リスクの公平負担

今朝の日経「経済教室」に、チャールズ=ユウジ・ホリオカ大阪大学教授と、神田玲子総合研究開発機構研究調査部長による「高まる個人のリスク、「社会」で公平負担が必要」という論考が掲載されています。
http://www.nikkei.com/paper/article/g=96959996889DE2E4E2E6EBEBE3E2E0E2E2E6E0E2E3E29997EAE2E2E2;b=20100421(要登録です)
私には目新しい論点でかっこいいのですが、まず例によってごく大雑把で乱暴な要約を試みます。

  • リスクが顕在化したときに、個人が全責任を負うことは必ずしも合理的ではなく、政府によるセーフティーネットを含む所得再分配政策と、市場機能がリスクを軽減する上で重要な役割を担う。
  • エスピン・アンデルセンによれば、先進国の政策体系は(1)市場メカニズムによる分配を重視する「自由主義ジーム」(米国)、(2-1)税制を通じた政府による所得再分配を重視する「社会民主主義ジーム」(スウェーデン)、(2-2)企業、家族などによる共同扶助を重視する「保守主義ジーム」(フランス)に分類できる。日本の政策は、所得再分配機能が弱い点では自由主義ジーム、家族や企業など「共同体」による共同扶助を重視する点では保守主義ジームの特徴を持っているが、そこに不可欠な「リスクが顕在化した人に対するセーフティーネット」の脆弱さが深刻な欠陥である。
  • こうした日本の政策の欠陥を是正にあたり、既存の政策レジームを模倣する必要はない。無理当てはめようとすると、かえってコストが大きくなる。
  • 「共同体」によるリスクシェアは非効率的で不公平であり、脱却すべきである。雇用契約を多様化し、比較的低い賃金だが解雇リスクも低い組み合わせの契約と、成果報酬による高い賃金の代わりに解雇リスクも比較的高い組み合わせとの間で選択できるようにすべき。同時に、規制緩和による競争力強化・経済成長・雇用機会拡大、金融市場でのリスクシェア手段の充実、より寛容な破産法制の整備など、効率性重視の姿勢を自由主義ジームから学ぶべき。
  • 社会のリスクを男女、正規・非正規、年代、未婚・既婚等、有子・無子の人が公平にリスクを分担する社会とすべき。差別禁止法を強化し順守させる、保育サービスを充実させる、高齢者に大きく偏った公的支出を世代間でより公平に配分するなど、公平性重視の姿勢を社会民主主義ジームから学ぶべき。ただし、給付は真に保障を必要とする人に限定する。

 これは「個人」が過重なリスクを負担せずに「社会」が公平にリスクを負担する「リスクの社会化」へのシフトを意味する。

さて、本文中で「ここで重要な点は、既存の政策レジームを模倣する必要はないし、無理に日本に当てはめようとすると、かえってコストが大きくなることだ。例えば、政府による手厚い所得再分配を行っている社会民主主義ジームに移行することは、巨額の公的債務を抱える日本にとって非現実的である。」と述べられているのはまったくそのとおりだと思うのですが、しかしここで提案されている「レジーム」も「無理にあてはめようとしてかえってコストが大きくなる」危険性がかなりあるように思われるのですが、どんなものなのでしょうか。
労働について申し上げれば、本文ではこう述べられています。

 企業間の国際競争が激化する中、強い雇用規制を課して国内企業に過度な雇用コストを担わせると、企業の生産性・競争力が低下し、皮肉なことに雇用がかえって減ってしまう恐れさえある。しかも、強い雇用規制は、既存の正社員の雇用を保障するが、他方で失業者の失業期間を長期化させ、若年世代の失業率を高め、就業率を引き下げる。この点は内外の実証研究から明らかである。
 言うまでもなく、我々は企業による雇用保障の撤廃を求めているわけではない。我々が提案しているのは、雇用契約を多様化することだ。被雇用者が、比較的低い賃金だが解雇リスクも低い組み合わせの契約と、成果報酬による高い賃金の代わりに解雇リスクも比較的高い組み合わせとの間で選択できるようにすべきだということである。
 同時に、日本は増大する雇用リスクを軽減するために、規制緩和によって競争力を強化し、経済成長を高めて、雇用機会を拡大させるべきである。

いつも思うのですが、ここの議論が経済学者の先生方となかなか噛み合いません。繰り返し書いていますが、現実に人事管理にあたっている実務家からみれば「賃金」も「解雇リスク」も総合的な労働条件のパッケージのそれぞれ一要素に過ぎません。現実の労働条件は、賃金や解雇リスクだけではなく、仕事の内容をはじめ、責任や権限の程度、職場環境、労働時間、勤務時間や勤務場所の自由度(裏返せば残業や転勤の有無といった労働への拘束度)、スキルアップやキャリア形成の可能性といったもののトータルなパッケージになっています。働く人も、「地方勤務はいやだからキャリア形成に制約があっても仕方ないな」とか、「これは自分の好きな仕事だし専門性も向上するから賃金は多少低くても喜んでやります」とか、いろいろなことを総合的に考えています。
また、人によって総合的労働条件パッケージの水準が違ってくることも当然で、極端な話ですがヒット商品を生む可能性の非常に高い50歳のデザイナーがいるとしたら、それこそ総額200億円の30年契約、秘書と専用車、執務室付きだけど経費は自分で払ってね、といった「総合的労働条件パッケージ」だって十分ありえます。
ですから、「被雇用者が、比較的低い賃金だが解雇リスクも低い組み合わせの契約と、成果報酬による高い賃金の代わりに解雇リスクも比較的高い組み合わせとの間で選択できるようにすべきだ」というのは、他の条件がすべて同じであり、かつ各労働者個人のレベルでのみ成り立つ話です。雇用の多様化もそういう前提で進めるべきであって、現行レベルの法的保護付雇用保障もあっていいし、就労の実態に応じて賃金や労働条件などの柔軟な調整も認められていいでしょう。
雇用機会の拡大はまったくそのとおりで、雇用リスクが高いと感じた労働者が、他の様々な条件も考慮にいれて、より雇用リスクの低い職に移ろうと判断することは自然なことであり、基本的に望ましいことでしょう。もちろん、それが生産性の高い労働者であれば去られる企業は困るかもしれませんが、それに対しては労働者の望む雇用リスクの低減が容認可能かどうかの判断になるわけです。いっぽう、社会全体でみれば雇用リスクが低く、仕事が安定しているほうが望ましいことは自明だろうと思いますので、雇用が不安定になってリスクが高まるけれど雇用が拡大しているからそれでいいだろう、という議論には賛成できないものがあります。
本文ではもう1か所、労働に関連してこうした主張もされています。

 最後に、社会のリスクを一部の弱者にしわ寄せするのではなく、男性と女性、正規社員と非正規社員、青年・壮年・老年、未婚者・既婚者・離婚者・死別者、子供のいる人・いない人がともに公平にリスクを分かち合う社会を構築すべきである。その具体的な手段として、性別、年齢などによる差別をなくすための法律を強化し、徹底して順守させること、子供のいる人が働きやすくなるように保育サービスを充実させること、公的支出を世代間でより公平に配分することが考えられる。日本の現在の公的支出の配分は高齢者に大きく偏っている点に問題がある。

まあ差別禁止が正義である、というのが正論であるには違いないでしょうが、しかし「法律を強化する」となるとその与える影響は十分に考慮に入れる必要があるでしょう。たとえば、極論ですが「男女の差別をなくすために育児休業取得は男女(両親)同一日数でなければならない」という「法律の強化」を行ったとしたら、公平といえば公平ですがこれは大いに効率を下げるでしょうし、多様化にも逆行することは確実です。あるいは、事実上「定年までの(片務的な)長期の有期雇用」である定年制を年齢差別として禁止することも、結果的に非効率を招く可能性が大きいように思われます。経済学の理論には「公平にリスクを分かち合う」ことで効率も最大化するという定理があるのかもしれませんが、現実社会がほんとうにそれでうまくいくかどうかは十分な検証が必要でしょうし、そもそもそのような「効率の最大化」が多数の民意として要請されているのかどうかの確認も必要でしょう(もちろん、社会制度の中には、保守的レジームのもとに効率を阻害しているものも多くあって、その見直しが必要であることは私も同意するところですが。為念)。
それに続く保育サービスの充実は私も大賛成です。子どもがいて働きにくいことが社会的にシェアすべきリスクなのかどうかは議論があるところかもしれませんが、育児に外部経済があるのであれば(あると思いますが)一定の公的な助成や子のない人からの再分配もあってしかるべきでしょう。また、高齢者に大きく偏った公的支出の配分を見直すことも基本的には賛成です。後に出てくるように「ターゲティングの考え方を採用」することで効率を高めつつ是正をはかることができるでしょう。
最後にもう一度、著者らは「学ぶべきことは、政府による手厚い再分配政策ではなく、社会における公平なリスクシェアのあり方である」と述べているのですが、私はなんとなくそれで持つのだろうかという心配を感じます(根拠はありませんのでまったくの感想です)。いかにリスクがシェアされたとしても、リスクが現実になるときにはそれは一部の人に集中したり、ある属性に偏ったりすることのほうがむしろ一般的なわけで、その「結果」に対しては政府がある程度は再分配で対応する必要があるのではないかと思われます。というか、本稿でも「「リスクが顕在化した人に対するセーフティーネット」の脆弱さ」を指摘しているわけで、これはリスクを公平にシェアしただけでは強化できないと思うのですが、違うのでしょうか?まあ、私のアタマもいささか混乱している感もあるので、私の理解不足なのかもしれませんが…。もちろん、社民主義の手厚い再分配をそのまま模倣する必要はなく、それこそ必要な人に必要な再分配を「ターゲティング」でやればいいのでしょうが、とはいえリスクシェアを大いに重視し、再分配政策その他をかなり軽視するという本稿のスタンスは、私には均衡を欠くもののように思われます。まあまったくの感想ですが、しょせん完全に公平にはならないし、結果は偏るわけですから、リスクの公平負担に血道をあげるよりは、適切な再分配を考えたほうが政策的に効率的なような気がするわけです。