毎回なぜ私という疑問があって、もちろん企業の人事の人だからということではあるのでしょうが、今回もこの本だったら自社の人事施策に疑問を持ちつつ職場運営に苦心しているマネージャーとかに頼んだほうが面白いものができるんじゃないかなあとか、労組の活動家とか、外資系企業の人事部長とかでも面白そうだよなあ、などと考えながら、では経営サイドで政策制度をやっている人としてはどんなことを書きたいのか、書けばいいのか…と悩みながら書きました。「日本労働研究雑誌」ともなるとやはりかなり気合が入るわけです、これでも一応。
ということで一人事担当者の立ち位置から企業ガバナンスの変化を中心に政策制度をひっかけてみました。今現在書けと言われたらもう人事担当者じゃないですから相当違う内容になると思います。というか、すでにこの人事担当者モード全開が少し気恥ずかしい(笑)。

 この本はビジネス誌の連載記事をまとめたものだという。人事管理のさまざまなトピックが、経営学の理論や最新の調査結果などを織り交ぜながらたいへんわかりやすく解説されている。企業事例に広く深く通暁する著者の論だけあって人事担当者の実務実感にもよく一致しており、掲載誌の読者にとってはまことに参考となる有益な記事だったことだろう。
 いっぽう、私たち人事担当者にとってはまた異なる、いささか複雑な感慨を覚える本でもある。この本の内容のほとんどは私たちも大いに共感するものだ。ということは、やりたいけれどできなかった、ということでもある。実際、1990年代半ばから現在まで、私たちは非常に困難な状況に置かれ続けてきた。経済成長の鈍化、グローバル化の進展、デフレといった、かつて経験のない環境変化に見舞われる中、なんとか組織の力、人材の力を損ねることなくこれに対応しようと悪戦苦闘してきた。その試行錯誤の結果はさまざまだろうが、著者が指摘するとおり必ずしも良好でないことも多いに違いない。この本はそれへの反省の念と、若干の無力感を覚えさせる本でもある。
 たとえば「成果主義」がある。国際競争の激化とデフレの中で、人件費の抑制と従業員の意欲の向上を同時に達成すべく、それは導入された。しかし、ほどなくその弊害と矛盾が表面化し、多くの企業で「プロセス重視」などの見直しを迫られた。それは「成果主義の改良」「深化」などとも言われたが、実態は疑いなく成果主義の後退であった。そして本書にもあるように、その累は今日にも及んでいる。
 あるいは、経済成長が鈍化し、企業組織の拡大が停滞する状況下で、引き続き長期継続雇用を重視した人事管理を行うために考え出されたものとして「自社型雇用ポートフォリオ」がある。これは一応、引き続き長期継続雇用を重視するという点では有効だったが、いっぽうで「雇用柔軟型」の非正規労働者のキャリア形成が困難になるという問題があり、現在大きな課題となっている。
 そしてこの間、企業ガバナンスに対する議論が高まったことは忘れられない。たしかに、それまでのわが国では株主、投資家が軽視されすぎていたのは事実だろうが、当時声高に主張された「企業は株主のもの」「経営者は日々の株価に責任を負う」「投資家の目前の利益のために人員削減が行われてしかるべき」などといった論調は、人事担当者にとっては強い逆風となった。実際、この時期はそれ以前と較べて雇用調整のスピードが上がったことが確かめられているし、非正規労働比率の上昇には迅速な雇用調整という意図もあっただろう(これは2008年のリーマン・ショック後に実現することになる)。企業が職場やリーダーに大きな期待をかける一方で、そのために十分なリソーセスが提供できないという状況も、おそらくこの時期に拡大したのではないか。
 もっとも、気を取り直してみれば、時代環境が経済・企業の安定的な成長から低成長・国際競争激化・デフレへと激変する中で、私たちはそれなりに踏みとどまっているという見方もできるだろう。なんといっても、日本的雇用の根幹である長期雇用については、この間もかなりの程度堅持されてきた。この本の問題意識は多くの企業が共有するものだと思うし、それをふまえた取り組みも行われている。
 もちろん、課題は多いし、その解決策は決して容易ではないだろう。そうそう単純にはわからないから、「複雑方程式」なのだ。著者もすべての解決策を提示しているわけではなく、現時点で答が出せない課題についてはそれを率直に認めている。それでもなお、著者の見解は説得力をもって私たちの取り組みを支持するものになっていて、再読すれば初読で感じた無力感が闘志に変わるのが実感できるだろう。著者もいうように人事施策は結果が出るまで時間がかかる。その間、私たちは何度かこの本を開くことになるのかもしれない。