高木朋代敬愛大教授にひとことふたこと。

上のエントリで「後でまとめて書く」と書いた件ですが、上記シンポジウムの第1部でコメントに立たれた高木朋代先生のご所論に大変失礼ながら目に余る点がいくつかありましたのでここで書いておきたいと思います。一部当日聴講されていない方にはわかりにくい部分があるかと思いますがご容赦ください。
なお最初に申し上げておきますが、高木先生の主たる結論である「『新時代の…』以降の人事管理の変化は日本の産業界の再生のためであった」「日本特有の人事管理は競争優位として大切にすべき」については基本的に異論はありません。ただし、すでに上でも書いたように、『新時代の…』がその後の日本の人事管理に与えた影響はそれほど大きなものではない(実務にあたった人事担当者はむしろ「労政時報」などをより参考にしたと思われる)と考えられるので、「すでにあれこれやっていた企業では『新時代の…』を使って従業員に説明しやすくなった」「まだやってない企業には明確な方向性が示され、また着手の後押しをした」というのはいかにも過大評価と思われますので、ここまで言われるのであれば証拠を見せてほしいとは思います(いや時間が限られていたのでいちいち上げられなかったのだろうとは思いますが)。
さて問題は2つある。ひとつは用語に関するもので、誰に受けることを目論んでいるのか知らないが雇用ポートフォリオ「「労働者の仕分け」システム」と称し、あるいは労使間の合意形成について「すりかえ合意」といった悪意のある用語を用いていることだ。これはおよそ(元)人事担当者の神経を逆なでするものだが、そうした感情的な問題を排してもおよそ不適切と言わざるを得ない。
まず「「労働者の仕分け」システム」については、「仕分け」という用語は専門用語として確立されておらず*1、であれば定義が与えられていない以上通俗的な意味、すなわち民主党政権における「事業仕分け」のアナロジーであると考えていいだろう。
さて事業仕分けだが、内閣府のウェブサイトでは「国民にすべて公開された場で、「仕分け人」が事業の効果や国費の使い途を徹底追求!不要な事業や予算を削り、国民生活に活かします。」となっている(http://www.cao.go.jp/gyouseisasshin/contents/01/shiwake.html)。公開云々は一応別問題として、事業の要・不要を判断して不要なものは廃止縮小するという趣旨であると考えていいだろう*2
さて、雇用ポートフォリオは「労働者の仕分け」システムと言えるだろうか。ここで、従業員の解雇(普通・整理・懲戒を問わず)については雇用ポートフォリオとは基本的に無関係であることを考えると、雇用ポートフォリオが「従業員の仕分け」システムであると言えるためには従業員の要・不要を判定し、不要な従業員は異なるグループに移されたという実態がどれだけあったかを見る必要がある。
もちろんまったくなかったということはない。まずまとまった例として、高年齢者の定年後再雇用が考えられるかもしれない。しかしこれは本来定年退職するはずだった人が再雇用されたのであり、本家事業仕分けで言えば本来終了して予算がつかなくなるはずの事業を予算規模を縮小して継続するようなものである。これを「仕分け」と呼ぶことには無理があろう。それを除くと、たとえば金融危機後に合併が相次いだ都市銀行では、窓口などを担当する行員を退職させて系列の派遣会社に登録させて従来と同じ窓口で就労させるといった悪質な事例もあったと言われている*3。が、ごく稀な例外に止まると考えて差支えないと思う。企業における非正規労働者の増加はほとんどの場合新規募集を非正規で行う、または正社員が退職した際にその補充を非正規で行ったという形で進んでおり、これを「仕分け」と称することはできまい。
なお「仕分け」は「人」ではなく「職・ポスト」で行われたという考え方は無理はあるものの不可能ではない。しかし高木先生はその後に「「仕分け」られたのは多くは女性か高年齢者」」と「人」が仕分けられたと主張しているので、ここでこの考え方を採用する余地はない。
次に高木先生は「本当は「長期蓄積能力活用型グループ」にいたいが、(引用者注:経営事情等に配慮して)「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」を、最終的には自らの意思決定として本人が選ぶ」ことを「すりかえ合意」であると呼んでいる。こちらは定義が与えられているのでこの定義でこの語を利用することは自由である。
しかし、これをもって「すりかえ合意」であるとするなら、労使コミュニケーションにおける合意の大半は「すりかえ合意」である。誰しも昇給してほしいと思っているだろうし、多くの人は昇進したいと思っているであろう。自分がそれに値すると考えている人も少なくない。もちろん、希望どおりに昇給、昇進する人も珍しくはない。しかし多くの場合はそうはいかず、「いまの会社の経営状況では昇給は難しいだろうな」「まあポストも限られていることだし仕方ない」など、不承不承ではあるかもしれないがそれなりに納得していただいているわけだ。実に人事管理の最大の苦心のひとつがここにある。
もちろん高木先生がそれをご承知ないわけはなく、先生の主著である高木(2008)『高年齢者雇用のマネジメント−必要とされ続ける人材の育成と活用』を読めば、高年齢者雇用についてはこれがまさしく上記のような納得に達するためのプロセスであると書かれているわけだ*4。つまりこれはお判りであるにも関わらずなぜこういう用語を用いられるのかという話であり、さすがに労働者の指値での合意でないものすべてにまで範囲を広げて「すりかえ合意」という悪意ある*5表現を使うということには苦情を申し立てざるを得ない。
まあ用語については聞き手の側にも好みがあり、こういう用語が好きな人というのもいるだろうし、正直もっととんでもない人も何人か見たことはある。ただこのシンポジウムってそういう人が集まるイベントだったっけという感は率直なところあり、人を見て法を説くということをお考えになったほうが他人を自説で説得する上では有利ではないかと思う。まあ特に「すりかえ合意」については前述のとおり主著の中でも使っておられ(それで賞も取っておられるし)、いまさら引っ込みつかないとは思うが。
もうひとつの問題は用語の不適切さだけではなく事実関係にも誤りがありそうなことだ。ちょっと面倒な話になるがまずいったん「仕分け」の話に戻る。
上で私は個別企業が自社型雇用ポートフォリオを形成するプロセスを「仕分け」と称することは不適切だと指摘したが、あるいは、高木先生は先生のいわゆる「労働者の仕分け」は労働市場全体*6で・全企業が参加して行われたとお考えになっているのかもしれない、というか私はその可能性が高そうに思う。そう考えればたしかに非正規雇用労働者比率は上昇しているし、非正規雇用に女性・高年齢者が多いことから、先生の「「仕分け」られたのは多くは女性や高年齢者」という主張にも符合するからだ。
それでもなお、それは結局労働市場が本来の機能を果たしているに過ぎないわけなので、やはりことさらに「仕分け」などと呼ぶことが適切であるとは思えないわけだが、問題はそこではない。
ここでの問題は、高木先生が非正規雇用労働者比率が上昇した局面において「問題点として、「仕分け」られたのは多くは女性や高年齢者であると懸念」されている点にある。まず高年齢者の非正規雇用労働者が増えていることは事実だが、これの大半は前述した定年後再雇用であると考えられる。これはそれなかりせば定年退職して失業者となっていた人が非正規雇用ながらも就労しているわけなので、ここで取り立てて問題視するほどのものとは思えない。雇用ポートフォリオなかりせば正規雇用が継続しただろうと考えることはできないだろう。また、女性に関しても、結婚・出産等で退職した人の再就労が増えているという事情がある。その大半が非正規での就労となるという傾向は、良し悪しは別として以前からあるものだ。問題視すべきなのは、新卒などで新規就労する女性に非正規雇用が増えていることであろう。
そしてそれは女性に限った話ではない。男性についても同様であり、つまりこの局面での最大の問題点は(良好な)長期蓄積能力活用型の入口に立てない若年労働者が増えたこと、高木先生の独自用語を借りれば「若年が仕分けられたこと」だということは私がわざわざあらためて言うまでもない*7。「日本特有の人事管理は競争優位として大切にすべき」と言うのであれば、なにより若年労働問題について提起してほしかった。
なおついでに「すりかえ合意」について書いておくと、労働市場全体で非正規雇用が増えていて、その中には「本当は長期蓄積能力活用型がよかったけれど雇用柔軟型しかなかったから仕方ないよね」という労働者がいることは間違いないし、それを「すりかえ合意」と呼びたいなら呼べばいい。しかしその現場で説得材料として『新時代の…』が使われているわけがないだろう。職安の指導官か企業の採用担当者か派遣会社の人か知らないが、非正規労働者に向かって「貴殿が正社員を希望しているのは承知していますが『新時代の「日本的経営」という本にこう書いてありましてね…」とか言ってるわけがないと私は思うが、まあしかしこれは実証の問題であり実際に言ってますという実例を100件くらい見せてもらえば納得する。
ということで、たいへん実績のある先生ですし最初にも書いたように主たる結論には私も大いに賛同するところなのでここまで書くのも気はさしたのですが、正直やはり「仕分け」「すりかえ」と連呼されると感情的にも一言あってしかるべきかと思って書きました。書くにあたって古いJIL雑誌を引っ張り出してきて労働関係論文優秀賞受賞作も読み返してみたのですが、そこでは「すりかえ合意」は出てきていませんでした。まあ消してくれる人がいたというだけのことかもしれませんが…。

*1:少なくとも私の手元にある経団連や日経文庫の『人事・労務用語辞典』には掲載されていないし、野村総研の『経営用語の基礎知識』にも載っていない。ただしやや古いので最新の辞典類には掲載されているのかもしれないし、動かぬ証拠を見せられれば恐れ入る覚悟はある。

*2:ちなみに事業仕分けのほうはそれで捻出した財源を別の事業に転用することを想定しているので、雇用ポートフォリオが仕分けシステムだというのであればそれで捻出された人件費財源が他の雇用に転用されなければならないわけだが、そこまで追及するのは野暮というものだろう。

*3:ただ今回該当する報道などがないか調べてみたが見当たらなかったので確実な話ではないが記憶にある人は多いのではないかと思う。ちなみに人件費カットより支店の統廃合時における雇止め可能性が理由だったと言われていたように思う。

*4:したがって、私も一昨年の労働政策研究会議で先生が高年齢者雇用についてこの用語を使われた際には異論を申し立てなかった(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20130625#p1)。あからさまな選抜に「隠された選抜」という語をあてられたことには苦情を申し立てたが。

*5:もちろん先般のクローニー・キャピタリズムをめぐる議論でもあったように、悪意の程度については人により状況により異なるとは思うが、しかしなんらかの悪意の存在は認められるだろう。

*6:ただしそもそも雇用ポートフォリオ自社型雇用ポートフォリオなので「労働市場全体」が射程に入るわけがなく、こうした考え方が成り立たないことは言うまでもない。

*7:もちろん女性や高年齢者に問題がないというわけではない。実際、シンポジウムにおいても現政権の方針もあいまって女性労働の話は盛り上がったし、高年齢者についてはそれほどでもなかったが、高木先生の得意分野であり、かつその道の最高権威である清家先生もいらっしゃったのだからもっと議論があってほしかったと思う。