内定ゼロ

11日のエントリのフォローです。本日の日経新聞朝刊の「働く」頁に、「就活「納得できるまで」」という見出しの記事が掲載されています。厳しい就職戦線の中、とりあえず内定を確保しつつもより好ましい企業への内定を獲得すべく就活を続ける学生さんたちの様子を伝えています。内定率は過去最低水準とのことで、まだ先は長い(それがまた大変)わけですが、厳しい状況が続きそうです。
さて、その中にこんな記述がありました。

…ある私立大学経営学部の男子学生(22)は「これまで100社以上を受けて内定はゼロ」と言う。同じく内定ゼロという私立大学文学部の男子学生(21)は「企業に対してどうアピールしたらいいのか分からなくなってきた」と頭を抱える。
 長すぎる就活は、学生たちから自信を奪う。社会に羽ばたこうとする若者たちにとっては、厳しすぎる洗礼といえる。
(平成22年6月14日付日本経済新聞朝刊から)

11日のエントリの繰り返しになりますが、新卒正社員(大卒の幹部候補生、主に文系)採用試験というのは、出題範囲を決めて試験をやって採点して合計点の高い順に合格させるという大学入試とはまったく異なる試験です。それがけしからんのだ、採用試験も大学入試と同じようにすればどんなに楽なことか、したがってそうすべきだ、という意見は、情においてまことに無理からぬものがあるとは思います。走り高跳びのように、助走は何メートル、試技は何回まで、とルールが決まっていれば、180cmを跳ぶにはこうトレーニングしようとか、自分は頑張れば170cmまではいけるかもしれないとか、やり方もわかります。ところが、就活はさまざまな種目の組み合わせで、その組み合わせやウェートづけも明確でなく、しかも企業によっても面接員によっても判断要素や判断基準が異なってくるといったものなので、往々にして「企業に対してどうアピールしたらいいのか分からなくなってきた」ということになりがちなのでしょう。現実には、なかなか内定しないのは経済環境の問題も大きいので、内定しないからといって人格が否定されているわけではなく、すべてを自分の問題として引き受けないことがとても大切なのですが、しかし当事者としてみればなんとか就職を決めなければならないわけで、そうも言っていられないのでしょう。これはたしかに「厳しすぎる洗礼」かもしれませんが、しかし今後の人生においてはこうしたルールの不明確な中で結果を出すことを求められる局面もある(というか、キャリアを重ねるごとにそういう場面が多くなる)わけですから、これも成長の機会として捉えるくらいのタフさがあれば…しかし、それは20代前半の若者には難しい要求かもしれません。支援が必要とされるゆえんでしょう。
それはそれとして、深刻な記事に揚げ足取りで恐縮ですが、「これまで100社以上を受けて内定はゼロ」という話を時折目にするわけですが、1日1社受けたとして100社受けるには100日間が必要になります。OB訪問とかなら1日に2社、3社ということもあるでしょうが、「受ける」、特に面接などを受けるとなるとせいぜい2日に1社くらいのペースがせいぜいではないかと思うのですが、どんなものなのでしょう?学事日程尊重で平日は試験も少ないでしょうし…。まあ、3月から受け始めれば200日くらいは経っていますが…。あるいは、エントリーシートだけで終わった企業もカウントしているのかもしれませんが、しかしエントリーシートを出しただけでは「受けた」とはいわないような気がしますが…そうでもないのかな。あるいは合同就職説明会で1日に10社回った、とかいうのがカウントされているとか。このあたりの用語法は私が無理解なのかもしれません。しかしたとえば取材対象の学生さんが現実に数えてみると実際は50社くらいかもしれないけれど「気持ちとしてはもう100社くらい落とされたくらいのダメージ受けてます」という思いから「100社以上受けました」といった発言をそのまま真に受けて書いているのではないかという気がかなりするのですが。まあ本質的なことではないでしょうが、誇張して書いていると思われると記事の値打ちに響くと思うのですが、まあ余計なお世話ですが…。