八代尚宏先生

思いがけず八代先生が話題となっているようでして、またしてもhamachan先生経由で、「ブログ・プチパラ」(http://blog.goo.ne.jp/sinceke/)さんが私が遅まきながら先週取り上げた「週刊ダイヤモンド新年合併特大号」の八代尚宏湯浅誠両氏の論考を論じておられます。
http://blog.goo.ne.jp/sinceke/e/ed61ea2fc120b7a066fb58a8b80d4bf5

 『ダイヤモンド』では、雇用政策に関し、八代尚宏氏と湯浅誠氏の主張が、見開きページで左右にある。
 読んでいると、どちらも言っていることが正しいように見える。
 しかし、湯浅誠氏は、セーフティネットがまだ整備されていないから、仕方なく派遣労働を禁止する、という言い方をされていて、それが「緊急避難的」なものだったら、外に方法はないのか、産業界に多大な影響を及ぼすような、恒久的な法律で禁止してしまうという方法でいいのか、という気がしてくる。
 八代尚宏氏は、「意味のある政策は、派遣雇用の禁止ではなく、派遣条件や待遇を改善する派遣労働者保護の強化だ」と言っている。こっちの方向で何かできそうな気がする。
 でも、菅直人氏は、『東洋経済』のインタビューで、湯浅誠氏の方向で法律を変えるんだ、と言い張っている。

 大丈夫なのか。

その後は「菅直人氏だけで大丈夫なのか、大丈夫ではないだろう」という議論が続くのですが、それに続く城繁幸氏への論評も「「君側の奸を討つ!」とか「完全自殺マニュアル!」とか、「希望は、戦争!」みたいな、いかにも辛抱が足りない日本の若者的発言」と辛口になっています。なるほどねぇ、城氏のトンデモぶりはそう理解すればいいのか。私としては若者一般を「辛抱が足りない」で片付けるのには抵抗もあるのですが…。
さて、hamachan先生はこれに関してこうコメントしておられます。

 八代先生も湯浅氏も「ちゃんとわかっている」側にいるのであって、両者の対立点は現状認識というか、あるタイムスパンにおける現状の可変性に対する認識の違いにあることがわかります。
 こういう「ちゃんとわかっている」人同士の対比は、ものごとを深く考えるのに役立ちます。ところが、よくあるミスキャストは、「ちゃんとわかっている」人と「全然わかっていない」人とを、単に目先の対策論で一致しているとか対立しているとかいうような単細胞的な判断基準で対論させてしまうことです。
 そういうことをすると、それは「ちゃんとわかっている」人と「全然わかっていない」人の対比にしかなりません。
 湯浅誠氏とまともに対比させていいのは八代尚宏先生のような「ちゃんとわかっている人」なのです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-d0a6.htmlの(追記)

hamachan先生はずいぶん湯浅さんに肩入れしておられるようですが、まあお二人ともhamachan先生の言われる意味で「よくわかっている」方々ではありましょう。ただ、「雇用政策」という政策論の土俵(これはどちらかというと八代先生の土俵です)に乗ると、たしかに「相撲になって」はいるかもしれませんが、やはり力量の差は明らかというか、まあ三役と十両くらいの違いはあるかなという気が私にはします。もちろん、これが社会運動という湯浅氏の土俵になれば、おそらくこの力関係は逆転するのでしょうから、hamachan先生はそこまで含めての評価をされているのかもしれません。
で、どうやらブログ・プチバラさんによれば「全然わかっていない」人というのは城繁幸さんのことだそうで、まあたしかにわかっていない人だなと思いますが、私はてっきり池(ry
それはそれとして、湯浅さんと城氏とが雇用政策を論じたらそれこそどちらの土俵でもない大場外乱闘で、見るほうは面白くてもたしかに議論にはなりにくいでしょうね。
さて、ブログ・プチパラさんは八代先生に関心を持たれたようで、中公新書の「雇用改革の時代」を読み、こんな感想を書かれています。

…このように私は八代氏の本を読んで感銘を受けたのだが、いまブログ検索で八代尚宏氏の名前をちょっと調べてみると、この人は「労働ビッグバン」を推進しようとした新自由主義者の「悪の権化」みたいな存在として、いろいろな人に罵倒されてきたようだ。
 「えー、なんでー?」と私は思う。
http://blog.goo.ne.jp/sinceke/e/65f49316a036ce0c81ff581cf6cca889

このエントリでは別のブログ(「公務員のためいき」、書き手は市職の委員長さんらしい)でのこんな記事も紹介されています。

 前回記事へのコメントで八代教授に対して、hammer69_85さんから「御用学者そのもの」、WontBeLongさんからは「社会科学系学者にありがちな、自分の思いこみを正当化するためにあれこれと理屈をこねまわす人」との見方を伝えていただきました。一方で、ニン麻呂さんからは「労働組合に所属していない大多数の労働者の利益も含めた長期的に望ましい労働市場のあり方を考えていくべき」との八代教授の発言を支持したコメントも寄せられました。
 確かに八代教授の発想を全面的に肯定していくのは大きな問題だと思っていますが、頭から否定できない大事な提起を含んでいるものと受けとめています。率直なところ「過労死は自己管理の問題」と発言した人材派遣会社ザ・アール奥谷禮子社長とは同列に扱えない気がしています。
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2007/02/post_8e79.html

hamachan先生はこれに対して「労働問題に限らないのですが、議論の評価は中身自体よりも政治的「文脈」で決定される面があります。」とコメントしておられますが、まさにそういうことなのでしょう。実際、八代先生は規制改革会議、経済財政諮問会議で「小泉改革」やその後の改革の主要なアクターとして活躍しておられました。その間(というか、現在に至るまで)、改革の「抵抗勢力」に対抗するために、かなりの程度強い表現を使ったり、極論に振ったりしていることも多いように思われます。それやこれやで、「小泉改革=悪」と決め付けている人たちからは政治的に「全面的に悪」とラベリングされるのでしょう。
…それにしても、「社会科学系学者にありがちな、自分の思いこみを正当化するためにあれこれと理屈をこねまわす人」という論評はすごいですね。しかも「社会科学系学者にありがち」と来たもんだ。たぶん、こういう人は八代先生の本は一冊も読まずに、まさに「自分の思い込み」でコメントしているのでしょう。まあ、かくいう私も勝間和代氏や城繁幸氏の本は一冊も読んでいないくせにブログで批判しているので似たようなもので、他人のことは言えないのではありますが。おっと失礼、城氏については最初の暴露本は読んだな。
まあ、八代先生について意見表明するのなら、中公新書もいいですがやはり『日本的雇用慣行の経済学』を読みましょう。池田信夫先生も推薦しておられることですし、って、これはアンチ八代にはますます気に入らないか。しかし、これを読めば八代先生が徹底して事実とその適切な解釈を通じて議論しておられることがよくわかるはずです。
さてさて、この「ブログ・プチパラ」さんのエントリには、「machineryの日々」というやはり地方公務員の方が書いておられるブログへのリンクもあって、それを見てみたところ、なんと驚いたことに私の八代本(『雇用改革の経済学』)への書評が引用されておりました。

「労働」をよく知っていると自任される方と、「経済」をよく知っていると自任される方が他方を見下す傾向にあるのが興味深いところで、後者の例として一例を挙げれば、
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51630684.html

この方の書評と「吐息の日々」でroumuyaさんが公開されている書評とを見比べてみると、拙ブログでたびたび批判している「経営者目線」と実務家の考え方の相違がよくわかるのではないかと思います。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-364.html

このリンク先の書評を書かれたのは藤沢和希さんという某米系投資銀行勤務の方とのこと。まあ、八代本から気に入った部分を抜き出して書いたという感じで、けっこう事実誤認なんかもあるんですが、しかしこういう読み方をされてしまう本ですし、随所でそう読まれてそう宣伝されると八代氏が「悪の権化」に見えてくる人もいるでしょう。
なお、この「経営者目線」というのが今一つよくわからないので、私の書評にどのような評価をいただいているのもやはりよくわかりませんでした。ただ、この「経営者目線」は実はhamachan先生も取り上げておられて、ぐるっと回ってまた戻ってきてしまったという感じですが、こんなコメントをされています。

 ここでマシナリさんがさりげなく言われた「他人の職業や待遇について「経営者目線」で批判することは回り回って労働者であるご自身に跳ね返ってくるというカラクリ」が、公共部門だけでなく、あらゆるところで効き続けてきたのが、ここ20年の流れだったのではないかと思われます。
 働いているときは召使いでも、お客さまである限りは神様扱いされるという至福の境地をひたすら追い求め続けると、それだけいっそう自分が召使いに戻ったときの扱われ方がひどくなる一方なのですが、それをその場で何とか改善しようとするのではなく、召使いモードからお客様は神様モードにスイッチした瞬間の至福をより一層増幅する方向にばかり働いていったのでしょう。
 ちょっと反省すればそれが自分をますます奴隷化する負のスパイラルであることはわかりそうなものですが、そうならせないための認識不全メカニズムとして活用されたのが、身分的な転換可能性がない(と感じられる)公共部門だったのでしょうね。コームインを叩いている限りは、自分が叩かれる側になったら・・・という反省が生ずる可能性はないので、安心して叩ける。しかし、社会システム全体としては、その「叩き」は公的サービスだけではなく、民間サービスすべてに及ぶわけですが。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-e889.html

消費者としての豊かさと労働者としての豊かさには実はトレードオフがあるのではないかということは私もこのブログで繰り返し書いてきたことですが、これは必ずしもそれだけの話ではないようですね。「他人の職業や待遇について「経営者目線」で批判する」というのは要するに「公務員の職業や待遇について「経営者目線」で批判する」ということなのでしょう。具体的にはおそらく、民間人が公務員に対して「お客様(=住民)第一という考え方がない」とか「雇用が保障されていて競争がないから生産性が低い」とかいう批判をすることを差しているのだと思います。これを「叩く」と表現するかどうかはその人の感じ方・考え方によるでしょうが、言わんとしていることは「公務員を叩くのではなく、民間企業でも公務員並みにお客様にヘイコラせず、雇用が保障されて競争にあくせくしなくてもすむように、経営者に要求しましょうよ」ということでしょうか。
まあ、私も「お客様のために」24時間営業をやたらに拡大するようなことには懐疑的で、多少は不便になっても労働者福祉のためにがまんしましょうよという意見を持ってはいますが、公務員の労働条件が住民に提供される行政サービスにてらして適正かどうか、ということはまた別の問題だろうと思います。たとえば、マシナリさんが別のエントリでこんなことを書いておられます。

 私のようなチホーコームインに身近な例でいえば、数年前になりますが、市営バスの運転手とか公立学校の給食のおばちゃんとか公立保育園の保母さんの年収が1,000万円近くになるのはけしからんというバッシングの嵐が吹き荒れたことがあります。私も直接電話でクレームを受けたことがありますが、批判する方曰く、「民間はもっと切り詰めてやっているのに、公務員だからといって年功序列で給料が上がるとは何様のつもりだ!そんな特権階級は首にしろ!」とのことでした。
 そういった批判を丹念に整理してみると、実は公務員であることを問題としているのではなく、給与体系が年功序列的に上昇していくことを批判していることに気がつきます。ところがここに注意が必要なわけで、給与体系が年功序列だという点に批判が集中してしまうと、不特定多数が利用する交通機関や、育ち盛りの子供たちの昼食や、親が面倒をみられない幼児の世話という高度な注意義務が要求される業務であっても、それに携わる方々については、民間だろうと公務員だろうと年功序列で処遇することはもってのほかということになってしまいます。そして、これらの業務を民間委託するなどして、年功序列ではないより低賃金の労働者に担わせるべきだという「経営者目線」の論理に「民意」が根拠を与えてしまうのですね。その「民意」の後ろ盾さえ確保できれば、まずは「民意」が究極のボスとなる役所から、人件費の削減が拍手喝采を浴びて実行されるというのが現在の流れといえるでしょう。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-date-200912.html

これは賃金が年功的かどうかということより、「市営バスの運転手とか公立学校の給食のおばちゃんとか公立保育園の保母さん」が提供している行政サービスとその「年収が1,000万円」とがつりあっているかどうか、という問題ですよね。もちろん「年功的」なので現時点の1,000万円だけを見て議論してはいけないわけですが、いずれにしてもやはり高度な注意義務が要求される私鉄バスの運転手や私立学校に入っている給食業者や私立保育園の保育士さんと較べて公務員の職業や待遇はどうなんだ、という「経営者目線」が出てくるのは避けられないわけで、これに対して公務員の方が反発するのは自然な感情ではありましょう。とはいえ、じゃあ民間バスの運転手も1,000万円もらえるようにすればいいじゃない、という理屈で住民の理解が得られるかどうかは難しいところで、公務員の皆様からすればそんな住民にイライラされるのもまたよくわかるのではありますが…。
まあ、たしかに世間の公務員批判の中には行き過ぎじゃないかと思われるようなものも間々みられますし、公務員の皆様の中には批判されているほどに恵まれているという実感はないという人も多いだろうと想像はしますが、それにしてもあまりあからさまに住民をバカ扱いするような発言は慎まれたほうがいいのではないかと、まあこれは余計なお世話、かつ八代先生からはずいぶん脱線してしまっておりますが、しかし八代先生がこうした意見にどのように反応されるか、興味深いというか見当がつくといいますか…と無理にまとめてみました。