「最賃の話」フォロー

一昨日のエントリを書いている最中にhamachan先生のブログから最賃関連のネタを拾ったので過去エントリのフォローを兼ねてご紹介したいと思います。東京都議会議員の音喜多駿先生のブログから、「最低賃金しか払えない企業よりも、実際に働く人を守るべきじゃない?というお話。」というエントリです(http://otokitashun.com/blog/daily/8283/)。
ただまあ内容をみると池田信夫先生が主催された「アゴラ夏休み特別セミナー2015」なるイベントの「若い世代にとっての戦後70年」というコーナーに登壇されたらしいのですが、その顔ぶれが「宇佐美典也×海老沢由紀×新田哲史×おときた駿」ということで、大変失礼ながら正直なところなにかと色物かなあという感は禁じえないのではありますが…いやもちろんみなさま真摯に取り組んでおられるのだとは思いますが…。
ということでネタにマジレスという感もひしひしと漂ってはいるのですが、それはそれとしてエントリの内容をご紹介していきましょう。

 私は常々、世代間や性差などの様々な格差を解消するためには
「雇用の流動化」
 が一丁目一番地(最重要)であると主張しています。
 年功序列・終身雇用・正社員という特権を排除していかなければ、若者や女性の立場はいつまで経っても改善されることはありません。
http://otokitashun.com/blog/daily/8283/から、以下同じ

これはときどき見かける「正社員の非正社員化を通じた格差の縮小」論ですね。これについては過去何度か書いていると思いますが、仮に若者や女性の「立場」が中高年や男性に対して相対的に改善することはあっても絶対的な厚生水準がどうなるかは別問題であり、また確かに「正社員・非正社員」という観点でみた格差は縮小するとしても社会全体の経済格差は現状以上に拡大するだろうと思われる(まあ米国の現状をみれば自明かと)わけで、私の率直な評価は新自由主義者の妄想というものですが、まあ以下の最賃の議論とは直接の関係はありません。ただまあそういう意見の人なら宇佐美典也さんとの相性はいいだろうなとは思った。
そこで最賃の話になりますが、

 さて、この分野に関連して宇佐美典也さんは、流動性に加えて生産性を高めるためにも「最低賃金の引上げ」の必要性を説いています。
 現在の最低賃金は企業にとっては恩恵を受けられるものであるが、労働者側から見れば割を食った設定になっていると、元経産官僚である彼は喝破します。

まず先日のエントリとの関係になりますが、たしかに現在の企業業績や労働市場の状況をみると「現在の最低賃金は企業にとっては恩恵を受けられるもの」になっている可能性はかなりあると思います。であれば、最賃を引き上げても(その分企業の利益が若干減少するくらいで)雇用は減らず、むしろ時給アップによる参入増で雇用が増える可能性もあります。もちろんそれは労働需要があることが前提であり、そこは産業・企業によって事情が異なる可能性があるので現実の最賃決定にあたっては労使の十分な協議を通じて合意をはかることが望ましいというのも以前書いたとおりです。もし最賃上昇を価格転嫁できて(好況なのでできてもおかしくないのですが)利益が減少しなければ生産性も向上することになります(が、ここで宇佐美氏がそういう意味で言っておられるのかどうかは別の話ですが…)。
さてここからが微妙な記述になっていくのですが…。

 諸説ありますが、最低賃金を引き上げることはやり方次第で雇用の流動化の促進に寄与すると言われています。
 賃金が上昇すれば、「最低賃金ギリギリでなければ維持できない」会社は淘汰されていきます。
 そこで雇用されていた人々はマーケットに戻りますから、流動性が嫌でも増すわけです。
 また、賃金があがることで、労働者・雇用者側の力が強くなることも予想されます。

いやその「マーケットに戻」るってのは失業して求職者になるってことですよね?失業者になるのはほとんどの人にとっては嫌なことだと思われるところ、倒産や廃業が増えて失業率が上がるのを「流動性嫌でも増す」(強調引用者)とか言って喜んでていいんですか?
もちろんそんなことはないわけで、きちんと好条件での再就職ができて初めて「流動性が増した」と言って喜ぶべきでしょう。でまあ何度も書いていますがそんな現行最賃を上回るような再就職先が潤沢にあるならなにも無理して最賃を上げて企業を倒産廃業させて労働者を失業させるまでもなく、主に労働者の自発的意思によって現行最賃水準の職場からそれを上回る職場への転職=流動化は起こるはずでしょう。それを通じて労働市場における賃金水準が底上げされた結果として最賃が上がるというのが正常なプロセスだろうというのも繰り返し書いてきたとおりです。
あと「賃金があがることで、労働者・雇用者側の力が強くなる」というのも端的に意味不明で、「力」というのがたとえば購買力のことであるならたしかに賃金が上がることで「力」が上がるだろうとは思います。ただここでは「労働者・雇用者側の力」と書かれていますので(この「雇用者」は被雇用者のことですよね)、まあ使用者に対する「力」、交渉力のことを指しているのだろうと思うところ、さすがに賃金が上がると労働者の交渉力が上がるという話は聞いたことがありません。これまた労働市場が逼迫して労働力不足になって労働者の交渉力が上がった結果賃金も上がるのが正常なプロセスではないかと思います。
さて続いて政治の現状についての批判が来ます。

 ところが我が国では、最低賃金の上昇を訴える政党・政治家たちは同時に
「中小企業をつぶすな、零細企業を守れ!」
「安定した正社員という立場を守れ、解雇反対!」
 という流動性と真逆な主張を繰り返しています。
 この最低賃金の問題はプロパガンタ的に
「大企業が安い労働力を酷使して搾取している」
 と思われがちで、そういう面もまったくの皆無とは言えませんが、これでもっとも恩恵を受けるのは中小企業・零細企業です。

音喜多先生は今はどうなのか知りませんがみんなの政治塾ご出身の方らしいので政治的・政策的には旧みんなの党に近いのでしょうね。ということは「最低賃金の上昇を訴える政党・政治家たち」というのはまあ政敵の勢力ということになるわけなのでかなり辛辣に評されるのはわかるところです。

 少し考えればわかることですけど、
最低賃金をあげろ」
「でも、中小企業をつぶすな。今ある雇用はそのまま守れ!」
 を両立することは困難であり、やろうとすれば政府が中小企業に金をぶちこむしかなく、借金を重ねた上に「ゾンビ企業」が大量発生して生産性は低下します。
 これから労働人口が減少することが避けられない我が国では、生産性を高めることは生き残るための最低条件です。そのためには、最低賃金すら払えないゾンビ企業に退場いただき、新興産業に資源を集中させるしかありません。

いやいやいやいやだからhamachan先生(つかクルーグマンだが)も紹介しておられるカード&クルーガーの研究というのはまさにこれが両立できることを主張しているわけですよ(厳密には「中小企業をつぶすな」は含まれていませんが)。まああれだな、このあたり最賃が上がると雇用が減るのが法則だと主張される池田信夫先生あたりにネタを吹き込まれて信じ込んでいるのだとすればブレーンの選び方が間違っているということでしょうかね。どうやら宇佐美典也氏も同じ箱らしくなんだやはり色物だったかこらこらこら。
まあそもそもゾンビ企業というのがどれほどあるかというと例の中小企業金融円滑化法の対象となったのが30万社〜40万社、その廃止時に融資を受けていたのは3万社〜4万社であるらしく、この間リーマンショックなどの非常事態があったことを考えればそんなものかなという数字です(別に私に特段の知見や根拠があるわけではありませんが)。その中で最低賃金引き上げの影響を受ける労働者がどのくらいいるのか、それでどの程度のコストアップになってどの程度業績に影響するのか…ということを考えていくと、なんか最低賃金を引き上げるとゾンビ企業がバタバタつぶれて失業者がどっと増えるという想定もなんだか現実的ではない気がします(これは最低賃金引き上げをサポートするものであることに注意)。というか、ゾンビ企業を淘汰するなら金融支援を打ち切ればいいだけの話であるところ、最賃引き上げの業績への影響が金融支援の可否を左右するケースというのもあまりないのではないかとも思うなあ。最賃引き上げが雇用に大きく影響してくるとしたら(その可能性も否定できないのでそれなりに慎重な検討が必要なわけだが)、たぶんそこではないんですよ。
で、「最低賃金すら払えないゾンビ企業に退場いただき、新興産業に資源を集中させるしかありません。」については、繰り返しになりますが最低賃金を引き上げても平気な新興産業ってのがあるんだったら見せてみろという一言に尽きます。ビジネス雑誌に載っているあの企業この企業十数社じゃだめですよ。ゾンビ企業が何社あると思っているのか知らないが、5万社あるというなら新興企業も5万社見せてくれないとね。

 雇用の流動性や生産性を高めるために、
最低賃金をあげよう、そして払えない企業は淘汰していこう」
 という真っ当な経済・産業政策を主張する政党・政治家がほとんどいないことが我が国の不幸であると言えるでしょう。

あーそれはそれが全然真っ当じゃないからじゃないかなあ。というか、「最低賃金をあげよう、そして払えない企業は淘汰していこう」は必ずしも真っ当でないこともなく、ただそれはその前段として「賃金の高い雇用を増やそう」というのがないとダメなんですよ。だから政府も成長戦略とかいろいろ苦心しているわけで。

 私のライフワークになりつつある、子どもの貧困≒親の貧困の問題でも、この最低賃金の問題にいつもぶち当たります。目先の生活に困る多くの人々より、最低賃金を払えない企業を守るこの国の構造は、やはり歪んでいるのではないでしょうか…。

これはそのとおり。ただしそれは福祉との関係においてであり、公的な救貧政策が不十分な中では最低賃金の低さを問題視されることはよくわかります。ただ最賃引き上げは救貧政策としてあまり筋のいいものではなく、福祉の拡大で対応することが望ましいことは過去さんざん書きました。まだしも、中小企業の金融支援にあてている予算を子どもの貧困対策にあてるべきだ、とかいう議論なら一応は政治家らしいと思いますが(それでも、じゃあそれで倒産して失業した中小企業の労働者には子どもはいないのかねという話にはなるのですが)、最低賃金を引き上げて子どもの貧困がなくなるような賃金を企業に支払わせます、それが払えない企業は制裁として倒産/廃業させます、そこで働いていた労働者はたぶんどこか知らないけれどきっと生産性が高い新興産業に集中できるから大丈夫だからさあというのは、まあ政策としては支離滅裂だよね。たしかに子どもの貧困は誰もが胸を痛める問題であるわけですが、ちょっと支障のある言い方になりますがそれをいいことにしてこういう「目先の生活に困る多くの人々」対「最低賃金も支払えない企業」みたいな感情に訴える対立構造を強調して情緒的に煽るというのは、まあそういうことを続ける政治家はそのうちデマゴーグ扱いされますよ…?
でまあ最後にこういうわけですが、

 ちなみに私は自由主義者・小さな政府論者ですので、最低賃金も設定しないでマーケットが機能するにこしたことはないのですが、現在の日本で突然それは現実的ではないので、この経済政策には一定の賛同をするものです。

へええええ。まあ池田信夫先生に吹き込まれているからいやいや旧みんなの党系だからそんなものなのかなあ…。しかし株式市場でも値幅制限はあるのであり、「最低賃金も設定しないでマーケットが機能するにこしたことはない」なんてのは、相当のリバタリアンでもなければ言わないんじゃないかなあ…。まあもちろん常にすべての人の賃金が十分に高い水準に実質的永続的に維持されていますから最低賃金は必要ありませんということであればそれはある種の理想状態だとは思いますが、しかしそれっていったいどこのソ連邦だとも思う。
ただまあこう聞かされてある意味納得したところもあり、あれだな小さな政府論者だから子どもの貧困対策で福祉を拡大するのは気に入らないんだな。となると賃金でとなるのもわかりますし、実際できるだけ多くの人が就労を通じて貧困を回避することが望ましいとは私も思います。そのためには流動性はともかく生産性の向上が重要なことも論を待ちませんが、逆に言えば生産性が上がらなければ賃金も上がらないわけです。もちろん、まず賃金を上げて、それでも利益が出るように生産性を上げましょう、という考え方は方法論としてはあるというか、それなりに有力だろうと思いますが、しかしそれは個別企業レベルで労使協調で取り組むのが有効な手法であって、国の政策としてはワークしないのではないかと思います。
音喜多先生は、都議といえば立派な政治家ですし、前途有望な人材なのだろうとも思います。子どもの貧困対策に取り組まれているのも、非常に重要・貴重な存在なのだろうと思います。だからこそブレーンは慎重にお選びになったほうがよろしいかと、まあ余計なお世話以外の何物でもありませんが申し述べておきます。逆にいうと、このエントリについて最賃引き上げという結論だけをみて喜んでいる人たちというのも気を付けたほうがいいのではないかと思いました。これまた全くの余計なお世話ですが。