さて上のエントリのもとになった佐々木先生のツイートはこれのようです。
解雇規制緩和で若者の雇用が増えるとか、転職がしやすくなるという論調があるけれど、この規制緩和は何をどう緩和するっていうのか。現行では規制にも、解雇にも、色々種類があるんだが。抽象論による具体的帰結を、それが真理かのように語り、理解しない者を謗るようでは、話にならないと思う。
http://twitter.com/ssk_ryo/status/26801000262148096
これはなんのことだろうとさかのぼってみたところ、背景には高名な法曹である小倉秀夫先生と、労働経済学者の安藤至大先生のツイッター上での議論があったようです。最新のまとめはこれでいいのかな。
http://togetter.com/li/90212
その前には東大の玉井克哉先生が小倉先生と議論されていたようなのですが、私がごく乱暴かつ超大雑把に単純化すると、安藤先生が「人々の行動をある方向に向かわせるときに、法律で規制して強制的に向かわせる(向かわない人は罰する)という方法と、そちらに向かう人にご褒美を与える(向かわない人には与えない)という方法がありますよね。で、前者だけでやろうとしてもうまくいかないこともあるし、両方をうまく組みあわせることが大事ですよね。その組み合わせを考えるときには、海外の事例や社会調査などが参考になりますよね」ということを小倉先生に説明しようとしているのに対し、小倉先生はそれは必ずしも理解しないわけではないようなのですが、しかし「とはいえ労働政策をあなた方経済学者のいうようにやったら(低賃金労働が増えるとか)世の中はいい方向には向かわない」と主張して譲らない、という状況のようです(すみません非常に大雑把なまとめなので当事者の方々にはご不満が多々あろうかと思います。自分も上では野川先生に不満を述べているくせにねえ)。
私のような実務家…と一般化してはいけないか。私には圧倒的に安藤先生のご意見のほうが説得力があるわけですが、法曹として日々社会悪と闘っている小倉先生は現に悪とその被害がある以上は取締で臨むべきとの強固な信念をお持ちのようで、まあ私としては遠巻きに見守るのがせいぜいではありますが、本筋に関係ないところで余計なことながらひとつだけ感想を申し上げますと、どうも小倉先生には池田信夫先生との議論を通じて、経済学者とはすべからく池田先生のような発想や言動をとるものだという思い込みがあるのではないかと感じました。私は安藤先生は労働の専門家であり、大竹先生や八代先生と同様に労働分野において信頼のおける研究者だと思う(まあ面識はないので文献などを読んだ範囲内ですが)のですが。
で、その過程で、野川忍先生が見るに見かねたのか(失礼)、こんな中間総括に乗り出してもおられます。
労働をめぐる課題について、法学者と経済学者の議論がすれ違うことが多いのはなぜか。いくつもの想定しうる理由のうち、中心的なもののひとつは、法学も経済学も社会の現実について一定の処方箋を見出そうという目的は共通しているのに、自らのアプローチや方法論を相対化できないことが多いという点。
たとえば解雇。「制度や規範を軸として適正な解雇ルールの在り方を検討した場合にはこうなる」、「経済学的アプローチからはこういう見方もできる」、それぞれの見方を補完させあいながら、では具体的な制度はどうすべきかを検討する、という態度をとれない場合が目立つ。そしてそれはなぜか。
一人の法学者から経済学者への注文。法学の学会ではよく経済学者を招き、その意見を傾聴して法学的観点のブラッシュアップに生かそうとしている。しかし、経済学の学会に法学者を招いて同様の姿勢を示す、ということは少ない。経済学者のみなさん、自らを相対化する視座を、共有していただけませんか?
法学者も、経済学の知見を「難しい数式が並んでいてわかりにくい」と敬遠することなく、規範をはじめから前提とせずに社会現象(労働問題であれば解雇や派遣の増大など)を検討した場合の見方を積極的に取り入れる姿勢が不可欠。欠点は双方にあり、「お互い様」という立場で協力できる道を探りたい。
(http://twitter.com/theophil21/status/26138038794981376〜http://twitter.com/theophil21/status/26142195102785536)
これに対しては独協の阿部正浩先生から「是非お願いします。“@theophil21: 経済学者のみなさん、自らを相対化する視座を、共有していただけませんか?”」(http://twitter.com/Professor_Abe/status/26226714963087360)との応答もありました。
もっとも、労働分野においても、法と経済の協働は、10年前の2001年にはすでに日本労働研究機構の「雇用をめぐる法と経済」研究会の本格的な報告書が発表され、同年の日本労働研究雑誌491号(2001年6月号)の特集「解雇規制」や、これをもとにした2002年の大竹文雄・大内伸哉・山川隆一編(2002、増補版2004)『解雇法制を考える―法学と経済学の視点』といった優れた成果も出ています。近年においても、2008年に神林龍『解雇規制の法と経済―労使の合意形成メカニズムとしての解雇ルール』や荒木尚志・大内伸哉・大竹文雄・神林龍編『雇用社会の法と経済』が出ています。まあ、たしかにこれらに参加している顔ぶれは比較的固定的であって、法学・経済学それぞれに大きな運動にはなっていないかもしれませんが、しかし労働分野でもこうした動きが存在するということはぜひ世間に周知してほしい、安藤先生と小倉先生の議論が労働分野の現状のすべてであるとは思わないでほしいと思うわけです。
- (3月18日追記)コメント欄で、この記述は安藤先生が法学者との対話に消極的であるかのような誤解を与えるとのご指摘をいただきました。自分の文章力不足と不徳を率直に認めて自己批判したいと思います。実際には安藤先生は法学者の対話・協働に積極的に取り組んでおられますので、誤解のなきようお願いいたします。
まあ、たしかに2006年の福井秀夫・大竹文雄編著『脱格差社会と雇用法制』のようなものもあって、まあ私自身はこれはこれで労働研究者でない経済学者の見解として有意義ではあると思っているのですが、しかし多くの労働法の先生方がこれに対して拒絶反応を示すこともよく理解できる(日本労働弁護団の機関誌「季刊労働者の権利」270号で大々的な反論特集が組まれておりますな。ご関心のむきはhamachan先生のブログなどもご参照を)ところです。まあこの本を読めば逆もまたあるということなので、まあそのあたりは相互に忍耐と寛容が求められるのでしょう。いっぽう、経済学者の立場からのものでも、2003年の八代尚宏『規制改革−「法と経済学」からの提言』は、福井・大竹編とは異なり、かなり相対化されていて法学の立場からも参照できるものではないかと思います。まあ、法学からすればこれでもまだまだ不満かもしれませんが。
ちなみに、労働分野での法学と経済学の対話を進める上で、法学の日本労働法学会に対応する労働経済学の学会が現状では存在しない(なぜ?)ことが案外大きな問題なのではないでしょうか。日本労務学会とか労使関係研究協会とかありますが、法学と経済学の対話にあたってはそれぞれの専門の学会がともに関与することが望ましいように思うのですが…。
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