結論はやはり「中間的形態」

ダイヤモンドオンラインの「識者が語る日本のアジェンダ」というコンテンツに東大の本田由紀先生が登場され、「教育の社会的意義」について存分に?語っておられます。
http://diamond.jp/articles/-/9752
まあリンク先をお読みいただきたいのですが、冒頭から本田ワールド全開で、「若者に対する要求水準だけが、一定の経済成長が達成されていた時代よりもずっと高まっている」って本当かなあとか、「若者にはスーパーマンのように万能な力を期待する」ってそんな期待してないよねえとか思うわけですが、まあ現実に採用が抑制されていた時期はありましたし、「社会人基礎力」みたいなものが提示されたりしたこともあったので、誤解を受けるのも致し方ない部分もたしかにあります。実際「社会人基礎力」のレポートにあげられた項目をすべて満足すればそれはスーパーマンですが、もちろんそれを求めているわけではないのですが…。
で、本論の「教育の職業的意義」の部分は、大いに乱暴に申し上げてまあ教育学者・教育行政の領分だし、企業としては要望は出すものの最終的には出てきた人たちでなんとかするしかないわけなので思い切って(笑)割愛させていただいて、いきなり最後に飛びます。

――職業的意義の高い教育への変革が進められているなか、企業に求められる姿勢とは。

 いくら職業的意義のある教育を行ったとしても、雇う側が姿勢を変えなければ意味がない。企業側には、その人の学習経歴や取得している知識や技能を証明する資格(日本版NVQを含む)などを見て、配置や処遇をする新しい人の雇い方、働かせ方を一部導入することが求められる。それは企業にメリットがないかというと、その逆である。

 現在、非正規社員が増加しているが、企業は数年経てば雇用契約を打ち切るか正社員にしなければならないという選択を迫られる。その場合に、専門的業務のまま正社員にできるような「職務限定正社員」の仕組みを考える必要がある。仮にその業務がまったく必要がないということになれば、業務の消失に伴い雇用を解く契約をしていくような形式だ。

 いまは正規・非正規間で「ジョブ」と「メンバーシップ」のバランスが両極端になり、どちらも過酷な状況になっている。日本の正社員は、ジョブの輪郭はなく混沌としているのに対し、組織へのメンバーシップは非常に強固である。非正社員は、雇用の安定性は非常にもろいが、ジョブやタスクの輪郭については明確だ。

 そこで企業に求められるのが、「ジョブ」と「メンバーシップ」のバランスのとれた適正な働き方の提供だ。「ほどほどのジョブ」と「ほどほどのメンバーシップ」を備えた働き方を一部に導入していくことは、無理のある話ではない。職務限定正社員の層に厚みができてゆけば、履歴書に空白があったとしても、ある業務に関する力さえあれば、今までよりも安定した仕事に就くルートが広がるはずである。

 ネット上には、「高賃金でなくても、地味でもいいから、首を切られることを恐れずに落ち着いて働けるような仕事はないのか」という20代から30代の書き込みも多数見受けられる。柔軟な万能さを身につけていなくとも、ある特定の範囲の仕事をきちんと遂行しながら人々が生きていけるような働き方をつくることが、まっとうな社会なのではないか。
http://diamond.jp/articles/-/9752?page=5

以前連載した日本学術会議の「回答」を読んだときにも思ったのですが、こういうアプローチでもこういう結論になるのだなあと。いや大筋では大賛成です。
ただ、ちょっと気になるのが「いまは正規・非正規間で「ジョブ」と「メンバーシップ」のバランスが両極端になり、どちらも過酷な状況になっている」とか「「ジョブ」と「メンバーシップ」のバランスのとれた適正な働き方の提供だ。」と一面的に決めつけている感があることです。
もちろん、ジョブであれメンバーシップであれ、過酷な状況はよろしくないわけですが、それは限られた一部でしょう。一方にはやはりジョブであれメンバーシップであれ過酷ではなく、むしろ満足度高く働き生活している人も多いわけです。ジョブとメンバーシップの望ましいバランスは人により異なるわけですから、特定の働き方がすべて過酷であるとしたり、逆に適正としたりすることは好ましくないと思われます。「ある特定の範囲の仕事をきちんと遂行しながら人々が生きていけるような働き方をつくることが、まっとうな社会」であることはそのとおりですが、それは多様化を通じて実現されるべきものであり、すべての人にそうした働き方を強いるべきではないと思います。
というか、今現在「ある特定の範囲の仕事をきちんと遂行しながら人々が生きていけるような働き方」がまったくないかといえば、そうではないんじゃないでしょうか?むしろ、経営や人事管理のしっかりした中堅企業や、大企業でも製造業の現業部門など、それに近い働き方はけっこうあって、ただそれが経済の低迷と労働需要の後退で、いわば全体が縮む中でそれも縮小しているのではないかとも思うわけです。まあ、本田先生の主たる関心事は大企業の事務系ホワイトカラーに限られているのかもしれませんが。
なお思い切って飛ばした部分から一つだけひっかかったところを。本田先生は「専門性の高い高等教育」について「2年で実践的な基礎、3年目で指導・監督、4年で経営まで行えるような教育といったイメージ」とおっしゃられるのですが、うーん学部4年の教育で行えるほど経営って簡単なのかなあと思わなくはありません。というか、現実には人によっては特に「経営まで行える高等教育」を受けなくても体当たりで経営ができちゃったりもするわけですが。