東京財団「新時代の日本的雇用政策」

先月、東京財団政策研究部から「新時代の日本的雇用政策〜世界一質の高い労働を目指して〜」という政策提言が発表されました。
http://www.tkfd.or.jp/admin/files/2009-14.pdf
「会社の本質と資本主義の変質研究」という遠大そうなテーマで行われている一連の研究の一つということなのですが、すばらしくいいことを言っているかと思うといきなり吹くようなトンデモが出てきたりと、なかなかの代物なのでご紹介してみたいと思います。
表紙をめくるとすぐに「本提言について」という囲みがあるのですが、

 本提言は、東京財団の研究プロジェクト「会社の本質と資本主義の変質研究」における研究成果である。
 日本の雇用政策の新たな理念として「労働者の技能蓄積と生産性の向上」を掲げ、最新の経済学の研究成果も踏まえながら現行制度の問題点を検討、政策提言パッケージに取りまとめた。
http://www.tkfd.or.jp/admin/files/2009-14.pdf、以下同じ

いきなり「日本の雇用政策の新たな理念として「労働者の技能蓄積と生産性の向上」」ときたもんだ。いや、もちろんこれは非常に重要な理念で、そこには異存はありません。ですから、「古くて新しい理念」とかならまだわからないでもないのですが、しかしこれは「労働者の技能蓄積と生産性の向上」がこれまで日本の雇用政策の理念ではなかったと主張しているんですよね?これにはさすがに労働官僚はじめ多くの方々に異論がありそうですが…hamachan先生はどうお考えになるだろうか。
で、次のページから【本提言の全体像】というエグゼクティブ・サマリーが始まるのですが、すでに頭がくらくらと…。
続く本文を読んでみると、とてもいいことも書いてあるのです。たとえば本文最初の「【1】雇用の本質と技能蓄積−雇用政策の視点」では、こんなことが主張されています。

 雇用の議論において私たちが陥りがちな罠は、ある特定のモデルを理想とし、単純に日本に当てはめようとすることである。「デンマーク型がよい」「いや、オランダだ」「アメリカのように解雇を自由にすべきだ」などといった議論は巷にあふれている。しかし、雇用というものは、制度上の「見かけ」を一緒にすれば外国と同じように現場が動くという性質のものでは決してない。
 日本には400 万社を超える企業があり、5000 万人を超える労働者がいる。人口構成や産業構造、そして、経済における様々な「強み」は当然他の国とは異なっているし、国内でも地域や業種によって異なる雇用慣行を持っている。各国の労働制度やその改革を学び、参考にすることは重要であるが、「見かけ」だけを真似た制度改革に走ると予期せぬ落とし穴に陥る危険性がある。
…たんに法律だけが労働のあり方に影響を与えているわけではなく、現実の社会における慣習や当事者の意識、企業の選択する技術形態や労働者の技能形成のあり方、家族形態のあり方などが様々な面で補完している部分が非常に大きい。そうした事情を無視して、制度を考えることはできない。
 とりわけ日本の労働法は、これまで使用者と労働者の関係に過度に介入せず、基本的に当事者同士の話し合いや職場内のルールを尊重してきたという特徴がある。労働法の裁判例でしばしば取り上げられる、「公正性」「公平性」といった概念も、詳細に事案を見れば職場内の習慣やメンバーの納得といった意味での「公正性」「公平性」であり、ここにも当事者間の合意や慣習を尊重する姿勢がみられる。
 これらの事情は、どの国にもあてはまる理想の労働システム(たとえば「デンマーク型」というような)があり、そこに一足飛びに移行しようとするアプローチは、危険が大きいことを示している。

非常に適切な指摘で、これを見ると後の内容に期待が高まるのですがねぇ。
ところが、具体論に入るといきなりこんなのが出てきてしまうのです。

(政策提言)
 最低賃金を引き上げ、それを生産性向上の起爆剤とする。期間と上げ幅の大枠を決定し、それを事前に宣言した上で段階的に引き上げていく(例えば10 年かけて東京地域の最低賃金を1000 円まで引き上げるなど)
最低賃金の引き上げに企業が対応できるよう、先行して企業内訓練に対する支援の充実と投資減税の拡充を行う
社会保険制度における、いわゆる「130 万円(103 万円)の壁」をなくす

まず為念申し上げておきますと、低賃金の仕事は基本的にはバッドワークであることが多く、たとえば自動化投資や職場環境改善投資などによって解消していくことが望ましいという考え方には私も基本的に賛同します。また、最低賃金をはじめ、労働条件全般を改善していくことが望ましいことにも異論はありません。
ただ、このブログでもたびたび書いていますが、「生産性向上→労働条件向上」というのが正常な筋道であり、これを転倒した「労働条件向上→生産性向上」は、理屈としてはありうるし、可能性もあるのかもしれませんが、しかしこうした社会主義計画経済的な政策はやはりうまくいかないとしたものでしょう。
この提言では、「最低賃金が上昇するとき、労働力の買い手である企業が支払わけければならない賃金は上昇し、企業は雇用を減らそうとする。この結果、最低賃金の上昇は雇用を減少させ、失業を生み出す」という一般的な見解に対して、「一橋大学の神林龍氏、川口大司氏、山田憲氏らの実証研究」を引用して反論しようとしています。

 下記のグラフは実際の青森県と東京都の賃金分布を1994年と2003年で比べたものである。最低賃金の上昇に伴い、最低賃金以下の部分については、消滅しているが、最低賃金のすぐ上の部分にコブのような盛り上がりが見られる。すなわち、この賃金水準の付近に新たな雇用が創出されている。同研究論文によると、消滅した雇用は新たに創出された雇用と相殺され、トータルでは全体にはほとんど影響を及ぼさない程度である。

ここまでは実証研究の成果なのでとりあえずそのとおりでしょう。ただ、こうした結果となった理由については実証されているわけではなく、したがって続くこの推測にも疑義を感じざるを得ません。

…たとえば、スーパーマーケットなどで、レジ打ちの仕事をしている労働者に
ついて考えてみよう。最低賃金が上がってきたとき、企業はどう対応しているかというと、典型的には設備投資をしてレジマシンを導入(または改良)し、その分陳列棚の管理を任せて生産性を高める、といった対応がなされる(あるいは、それまで陳列棚管理・発注を担っていた人にレジもまかせる、といったことも行われる)。こうすることで労働者の技能が高まり、職場としての生産性も高めて対応しているのである。

実務家の実感としては、この推測が現実であるとはなかなか納得しにくいものがあります。理屈の上でも、最低賃金が変わっても全体の仕事量・出来高が不変だとすれば、仮にこうした対応(時間あたり出来高が向上するような方法)で生産性が上がったとしたら、(出来高が変わらない以上)それこそ全体の雇用は減少しなければ辻褄が合いません。
もちろん、レジマシンの導入・改良などは現実に不断に行われているわけですが、これは労働者の賃金が上がったために投資の損益分岐点が上がったというよりは、顧客の利便性向上を通じた売り上げ増による回収が意図されていることがほとんどでしょう。労働者の技能向上も日常的に行われているはずで、ことさらに最低賃金が上がったから行われたというものとも思えません。もちろん、日常的に技能や生産性の向上を通じた売り上げ増がはかられている以上、それは別途労働条件全般の改善に資しているわけで、それにより最低賃金引き上げの影響が一部吸収されたであろうことも間違いないでしょうが。
現実に起きたのは、おそらくかつての最低賃金近傍で働いていた人たちの賃金が新たな最低賃金の近傍にまで上がり、そこに「コブ」ができる一方で、より高い賃金を得ていた人たちの賃金の上昇が抑制されることで総額人件費は維持される、つまり再分配の強化ではないかと考えるほうが、実務家としては納得がいきやすいものがあります。もちろん、再分配が強化されたこと自体は最低賃金引き上げの効果ですから、それに対する評価は別途なされる必要がありますが。
したがって、当然ながら日常的な生産性向上と再分配で対処できなくなったとすれば、一般的に考えられているような雇用の減少が起こると考えるべきで、実際この提言でもこう書いています。

…生産性向上の余力を超えた最低賃金の引き上げは単に雇用を失わせるだけの結果をもたらすため、注意が必要である。現在、最低賃金の決定については、中央最低賃金審議会が「目安」を決め、それをもとにして各都道府県ごとの地方最低賃金審議会が決めるという手続きになっている。
 生産性向上の“余力”は地域によって異なると考えられるため、引き続き地域ごとの決定方式は維持されるべきである。また、可能であれば地域という要素に加え、業種という要素も加えることができればさらにその機能が高まることとなる。

しかし、“余力”を測定することは至難の業でありましょう。審議会でどれほど正確に決められるものか、はなはだ疑問と申し上げざるを得ないわけで、繰り返しになりますがこうした社会主義計画経済的なやり方がうまくいくとは思えません。やはり、実現した生産性向上に応じて最低賃金(などの労働条件)を引き上げていく以外に現実的な方法はないではないかと思われます。
次は派遣労働なのですが、

(政策提言)
・労働者派遣法における、「常時雇用」の定義を、期間の定めなく雇用されている者のみとする
・従来からの禁止業務(港湾運送・建設など)と専門26業務を除いた業務(製造業務も含む)については、登録型派遣は認めず、「常時雇用」(無期雇用)の労働者のみ労働者派遣事業を認める。これらの業務については、派遣期間の制限を設けない
・労働者派遣業事業はすべて許可制としたうえ、設立時の最低資本金規制、供託金制度を設け、参入規制を強化する
・専門26業務については、業務の専門性の有無、業務の危険性の有無、技能蓄積の機会の有無、といった幅広い観点から、抜本的な見直しを行う

前半はひたすら派遣労働者の雇用の安定を意図しているのですが、本文でも以下のように指摘しているように、たしかに労働者の能力向上のためには雇用の安定=勤続の長期化が望ましいことは間違いないでしょう。

 無期雇用型派遣では、労働者と期間の定めのない雇用契約が結ばれているため、派遣先がない場合にも給料の支払いが必要であり、派遣会社には自社の労働者への引き合いがなるべく増えるよう研修を行うなど、社員の技能蓄積のための教育訓練を行うインセンティブがそもそも存在する。現に、主にエンジニア派遣において多く用いられる労働者派遣事業の形態である。
 一方、登録型派遣の場合は派遣先がないときには雇用契約は結ばれないためコストもかからず、教育訓練のインセンティブはない。したがって、労働者の技能蓄積という観点からは、無期雇用型派遣が望ましい。

これはこれでそのとおりなのですが、もっと大事なことがあって、やはり労働者の能力は実務を通じてOJTで伸びていくわけです。ですから、同じ派遣先である程度以上長期勤続することが望ましいことになります(以前、関連する実証研究をhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100302#p2で紹介しました)。したがって「派遣期間の制限を設けない」ということもたいへん大事だということになりますから、これは適切な提言といえます。ちなみにこれ以降も触れますがこの提言では実務を通じたOJTという観点が随所で欠落しており、それが決定的な弱点となっているように思われます。
ただ、これも何度も書いていますが、こうした規制強化は登録型派遣が持つ「派遣労働者が仕事を選べる」というメリットを失わせることには大いに注意が必要でしょう。無期雇用派遣だと、たしかに仕事のないときに教育訓練を行うインセンティブがありますが、それ以上に仕事のないときになんらかの仕事を行わせるというインセンティブが強く働くでしょう。当然ながら無期雇用であれば使用者の命じる就労先で派遣労働しなければならないという労働契約になるでしょうから、派遣労働者は気の進まない派遣先であっても就労せざるを得ません。
それに対し、登録型派遣ではあれば、派遣労働者は自ら職安に出向いて仕事を探す必要もなく、希望の条件を登録しておけばそれに合う仕事を派遣会社が提示してくれて、その中から好みにあうものを選んで就労することができます。複数の派遣会社に登録することでより多くの仕事の提示を受けることも可能になります。仕事を選びたい、気の進まない仕事なら働かないほうがいい、という人にとっては、登録型派遣はかなり便利な働き方といえましょう。これを禁止してしまって、便利に使っている人から登録型派遣を取り上げるのが本当にいいことなのかどうか、私は大いに疑問に思います。
また、登録型派遣については派遣元が教育訓練のインセンティブを持ちにくいことはたしかに指摘のとおりなのですが、派遣先においては当然OJTなどがそれなりに行われることが期待できます。勤続が長くなれば、その水準も高くなるでしょう。本文では派遣先での能力向上についてあまり注目していませんが、むしろ派遣元によるOff-JTより効果的であることも多いと思われますので、この提言の議論はいささか均衡を欠いているように思われます。
さて、次はセーフティネットの話になるのですがスキップして、その次の有期雇用に行きたいと思いますが、これには一読してあっと驚かされました。かなり長くなりそうなので、明日のエントリに回したいと思います。