連合総研「DIO」1月号

もうひとつご意見照会を頂戴している案件がありまして、だいぶ遅くなりましたが連合総研の機関誌「DIO」2016年1月号(通巻311号)の特集について少しだけ書きたいと思います。
ことの発端はこれに掲載された「希望としての定常型社会−成長戦略への対抗軸を求めて」という特集に対して、hamachan先生がブログで「正直言って、労働者の労働者としての利益を追い求めるために存在するはずの労働組合シンクタンクが、こういう(あえてきつい言い方をしますが)腹ふくれ満ち足りたブルジョワの息子の手すさびみたいな議論をもてあそんでいて良いのでしょうか、という根本的な疑問が湧いてくるのを禁じ得ません」と手厳しく苦情を申し立てられたことです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-1e75.html
これに対して、連合総研でこの特集を企画されたJAMの早川行雄さんがこのエントリのコメント欄で反論(というか、特集企画の趣旨説明を)され、さらに大原社研の金子良事先生がご自身のブログで取り上げられ(http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-416.html)、ここでも早川さんがコメントされる…という感じで盛り上がった、というのがことの経緯のようです。
さてそこで私の意見を、とのご要望をいただいたわけですが、しかし正直言って明確にビジネス・ユニオニズムの立場に立つ私としてはこの議論については意見と言われても特にありませんと申し上げるよりないように思うわけです(だから日記タグにした)。
ただまあそれだけでは芸がないので若干の感想など書きますと、今回の「DIO」を読むにあたっては重要なポイントがふたつあるように思いました。
ひとつめは前号との連続性であり、前号(2015年12月号、通巻310号)の特集「豊かさと幸せのモノサシを考える」との連続性を考慮する必要があるということで、そこでも「…安倍晋三首相も、2013年6月に策定した『経済財政運営と改革の基本方針−脱デフレ・経済再生−』では「今後10年間〔2013年度から2023年度〕の平均で、名目GDP 成長率3%程度、実質GDP成長率2%程度の成長を実現する」ことを日本経済再生の目標に掲げた」ことに対して「成長によって豊かさを実現する時代は、日本のような先進国ではとうに過ぎている。それに伴い豊かさを測る指標もGDPや成長率から、貧困や格差および雇用の安定を表す指標へと変わっている。求められているのは発想の転換であり、もはや成長の先に豊かさはないのである」(高橋伸彰「成長は豊かな社会をもたらすのか?」)などとしきりに経済成長をdisっているわけです。さらには坂本誠「人びとが多様性を育み、発揮できる社会を目指して」では、安倍政権による地方創生をdisりつつ、地域レベルでのさまざまな地域活性化の取り組みが紹介されていて、これは今号の広井良典「希望としての定常型社会」にある「ようやく賞味期限を過ぎようとしている“アベノミクス”のような政策が、他でもなく「限りない経済の拡大・成長」を追求するという性格のものだったことと重なっている。しかし他方において、特に近年の日本社会においては、そうした経済の量的拡大といった方向とは異なる次元で、新たな地域社会やコミュニティ、「豊かさ」のかたちに向けた様々な試みや動きが、“百花繚乱”のように各地で起こりつつある」という記述に呼応するようにも感じられます。
つまり、これがふたつめのポイントになるわけですが、この前号・今号の特集の意図は、今号の副題に「成長戦略への対抗軸を求めて」とあるように、一般的なアンチ経済成長ではなく、壮大なアンチ安倍政権(の成長戦略)の展開にあるのでしょう。実際、この2号に登場する各論者の経済成長に対するスタンスは実はバラバラで、「でもやっぱり経済成長はあったほうがいい」「別になくてもいい、困らない」「むしろないほうがいい」「善し悪しを言う前にそもそも無理」などまちまちです。逆に概ね共通しているのは「格差や貧困の拡大が問題であり再分配の強化が必要」という点で、これを労働組合を言うのはまあ普通のことのように思われます。
その時に、もちろん経済成長がないとしても再分配を強化することは不可能ではなく、経営者の報酬や株主の配当を減らして賃金を上げろと主張するのも労働運動としておおいにあり得るものでしょうし、私も配当の相当部分が海外に流出することを考えれば賃金引き上げのほうが国内にとどまる分望ましいとも思っています(もちろん貧困対策としても望ましい方向)。ただまあやはり経済成長があって利益が拡大しているほうが賃金を上げろとも言いやすいでしょうし、経営者の報酬や株主の配当以上に労働者の賃金を上げれば格差も縮小するでしょう。それが生産性運動の基本的な考え方でもあったわけで、私としては成長戦略もけっこうですが再分配もしっかり頼みますというほうが成長なんかしなくていいから再分配だけしっかりやれというより現実的かつ賢明ではないかと思いますが、まあ生産性運動に否定的な労組や活動家というのも存在しますのでねえ。
とはいえ成長なんかどうでもよくて分配を改善しさえすればみんな幸せになれますというのは相当に民主党政権の政策を想起させるわけで、いまだにそれを唱えているというのは民主党政権の失敗からなにか学んだのかしらとは思うなあ。
ただまあ最後の筒井淳也先生の論文では「成長」という語は1回しか出てこないうえに、その1回で「再分配か成長か、金融緩和か構造改革か、といった政策対立はその一部である。/しかし、深刻な対立状態にある二者が、実際には目的を共有し、ただ手段で食い違っているようなことがしばしばある。再分配政策を含む政策の対立はほとんどがこのケースだろう」と述べられてもいるので、最後にこれを持ってきたところをみると特集の落としどころは案外「再分配も成長も」ということなのかもしれません。そもそもこの両者が排他的に対立するとも思えないわけで。
なお個別の論文についても簡単にコメントしますと、前号の高橋論文については上記でほぼ尽きていると思います。桑原進「日本はなぜ、主観的幸福度が低いのか」はデータにもとづく興味深い分析で面白く読みました。結論については指摘された要因のほかにもいろいろありそうですが。坂本氏の紹介も事例なので面白いのですがやや独善的というか、多様性を連呼する割には排他的な印象を受けるのは私の心がけがれているからだなきっと。
hamachan先生がかみついておられる今号の広井論文と水野論文については、広井先生の所論はやや牽強付会の感があります。たとえば「「環境パフォーマンス指数(EPI:EnvironmentalPerformance Index)というイェール大学で開発された総合指数を使って」福祉と環境に相関があり、日米は福祉が貧弱だから経済的競争が激しくなる結果環境パフォーマンスが低下すると主張されるのですが、この指数の中身を見てみるとたとえば大気汚染については大気中のPM2.5濃度で評価しているのですが日本のPM2.5濃度が高いのは日本の福祉が貧弱だからだと思う人は東アジアにはいないだろうと思うなあ。あるいは同じく福祉と環境の関係をとらえて「スイスやドイツ、北欧など…の国々が「持続可能な福祉社会」ひいては「定常型社会」の像に近い国々と言える」と述べ、行きがけの駄賃でちゃっかり「ドイツは脱原発を進めており、デンマーク原発をもっていない」と原発もdisり、「…家族や集団を超えた「分かち合い」への合意が浸透しているということでもあり、つまりこれら「福祉/環境」関連指標や社会像の背景には、そうした人と人との関係性(ひいては人と自然の関係性)のありようが働いているのだ」とまで絶賛しているわけですが、しかしこれら諸国のシリア難民に対する態度を見ていると「家族や集団を超えた「分かち合い」への合意が浸透している」のも自国民限定のようには思えます(まあそれが悪いたあ言いませんが)。難民からは財産を取り上げると言っているのはどこの国だったかなあ(エネルギー政策に関しては端的に専門外なのでしょうから致し方なかろうと思う)。
水野論文は相変わらず成長はもう無理なんだから徐々に貧しくなっていくしかないしそれで満足すれば幸せでしょ(大幅に意訳)という敗北主義で読むに値しないという感じです。井手先生の論文(井出英策「救済から必要へ−寛容な社会と格差是正」)も「私たちは、経済成長に依存しなければ生きていけない、そんな社会を作ってしまった。…では、どうすれば…それは「誰か」を受益者にするのではなく、「誰も」を受益者にすることである。そして、そのために必要な財源に関しても、「誰か」が負担するのではなく、「誰も」が負担する仕組みを作り出すことである」とかいう話でどこのソ連邦かと思う
筒井論文については事実関係でおやという部分があり、筒井先生はここで「日本を大幅に上回る再分配効果(再分配前の不平等が再分配によってどれほど縮まるのか)を誇るスウェーデンは、再分配前の時点ですでに日本よりも随分と格差が小さい。この当初格差の小ささこそが、大きな再分配にもかかわらず(少なくともこれまでは)深刻な社会的分断を引き起こさなかった理由である」と書いておられるのですが私の頭に入っていたのは平成21年版経済財政白書のこのデータhttp://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je09/09f32120.htmlであり、これだと「スウェーデンは、再分配前の時点ですでに日本よりも随分と格差が小さい」とは言えないのではないでしょうか(スウェーデンの再分配前の格差についてはもっと大きい資料を見たような記憶もある)。
ということで全体を通じての感想というか邪推になりますが、全部がそうとは言いませんが(少なくとも桑原先生と筒井先生にはそういう印象はない)多分にアベ死ね団の人たちのやることだから仕方ないのかなとはかなり思いました。いや私も現政権の政策がすばらしいとはおよそ思っておらず、再分配なんかはもっとしっかりやってほしいとも思っているわけですが、しかし「アベ政治を許さない」とか言ってすべてを全否定しようとかかると、まあ科学的な政策論にはならんよなと思うのですが。