週刊ダイヤモンド「解雇解禁」(3)

8月25日のエントリに対して、nsさんからコメントをいただきました。やや書き足りていなかったかなという反省もあり、返答を書いていたら長くなったので、新たにエントリを起こして回答させていただきます。
はじめにコメントを転載します。

 ns 2010/08/27 18:23
 全体的に責任論で解雇の当不当を論じていらっしゃるところから見ると、解雇の局面における労働市場部分最適に着目していらっしゃるようですが、今回の企画の論点は、労働市場全体最適を実現するために解雇規制が邪魔になっているという点だと思います。
 それが端的に現れているのは、労務屋さんが第4段落で触れられている「企業、上司の『使い方』ゆえにタダ乗り社員化」してしまったという事例です。
責任論からいえば、企業・上司の責任だから一概には解雇を正当化出来ないんだよということでしょうが、企業・上司が完全無欠になることは決してないことを前提とすれば、企業・上司と労働者の関係を最適化する方が望ましいから金銭補償なりなんなりでより力を発揮できる職場を探してもらう方がお互いにWin-Winの結果を得られるのではないかというのが今回の論点のはずです。
 そういう意味では、これまでの規範そのものが無駄でないかということから疑って係る必要があるのではないでしょうか?

まず「全体的に責任論で解雇の当不当を論じて」いるとのご指摘については、たしかに私は労働法などに関してそうした議論をすることもありますが、ここではカテゴリを「人事管理」にしているように、社員が特別な労務を提供することの対価として「容易に解雇されない」という労働条件を設定しているという観点を中心にしています。まあ、解雇規制の議論なので当然法制度をめぐる話になるわけで、最初に「前提が「日本では大企業正社員の解雇が困難である、それは法制度によって厳しく規制されているから」というレベルで議論されている…労働者にこれだけのものを求めている以上、そうそう簡単に解雇を許すわけにはいきませんよ、という考察が欠けている」と書いていますので、そういう誤解を与えてしまったのかなあと反省していますが、その直後に経営者の実感の推測として「労働者は同じように働いてくれて、それで解雇だけはもう少しやりやすくなるならいいなあとは思うけれど、そりゃ無理だよね」と書いて、それ以降は一貫して人事管理の話を書いているつもりです。
次に、私が「解雇の局面における労働市場部分最適に着目して」いるとのご指摘ですが、後段(労働市場部分最適に着目)に関してはそのとおりで、私は人事担当者ですから企業にとっての部分最適にまずは関心が向かうことは御容赦いただきたいと思います。その部分最適を考えるにあたっては、人間生まれつきタダ乗りとマジメのどちらかに決まっているというものではないのですから、人事管理で男を女にすることはできない*1けれど、タダ乗りをマジメにすることは(簡単ではないけれど)できないことではないよねえ、というか、それが管理職や人事担当者の仕事でしょう、と考えるわけです。
ですから、25日のエントリ本文で「企業、上司の「使い方」のゆえにそうなる」というのも、nsさんは「タダ乗りになる」と受け止められたようですが、私の意図としては「マジメになる」と「タダ乗りになる」の双方を指しているのであり、さらにどちらかと言えば「マジメになる」のほうに関心の中心があります。このあたりは、私の書き方が不十分だったかもしれません。
前段(解雇の局面における)に関しては、仮にこの人はどうにもタダ乗りから脱せそうもないねえという人がいたとしても、ペナルティを与えたいのであれば降格や降給という方法もあるし、それでかなり効き目があっておとなしくなるでしょうから、すべて解雇して排除する必要もないだろうなと思っているわけです。実際に解雇があり得るということになると、他の社員に対しても少なからぬ影響が出てくるでしょうし。
また、「今回の企画の論点は、労働市場全体最適を実現するために解雇規制が邪魔になっているという点だ」とのご指摘ですが、私はこの特集からはそうした印象はまったく受けませんでした。もちろん新幹線車中でざっと読んだ印象で、細部まで熟読したわけではないので一言くらいはそんなことも書いてあったかもしれませんが、しかし全体の筋書きとしては(典型的には)中高年男性正社員とそれ以外の人たちとの「格差」を問題視し、かつその中高年男性性社員の中に相当の「タダ乗り正社員」がいて、彼らが解雇されないのはひとえに解雇規制の故であって、それはひいては日本企業の負担を高めて国際競争力を損なわせ、雇用の喪失につながるであろう…といったものだったと思います*2
したがって、nsさんの「企業・上司と労働者の関係を最適化する方が望ましいから金銭補償なりなんなりでより力を発揮できる職場を探してもらう方がお互いにWin-Winの結果を得られるのではないかというのが今回の論点のはずです。」というご指摘には「いや私は今回の論点はそれではないと思いますが」とお答えするよりないわけですが、いっぽうでnsさんと類似の展開をされる論者も存在しますので、それに対する私の意見も少し書いてみたいと思います。
さて、周囲からみてもあれは解雇されて仕方ないよねというタダ乗りの甚だしい人や、解雇しないと職場がもたないような害悪を流す人も(少数でしょうが)いることはいるでしょう。そういう人が解雇されても周囲の士気や意欲に悪影響が及ぶことは少ないでしょうから、金銭解決なりなんなりで解雇すれば会社はWinを勝ち取ることができるでしょう。問題は解雇された人のほうで、こちらもWinにならなければWin-Winとは言えないわけですが、常識的に考えてなかなかそうはなりにくいのではないでしょうか。こうしたケースでは一定の手続き(再三の指導、職務変更などの努力を重ねても効果がなかったことが記録されている)を経れば合理性・相当性のあるものとして堂々と?解雇できるわけで、なにも労働者にWinを取らせる必要はありません(多少は取らせたほうが丸く収まるのであれば解決金を払うのもいいでしょうが)。
いっぽう、能力を持ちながら組織の事情でそれに見合った職務が付与されていないというケースはある程度多いものと推測されます。こういう人は転職したほうが活躍できる可能性があるわけで、それに成功すればたしかにWin-Winの形になります。とはいえ、成功の保証があるわけではなく、通常は失敗のリスクも相当あるわけですから、基本的には本人の意志によって行われるべきであり、企業が「解雇されたほうがあなたのためだから、解雇します」という外為オンラインの宣伝のような理屈はなかなか通りにくいでしょう。もっとも、過度に勤続奨励的な賃金制度は、社員の転職の選択肢を狭めてしまう危険性がありますので、各企業の人材戦略・要員計画に応じた適切なものに見直す必要はあると思われます。
いや、労働市場全体の効率が問題なのだ、これまでの規範がそもそもムダではないかという主張もありましょう。これについてはこのブログでも過去何度か書いたと思いますが、企業内訓練による能力向上がかなり損なわれることも考え合わせて本当に全体の効率が上がるのかという問題や、全体の効率のために一部の個人が犠牲になることをどの程度容認するのかという問題などがあり、さまざまな意見があるだろうと思います。記事にも国際比較のグラフがあったように思いますが、なかなか確定的なことはいえそうもなく、制度移行にともなう混乱などのコストも考え合わせれば、私は懐疑的です。

*1:もちろん性同一性障害などは人事管理上も難しい問題なので、断言するのは不適切かもしれませんが、まあ例え話ということでご了承いただければと思います。

*2:その中に「余剰人員が整理できないのが負担だ」という話が入り込んでこんがらかっているわけですが。