パネルディスカッション

さてシンポジウムの後半は私も参加したパネルですが、議論は非常に多岐にわたりましたので、印象に残った点をいくつか。
モデレータの樋口美雄先生がキーノート・スピーチをされたのですが、目指すべき社会と労働市場のあり方のビジョンを明確化し、その数値目標を設定して、労働政策だけでなく産業政策、科学技術政策、文教政策、税・社会保障政策をパッケージとして構築した「雇用戦略」の策定と、その推進状況をPDCAサイクルによって検証し改善していく必要がある、ということをしきりに強調しておられました。
まあ、たしかに現状では行政の「縦割り」もあって各種政策の有機的な連関という点では問題があることは事実だろうと思います。そういう意味では総合的な政策パッケージとしての「雇用戦略」の必要性も高いようには思われます。
問題はその実践で、ビジョンや数値目標というのは常に両刃の剣という性格を持っているわけで、それらを硬直的に捉え、方法論の吟味が不十分になってしまうと、その場は数値も改善してその点ではよかったようでも、いろいろなところにひずみが出てきて結局は全体がガタガタになってしまう…という危険性は重々認識しておく必要はあろうかと。特に景気の動向には十分留意すべきで、ダメな時期はダメで仕方ないんだ、というアタマをはっきり持っておくことが不可欠でしょう。
もうひとつ、ビジョンを作るにあたってはやはり多様な価値観を包摂できるものとすることが大切だろうと思うのですが、当日樋口先生がご提示された資料をみると若干価値観が単一的な印象もなきにしもあらずです。特定の価値観にもとづいてそれを規制的な手法で実現しようというのは、どちらかといえば社会主義・計画経済的な道であって、あまりうまくいきそうな気がしません(これはパネルの中でも申し上げました)。経済成長→雇用環境・労働条件の改善、という順序は見失わないようにしたいものです。
連合の長谷川裕子さんのご意見は、立場上どうしても意見があわないところはあります(笑)。とはいえ、組織を背負って出てきておられるのでしょうから若干不自由ではなかったかとは思われる中で、おおむね現実をふまえた具体的・実践的な内容が多かったことには感銘を受けました。実際、程度の違いはあるけれど、方向性としては似ている、という話が多かったように思われます。とりわけ、現在の労組に対して「正社員クラブ」などとの批判があり、労働界でも企業横断的で非正規労働も含めた組織を主張する向きも多いにもかかわらず、企業別労組のよさを十分に踏まえ、それを生かそうとの主張はおおいに共感できるもので、私も「企業別労組を大前提に」多少の応援をさせていただきました。
東大の水町勇一郎先生(教授ご昇任おめでとうございます)は、競争戦略と労働法制、雇用システムと労働法制に関するオルタナティヴを整理されつつ、集団的労使関係による「国家−産業・地域−企業・事業場」の各レベルを包含した重層的な社会的ガバナンスの基盤整備を提唱されました。
その中で、水町先生はEUの労働法制を好意的に紹介されたのですが、EUの労働法制の最大の問題点は水町先生ご自身も率直に認めておられたように「それで結果的にうまくいっていない」ことにあるわけで、そこから得られる反省もふくめ、わが国の労働市場や人事労務管理に実態に合った形で生かしていくことが大切なのでしょう。当然ながらEUの労働法制は深い考察のもとに構想されているわけで、理念とか建前とか筋とかいった点では美しい体系になっているのでしょうが、理屈の美しさを現実の豊かさより優先させるのがいいとは思えないわけで、もちろん水町先生はそんなことはないと思いますが、世の中ではそうした議論を展開する向きもあるわけでして…。
三菱UFJリサーチ・アンド・コンサルティングの矢島洋子先生は女性労働の観点から発言されました。まず、これまでも女性就労支援策は進展し、直近ではワークライフバランス施策の進展で企業の両立支援策も機能しはじめたものの、保育所の整備が追いつかない、両立支援策の対象となる正社員が増えにくい、そもそも雇用が確保できず「両立」どころではないじ、といった問題が明らかになったと指摘されました。そのうえで、両立支援策の対象となりうる雇用の増加、労働時間短縮を進めるための「人あたり生産性」から「時間あたり生産性」への企業の人事管理の転換、両立で従来のキャリアコースを外れた人への動機づけなどの課題を提示されました。
「人あたり生産性」から「時間あたり生産性」への転換というのは、趣旨はよくわかるのですが、いっぽうで1日6時間ではなく8時間働くことに特別の価値がないかといえば、やはりそうではない。もちろん、そもそも労働時間に連動しないコストというものはあって、その分は明らかに労働時間が短いと不利になります。通勤手当などは思い切ってやめる(!)*1という方法もありますが、たとえばデスクとか電話機とか情報端末といったものの費用はなかなか難しいでしょう。
それに加えて、1日6時間なら時間あたり2,000円しか払えないけれど、8時間働いてくれるなら2,050円出してもいい、というシチュエーションは十分に考えられるものです。もちろんこれは、1日12時間も働かれたら生産性は落ちるし健康リスクは増えるしで迷惑だから、時間当たり1,500円くらいしか払いたくないけれど、現実には割増賃金まで払わなければならない…というシチュエーションだって十分ありうるわけで、そうなると人あたり生産性より時間あたり生産性だ、という議論になる部分に入るのかもしれませんが。つまり、人当たり生産性にせよ時間あたり生産性にせよ、賃金水準なども含めて総合的に考慮することが必要であって、したがって「時間割賃金は同じ」といったことに過度にこだわると進む話も進まなくなる、ということになるのではないかと感じたところです。
私が申し上げた内容については、また日をあらためてということで(笑)

*1:通勤費を企業が実費で負担するのは、遠距離・長時間通勤を奨励する効果があるので、ワークライフバランスの観点からは通勤手当はないほうがいいという議論は十分ありうるものだと思います。いっぽうで転勤で通勤費が増えてしまったらどうしてくれるんだという議論もあるわけですが。