黒田祥子先生

きのうの日経「経済教室」に、東大社研の黒田祥子先生が登場しておられます。お題は「日本人男性の労働時間、「1日当たり」一貫して増加」というもので、休日は増えているけれど出勤日の日当たり労働時間は伸びている、という話です。「休息の保障制度を 休日増、平日にしわ寄せも」という見出しがあります。

 2008年9月のリーマン・ショック以降、長時間労働が話題に上ることはひところに比べて少なくなった。しかし政府は「いわゆる正社員の労働時間は依然として短縮していない」として、年次有給休暇取得率向上に向けた具体策の検討を事業主へ呼びかけるなど、長時間労働是正の取り組みを継続している。
 日本人が労働時間の長さを政策対象として意識しだしたのは、1980年代と考えてよいだろう。当時は貿易収支の不均衡是正を意図した内需拡大が主な狙いだったという点で、現在のワークライフバランス(仕事と生活の調和)推進運動とは多少趣が異なるものの、87年の労働基準法改正が時短政策の第一歩だったといえる。…週間法定労働時間は48時間から40時間へと段階的に引き下げられ、その結果90年代には週休2日制が広く普及することとなった。実際、「就労条件総合調査」(厚生労働省)によれば、常用労働者1人当たりの年間平均休日数は85年の92.9日から09年には113.7日と、この25年間で約21日増加している。これは、1日8時間労働として換算すると少なくとも年間170時間近い労働時間が削減されたことを意味する。
 それでは週当たり労働時間はどうだろうか。…80年代までさかのぼってやや長期でみると、平均労働時間は2000年代のピークとなった04年でも80年代末と比べ1時間程度短く、週当たり60時間以上働く人の比率も80年代以上に増加している証左はない。総合すると、日本人の平均労働時間は週ベースでは80年代に比べて増えている事実はなく、年ベースでは確実に短くなっている。
 一方で、「労働者健康状況調査」(厚労省)をみると、「仕事で身体がとても疲れる」と答えた人の割合は92年の9.5%から97年の11.8%、02年には14.1%へと上昇している。90年代以降も労働による疲労を感じる人が増加しているのは、なぜだろうか。
 そこで、次に1日当たりの労働時間を観察してみよう。…高齢化・高学歴化・晩婚化・晩産化といったこの数十年間に日本で起こった労働力構成比などの変化を調整したうえで、70年代からの平日(月〜金曜日)1日当たりの平均労働時間と睡眠時間の推移を…みると、男性フルタイム雇用者の平日1日当たりの労働時間は景気循環と無関係に70年代から一貫して増加している。
 1日当たり13時間以上働く男性の割合も、76年の2.0%から06年には8.2%に増加している(ちなみに、これらは通勤時間や休憩・昼休みを除く実労時間である)。一方、平日の労働時間の趨勢(すうせい)的な増加にほぼ対応するかたちで平均睡眠時間は年々減少している。筆者の分析では、過去30年で男性は週当たり4時間、女性は3時間、睡眠時間が短くなっている。日本人の睡眠時間の趨勢的な低下は、平日の労働時間の増加と関係している可能性がある。年間休日数が増えているにもかかわらず疲労を感じている人が少なくないのもこの点と深くかかわっていると考えられる。
 平日の労働時間が増加した要因としては、週休2日制や祝祭日の増加により週の中での労働時間の配分が変化し、平日に仕事がしわ寄せされた可能性などが考えられる。これは、やみくもに休暇の数を増やすだけでは、休暇以外の日がさらに繁忙になる危険性を示唆する。

 睡眠は、労働による良質な生産のために不可欠な中間投入要素でもある。その重要な生産要素が他国に比べて短く、しかも何十年にもわたり趨勢的に低下していることを我々は危惧すべきではないだろうか。ワークライフバランスを議論する際には、休暇を増やし年単位で余暇を増加させることも重要だが、それ以上に日・週・月といったより短い単位でバランスをとることを意識する必要がある。
 それでは、さしあたり必要な施策は何か。まず超短期のバランスを図る施策として、ある一定の短期間内に心身の疲れをリセットできる制度の整備が重要である。
 その一案は独立行政法人労働政策研究・研修機構濱口桂一郎氏らがかねて提唱し、本年度から一部の産業で労使協定が実現した「勤務間インターバル制度」の普及である。同制度は、1日当たり最低連続11時間以上の休息期間付与の義務化を柱とする欧州連合(EU)の「休息時間制度」と基本的に同じ発想である。例えば前夜の勤務終了が遅くなっても終業時刻から最低限の休息時間が保障されるため、翌日の始業時間に間に合わなくともその時間は勤務したものとしてみなされる。…なお、この制度に実効性を持たせるためには、労働基準監督署の定期的な監督・指導、悪質事業所に対する厳罰などが必要だが、最終的には自分の身を守るという意識を我々一人ひとりが持つことが重要である。
 さらに、短中期のバランスをとるための工夫としては、ドイツなどの「労働時間貯蓄制度」を日本の実情に合うかたちで導入することも検討に値する。この制度は繁忙期の超過労働時間分を一定の期間を上限に「貯蓄」し、仕事が一段落した際に蓄えを休日として使用することを認める制度である。超過勤務手当の休暇への振り替えが可能となるため需要変動に直面する企業側にもメリットがある。交代要員が容易に手当てできない高度な技術や能力が必要な職種で、「集中して仕事をし、少し後でまとまった休みを取りたい」と考える労働者側のニーズにも合いやすい。
 むろん、労働時間とアウトプットが必ずしも対応せず、労働時間という概念自体が曖昧(あいまい)な仕事に従事する人には、厳格すぎる時間管理はかえって弊害をもたらす可能性もある。このような職種については、現行の裁量労働制の適用範囲拡大の必要性の有無を含め、自律的な働き方に関する制度をいま一度冷静に検討する必要があろう。
 一連のワークライフバランス政策と併せて今取り組むべきは、個別の条件は労使協議で柔軟に設定することを可能とするよう働き方に即した多様な選択肢を認めつつ、健康維持のために最低限必要な休息時間を確保できる体制を確立することである。
http://www.nikkei.com/paper/article/g=96959996889DE3E4EBE0EAE1EAE2E0E1E3E2E0E2E3E29997EAE2E2E2;b=20101025

「日本人の平均労働時間は週ベースでは80年代に比べて増えている事実はなく、年ベースでは確実に短くなっている。」というのは、年間の週数は当然一定*1なので、一見たいへん不思議に思えます。これについては、「週ベース」については労働力調査による働き過ぎといわれる壮年男性正社員のデータとなっていますが、「年ベース」についてはどのようなデータなのかが明示されていませんので、調査か対象者かが異なるのかもしれません。ちなみに休日数については就労条件総合調査による常用労働者のデータが引かれています。
これに対して、「1日あたり」については社会生活基本調査による平日(月〜金曜日)1日当たりの男性フルタイム労働者の平均労働時間が使われています。これについては「平日の労働時間が増加した要因としては、週休2日制や祝祭日の増加により週の中での労働時間の配分が変化し、平日に仕事がしわ寄せされた可能性などが考えられる」という記述がありますので、年間総労働時間を年間平日数で除したものか、それに近いものであると考えていいでしょう。
となると、「勤務間インターバル制度」によるにせよ何によるにせよ、睡眠時間を増やすために平日の労働時間が短くなれば、それは休日の減少という形で埋め合わせざるを得ないことは自明です。となると、それにともなう通勤時間などが発生しますから、その分は勤労者の自由時間が減少してしまう*2ことになります。どちらを選ぶのかは、個人の業務内容や意識、価値観によって分かれるのではないでしょうか。もちろん、情報労連のように「勤務間インターバル制度」によるべしと組織内で民主的に意思統一して、団体交渉で制度化するのは好ましいことですし、一部の交代制勤務や危険有害業務などには「勤務間インターバル制度」のような規制が適切なものもあるだろうとも思います。いっぽう、私自身はといえば一度仕事を終わったらその後11時間とか8時間とかは働いてはいけませんなどという不自由きわまりない規制はごめんこうむりたいわけでして、一律に法定すべきものでもないでしょう。私は個別労使が実態に応じて団体交渉で決めれば足りると考えており、法定そのものに懐疑的ですが、法定するにしても黒田先生が書いておられるように「個別の条件は労使協議で柔軟に設定することを可能とする」ことが必須であろうと思います。
「労働時間貯蓄制度」については、より柔軟な労働時間設定が可能になるという意味では好ましいものだと思われます。もちろんどの程度利用されるのかとか、弊害はないのかといった懸念はあるわけなので、その導入を法定するのはやや行き過ぎという間はありますが、現行法制下では労使が合意しても導入できないわけですので、労使の合意によって導入できるような規制緩和は検討に値すると思います。また、「現行の裁量労働制の適用範囲拡大の必要性の有無を含め、自律的な働き方に関する制度をいま一度冷静に検討する必要があろう」との主張もまったく同感で、これはぜひとも「冷静に」もう一度検討を望みたいものです。

*1:閏年は約0.14週多くなりますが。

*2:疲労感に関しては、睡眠時間もさることながら、休日に休息時間が十分に確保できていないという問題もあるのではないでしょうか。このあたりも黒田先生のいわれる「最終的には自分の身を守るという意識を我々一人ひとりが持つことが重要」に含まれてくるのではないかと思われます。