公開会社法

私も先週ちょっとコメントしましたが(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100112#p3)、これはけっこうブログ界で話題になったようです。上で取り上げたホリエモンブログのエントリも実は公開会社法に関するもので、そこから池田信夫氏、城繁幸氏、青木理音氏のブログにリンクがはられています。青木さんという人は私は知らないのですが、あとの2人はなかなかのメンツですな(笑)。
発端になったのは民主党の藤末衆院議員のブログhttp://www.fujisue.net/update/index.htmlのエントリで、

ポイントは2点ございまして、

1.これまでよりも、会社の規模により分別した規制をかける、ことが重要です。
  すなわち、上場企業は特別な規制が必要ということです。
  金融証券取引法との調整・連携も必要です。

2.最近のあまりにも株主を重視しすぎた風潮に喝を入れたいです。
  今回の公開会社法にて、被雇用者をガバナンスに反映させることにより、
  労働分配率を上げる効果も期待できます。

下記は日本銀行の資料ですが、上場企業の利益の3分の1が配当に回っているというデータもあります。
http://www.fujisue.net/archives/2010/01/post_3407.html

まあ、こりゃ突っ込まれても致し方のない代物ではありますね。
まず池田先生ですが、ご自身のブログで「「『最近のあまりにも株主を重視しすぎた風潮』ってどこの国の話ですか?」と突っ込んでしまった」と書いておられます(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51341659.html)。まあ、そのとおりでしょう。たしかに日本企業がここ20年くらい株主重視の方向にシフトしていることは事実ですが、それはそれまであまりにも株主軽視だったことからの反省によるものでしょう。とりあえず国際比較上は日本企業は「あまりにも株主を重視しすぎ」とは言えないでしょうし、金融市場が国際化する中にあってそれに「喝を入れたい」という情緒的な意見表明はちょっとなじまないというか…。
それから、池田先生の「2000年代なかばに日本の労働分配率が下がったのはガバナンスとは関係なく、図のように景気が回復したからだ(灰色の景気後退期には分配率が上昇している)。労働分配率は「賃金/GDP」だから、賃金が一定でもGDPが上がると下がるので、上げるには不況にすればよい。事実、2008年度の労働分配率は史上最高になった。」という指摘もまったくそのとおりと言うよりありません。
これに対して、城繁幸氏のエントリはなかなか面白い。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/f2acf204436d76f57c6a97398b8b5599

 まず、企業の配当を制限して労働分配にまわすという意味がわからない。
「銀行員の賃上げのために利子をカットしときましたから」と言われて、その銀行の預金者は納得するだろうか。しないだろう。

いや、そりゃ固定金利を約束しているのにそれを一方的に引き下げたら理由の如何を問わず基本的に預金者は納得しないでしょう。いっぽう、配当ってのは基本的になにも株主に「いくら配当します」と約束しているものではないですから、理由の如何を問わず配当を引き下げられることは十分ありえます。この場合、株主は株主総会で利益処分案に反対する(さらには別の利益処分案を提案する)ことになりますが、言い分が通らなかったらこんな会社の株を買った自分がバカだったということで納得するよりありません。

 もちろん、配当を抑えて従業員に回すというアプローチもある。
 たとえばドリームインキュベーターの堀紘一氏は、常々「うちは配当は薄く、社員にあつく報いる」と語っている。別に“友愛”を信奉しているわけじゃなくて、優秀な人材を囲い込んで業績拡大しますよという戦略であり、それを評価する人が株に投資するというわけだ。
 そういう個々の事情を無視して、ドリームインキュベーターみたいな会社も、惰性で漂流しているような電機みたいな会社も、一律で同じ規制を適用しちゃったらどうなるか。

これは結果的になかなかいいことを言っています。青木氏が詳しく紹介している(http://rionaoki.net/2010/01/2597Googleの例なんかもこれに近いでしょう。企業経営者としてみれば、利益を再投資してビジネスを拡大し、さらに利益が増えればこれはけっこうな話です。ただ、効率的な投資ができないのであれば、とりあえずいい投資ができるまで内部留保しておくか、株主に還元するか、労働者に分配するかということになるわけで、その時に経営上資金の出し手が大切だと思えば配当するでしょうし、従業員の生産性を上げたいと思えば賃金を上げるでしょう。
で、実は藤末衆院議員も「会社の規模により分別した規制をかける」とは言っているのですね。城氏の論法を勝手に敷衍すれば、資金の出し手が本当に貴重な企業、海のものか山のものかわからないけれどことによると大いに見込みのありそうなベンチャーなどに自分の資金を出してくれる投資家というのは非常に貴重な存在であって、そういう人はおおいに優遇されていいし、経営に発言権を与えていいでしょう(カネは出すけれど口は出さないというまさに天使のような投資家はそれ以上にありがたい存在かもしれませんが)。経営者自らが資金を出し、あるいは株式を保有しているのであれば、当然経営者の権限も大きくなるでしょう。それに対し、すでにビジネスも組織も出来上がっていてそうそうビクともしそうにない一部上場企業の株を買った投資家が同じように処遇されなければならないかといえば、それはそうでもないのではないか。池田先生も主張しておられるように、リスクテイクを支援することが大切で、一般的な傾向として小規模企業ほど資金の出し手のプレゼンスは大きいでしょうから(だから銀行も影響力が大きいわけで)、規模に応じた規制というのはけっこう大切だろうと思います。ただ、この論法でいくと、大企業は株主の権利を制限して他のステークホルダーの発言権を高めてもいいという方向になってしまうのは城氏としてはツライかもしれませんが(笑)。そうでもないのかな。
なお、余談ながら、城氏の

 そうそう、あちこちで書いてきたことだけど、日本は賃金が硬直しているせいで不況になったら労働分配率は自動的に上がる。民主党が政権とっている間は心配されなくとも上がりっぱなしでしょう。

というのは、どちらかというと賃金ではなく雇用が硬直していると言ったほうがいいと思うのですが、というか、城氏は常々雇用の硬直を口をきわめて批判していたと思うのですが(笑)。実際、日本の賃金というのは時間外手当と賞与にかなり弾力性があるので、諸外国と比較してもそれほど硬直的ではないはずです。
ちなみに、hamachan先生はといえば、池田先生が労働者代表の監査役会への参加について批判しているのを捉えて「しかしスウェーデンデンマークではすでに複数の労働者代表の参加が法定されていますが」と指摘しておられます(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-dddc.html)。また、これらの議論において「驚くべき事は、そのほとんどが「ヨーロッパでは会社法に労働者参加規定があるのがデフォルト」という基礎知識の欠落しているということです。」とも指摘しておられます(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-684e.html)。まあ、ここらの論者は、この手の議論ではそもそも欧州は目に入っていないのでしょうが…。
なお、私の現時点でのとりあえずの見解としては、先日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100112#p3)でも書いたとおり、従業員代表の参加については悪いとは言わないけれど必要とも思わない、というところです。「悪いとは言わない」というのは、選ばれる人によっては有意義な関与ができるだろうと思うからですが、きちんとした人を選べない会社まで無理に選ばなければならないような規制になると弊害のほうが大きくなるだろうという心配もあって、そういう表現になっています。まあ、すでに定着している大陸欧州諸国のようにはなかなかまいらないでしょう。
必要性を感じない、という理由はいくつかあって、そもそも日本企業の監査役(や取締役)の多くは元社員であって、従業員福利や動機づけといったことについてはまずまず十分に承知しておられるだろうというのがひとつ。あるいは、たとえば取引先代表とか債権者代表とかいった人たちとの均衡上、労働者代表だけを法定することがいいかどうかは必ずしも明らかではないということもあります。まあ、現実には法定されなくても取引先や債権者の代表、という感じの人が監査役(や取締役)になっているケースは多いわけですが。もうひとつ、なにも監査役会や取締役会に乗り込むのでなくても、労使の協議は十分に行えるわけで、むしろ変にフォーマルなものにしてしまうとかえって形骸化したり、他の労使協議の場が失われたりすることが心配だ、というのもあります。
ということで、株主、特に短期保有株主や一部上場企業の株主の権利を制約することには賛成ですが、それ以外はあまり無理して手を入れないほうがいいのではないかというのが今のところの私の意見です。
「簡単にいくつか」と書いたわりには2つでかなり長くなりましたので、続きは明日に回させていただきます。