音楽系大学のキャリア教育

既報のとおり一昨日・昨日と日本キャリアデザイン学会の研究大会が開催されました。私は昨日は所用で参加できず、一昨日のみの参加となりましたが、例によって感想など書いてみたいと思います。
まず大会に先立って理事会があり、私はめでたく常務理事職を規約により定年(3期6年)で退任することとなりました。まあその場で会長の川喜多喬先生(先般再選されました)から研究組織委員は定年はないからな今までどおりに働いてもらうからなと言われてしまったのですが。さらに事務局からは今夜の交流会の司会をお願いしますと言われて大いにうろたえる私。
さて研究大会は非常に盛りだくさんな内容であったわけですが、私はまず「実践キャリア教育」のワークショップを聴講しました。報告者はNPO法人音楽キャリア・サポート・ネット代表で愛知県立大学でキャリア教育を担当しておられる壬生千恵子さんです。一般論としてはどちらかというと研究発表セッションのほうが好きなのですが、クラシック音楽が好きなのと、東京在住当時に隣が桐朋音大の学生寮だったのと、私の地元の愛知県芸大というのにひかれました。以下、私のメモをもとに、報告に対する感想を書いていきたいと思いますが、当日配布資料がなかった(スライドショー映写のみ)ため、報告内容については私の誤解や記憶違いによる間違いが含まれている可能性があります(というか、確実に含まれているでしょう)のでご了承ください。また報告になかった細部は私の憶測で補っている部分もありますのであわせてご了承お願いします。
さて報告によると、わが国で大学の音楽系学科に通う人は1学年約8,000人とのことでした。医師国家試験や新司法試験の受験者数が8,000人台らしいのですが、はたして音楽家の需要ってそんなにあるのでしょうか。
実際、専業の音楽家になる人は数%ということです。ただ、その内訳や範囲はよくわからないわけで、「プロの音楽家」としてすぐに思い浮かぶような、ソリストとして演奏活動だけでやっていける人(それだけの技量があれば必然的に求められてお稽古をつける場面も出てくるわけですが、自分の演奏活動に集中するためにお稽古はやりたくないということなら、それですむ人)は数%の中のさらにごくわずかな上澄みでしょう。プロのオーケストラの団員やりながら音大で教えているとかいう人もたぶん一握りの勝ち組で、自分は専業の音楽家であるという自負を持っているに違いありません。いっぽう、年一回仲間や一門のジョイントリサイタルに出て、あとはお稽古で生活しているという人もいるはずで、こういう人の中には自分を専業の音楽家と思う人も思わない人もいそうです。いずれにしてもそういう人の一部まで含めて数%ということなので、音楽家というのはまことに狭き門といえそうです。
では音大に職業的レリバンスがないかといえば、まあ文学者(とか作家とか)になる人以外には文学部教育の職業的レリバンスはないという立場をとるなら、音大のそれもかなり貧弱なものにとどまりましょう。ただ、もう少し寛大に考えると、たとえば教員や指導者になるという道もあり、これは思いのほか多いようです。もっとも、それでは何割かとか何人かということは(あとから川喜多先生が実際に質問されましたが)はっきりしないようすが、しかし調べようがありませんというのもわかるわけでまあ仕方ないよなという感じはします。また、これも内容は多様で、音楽科の教員のような立派な定職もあれば、ヤマハ音楽教室の講師でけっこうな収入を稼ぐ人もいるでしょう。いっぽうで自宅で近所の子どもを集めて教えて家計補助的な収入を得ています、という人もけっこう多そうで、家計補助的収入が得られることをもって大学の職業的意義かと問われれば迷うものはあります。
さてキャリア教育という意味では、演奏家や指導者になったからといって演奏技術だけで生きていけるはずもないわけで、まあこれまたトップ水準の演奏家であればマネージャをつけたりすることもできるでしょうが、現実には多くの場合は社会的には「自営業者」ということになるでしょう。となると、自営業者として生きていくのに必要な知識やノウハウを教えるのは音大のキャリア教育として非常に重要である…ということでそうした教育が行われているようです。指導法なんかはキャリア教育ではなく正課のほうにあるのでしょう。
次に「音楽関連産業への就職」によって被雇用者となるという進路もあるわけで、報告者はその問題点として「地域ミスマッチ*1」をあげていましたので、そこから想像するにこういう進路も相当あるのでしょう。具体的には楽器・楽譜はじめ音楽関連商品の製造・販売、音楽会などのイベントの企画・運営、ほかにもいろいろありそうです。もっとも潤沢にあるというわけではないようで、音楽産業はIT化で産業構造が激変し、就職をめぐる状況も変わった(増えたか減ったかはわからないようです)とのことですし、演奏会などの類は文化庁の助成が減少するなどして減っているようです。いっぽうで確かな演奏技術がこれら音楽関連産業の中で役立つ場面は多いとのことで、しかも増えているというのが報告者の見解でした。
もちろん、かつてはそれなりの規模で、近年も減ったとはいえ一定数は、音楽と関係のない職場に就職したり、そもそも就職しなかったりして、音楽は趣味として楽しむという人もいるそうで、そういう人には音大の職業的意義はなかったけれど、人間的意義はありましたということになるでしょうか。まあ職業的意義というのはこうした個別のあてはめではなく、大量観察した平均値として定義されているのかもしれませんが、しかしキャリアデザインという意味では個別が大切なのですが…。さらに、趣味として音楽を楽しむ中で、たとえば社会奉仕として老人保健施設などで演奏する、という人もいて、中には有償ボランティアでやる人や、NPO法人を設立してやる人もいるそうです。
ということでキャリア教育ですが、まずやはり自分は音楽を職業にするのか(演奏家、教員、指導者)、それとも音楽の技術を生かしつつ別の職業につくのか、ということを考えさせるというステップがポイントとのことでした。なぜかというと、音大に入るような学生はごく幼少のころから音楽を学んでおり、音楽が自身のアイデンティティと密接不可分になっていることが多いのに加えて、音楽を学ぶには高額のコストがかかることが多く、それもあって周囲の期待も高く、学生のプレッシャーも大きい。したがって進路選択は通常の学生以上に自我に大きな影響を与え、往々にしてメンタル不調につながるので、進路の方針を決める際には十分な配慮が必要なのだそうです。音大を出て音楽家にならないキャリア指導というのはたしかに難しいでしょうね。
もっとも、あとの議論の中でご自身も音大卒というキャリアコンサルタントの方が発言を求められ、音大に入るような学生であれば入学時点で卒業後に自分が音楽家になれるかどうかはほぼわかっている、という趣旨の発言をされました。ポピュラー音楽の世界では専門の教育を受けなくてもスターミュージシャンになれる可能性がある(もっとも、厳しいトレーニングを積んでデビューする人も多いわけですが)ポピュラー音楽に較べて、クラシック音楽はほぼ技量がすべてなので、わかる人にはわかるのかもしれません。
また、音大生の生活の大半は個人練習で占められている、要するに一人で孤独に練習に励む時間が非常に長いので、それだけ社会活動に関わる機会が乏しく、社会性が形成されにくいというのも悩みの種のようで、そこを克服するためにもインターンシップは有効だとのことです。
楽家にならない人についてはマッチングが非常に重要であることは容易に想像できるわけですが、現状では限られた音楽関連産業の就職口を指導教員のコネクションで紹介しているというのが実情らしく(と理解したのですが、違ったかもしれません)、システム化することが望ましいとのことで、どうやら報告者の主宰するNPOはこのマッチングと、その前のインターンシップ、あるいはキャリア教育などをセットで提供するというコンセプトのようです。話を聞きながらマッチングのシステム化というのは医師の医局みたいなものかなあと想像していたのですが、演奏家ならともかく音楽産業に働く人はそうは移動しないかな…などと考えていたところ、演奏家は移動が多いのでシステム化が難しい、といった話も出てきました。やはり海外留学なども多い業界なので、ある人が海外留学で仕事をやめる、その後任に同様の演奏技術を持つ人が欲しいがどこに採りにいけばいいのか…*2という場合には、医局みたいなしくみがあると便利なことがあるかもしれません。あれはあれで弊害もずいぶんあると言われているようですが。
そのインターンシップや実践的カリキュラムの具体例がまた面白かったのですが省略させていただいて、質疑応答の中では川喜多先生のご発言が印象に残っています。前述の「音楽だけで喰っていける人はいかほどいるのか?」との質問の際に言われたのですが、川喜多先生が地場の窯業を調査された際に、陶芸の世界では(地位を確立した作家は別でしょうが)芸術性の高い制作を行っている人ほど収入が低い。実用品を作らない人というのはことごとく配偶者の収入で生活している。音楽でも同じではないか、と言っておられてなるほどなと思ったわけです(報告者はいろいろコメントしましたが、結局はわからないということのようでした)。実際、報告者も前述のように趣味として音楽をやる中で有償ボランティアやNPO法人の活動に入り込む人もいるという例を紹介されましたが、この場合それで生計を立てているとはとても思えず、配偶者の所得で生活していると想像してそう外れてもいないでしょう。そこは音楽も陶芸も共通なのかもしれません。で、そうした芸術活動を自身が「職業」だと認識しているとしたら、これはまさに小倉千加子先生のいわれる「職業を消費できる勝ち組専業主夫(婦)」ということになるのではないかと、そんなことも考えたりしました。
いずれにしても、需要が少ない割には期間的にも金銭的にもコストが大きく、他分野への応用可能性もそれほど高くはないということを考えると、芸術教育の職業的意義はやはりあまり高くないのかなあと、まあ常識的といえば常識的な結論になるわけですが、ただ参加者からは芸術系や体育系の卒業生は集中力が高く、新しい分野の技術や知識を修得するのが速い傾向があるという指摘もあり、そういったジェネリックスキルの面では利点もあるのかなあとも思ったわけで、やはり多様な人材を採用する中で少数は芸術系や体育系の人もいたほうがいいのかな、といった感想も持ったのでありました。
このワークショップのあとはB-1セッションに参加したのですが、長くなりましたので続きは別途書きます。

*1:ちなみに音楽関連産業は東京、大阪と浜松市に集積しているそうです。

*2:プロのオーケストラの奏者とかなら、公募してオーディション…ということになるのでしょうが。