雇用確保に企業の内部留保活用をby大竹文雄先生

大竹文雄先生が、ご自身のブログで毎日新聞に寄稿された「企業の内部留保活用を」という論考を転載されています。hamachan先生のブログでも取り上げられた論考でもあり、たいへん興味深いものですので、ここにも転載のうえコメントを試みてみたいと思います。

「企業の内部留保活用を」 『毎日新聞/論点-どうする非正規雇用の大量解雇』、2008年12月26日朝刊

大竹文雄

 世界的な景気後退で、日本を代表する企業でも、雇用調整が行われている。特に、派遣労働者契約社員、パート労働者といった非正規雇用の労働者が集中的に雇用調整の対象となっている。非正規労働者は、正規労働者よりも賃金が低い上に雇用も不安定なのだ。

 非正規労働者の雇用調整は、なぜ発生したのだろうか。それに対し、私たちはどのような対策をとるべきだろうか。

 日本企業は90年代にバブル崩壊後の過剰雇用、過剰設備、過剰負債に対処するのに苦しんだ。デフレのもとで、正社員の賃金カットも難しかった。過剰な雇用を抱えた企業は、正社員の新規採用を抑え、非正規労働者を採用した。そうしないと、次に企業が不況に直面した際に、正社員では雇用調整も賃金調整も難しいからである。それが、就職氷河期を生んだ。今回の不況で真っ先に職を失っていくのが、就職氷河期の世代を中心とした非正規労働者である。

 正規労働者の多くも賃金カットなどの影響を受けるが、職を失う非正規労働者よりは、経済的損失は小さい。正規労働者の雇用と賃金を守るために、非正規労働者の雇用に集中的に影響が出ているのは事実である。

 不況という負の経済ショックを誰が負担するか、という問題に私たちは直面している。関連する利害関係者は、企業および株主、正規労働者、非正規労働者の3者である。その中で、非正規労働者が集中的に負担しているのだ。

 もちろん、株価が下落することで株主が損失を負ったというのも事実である。しかし、2002年以降の景気回復期には、企業収益が増加し続け、株価が高騰したにも関わらず、労働者の賃金は上昇しなかったことを忘れてはならない。好況期に積み上げた内部留保を使って企業が雇用を維持するのが筋であろう。

 蓄積した内部留保では、企業が雇用や賃金を維持できない、というのであれば労働者も負担を引き受けざるを得ない。しかし、正社員の既得権益を守るために非正社員に負担を押しつけていいだろうか。非正社員が不安定な雇用と引き換えに高い賃金をもらっていたのだろうか。実態は逆である。正社員と非正社員の不当な格差を温存することのコストは大きい。たまたま、就職氷河期に学校を卒業しただけで、非正社員になって、低賃金な上に景気変動の影響を大きく受ける。これほど理不尽なことはない。新規採用の停止や非正社員の雇い止めをすることが、解雇権濫用法理という判例法理のなかで、企業の解雇回避努力として評価されるいうことも問題だ。

 企業も正規労働者も、自ら分配問題を解決できないということであれば、政府の出番である。好況期の過大な内部留保から便益を受けた資本家や高所得層の課税を強化し、低所得層へ所得を再分配するか、公的支出を増やして、職を失った人たちを雇用すべきである。教育・保育・介護等公的サービスの不足分野は多い。90年代の不況を就職氷河期の若者にしわ寄せし、今回の不況で彼らにとどめを刺すというのが、日本人の不況対策だとすれば情けない。(「毎日新聞」2008.12.26)
http://ohtake.cocolog-nifty.com/ohtake/2009/01/post-effd.html

まず雇用調整と賃金の関連についてですが、大竹先生は「非正規労働者は、正規労働者よりも賃金が低い上に雇用も不安定なのだ。」「非正社員が不安定な雇用と引き換えに高い賃金をもらっていたのだろうか。実態は逆である。」と指摘され、「正社員と非正社員の不当な格差を温存することのコストは大きい。」と述べておられます。
たしかに、雇用が安定しているか否かは総合的労働条件の非常に重要な要素のひとつであり、雇用が不安定な場合は安定している場合に較べて相応の賃金プレミアムがあってしかるべきと考えられます。もし、就労のほかのあらゆる条件が同等で、雇用の安定だけが異なっているのであれば、不安定雇用の賃金が安定雇用の賃金を下回ることは「不当な格差」であるに違いありません。しかし、現実には正規労働者と非正規労働者にはさまざまな点で違いがあります(さらに、正規労働者、非正規労働者それぞれの中にもかなりの多様性があるでしょう)。
そこで、それぞれの賃金の決まり方をみてみると、正規労働者は典型的には団体交渉で決まると申し上げていいでしょう。もちろん、組織率は低下の一途であり、労働組合員でない正規労働者が多数派かつ増加しているわけですが、これらの非組合員正規労働者も、必ずしも賃金が経営者の恣意のみで決められているわけではなく、団体交渉の結果としての「世間相場」の影響をそれなりに受けていると考えられます。また、団体交渉で決まるにせよ世間相場で決まるにせよ、外部労働市場の状況が参照されていることも間違いないでしょう。
これに対し、非正規労働者の賃金は基本的には外部労働市場の需給関係によって決まると言って大筋ではいいのではないかと思います。
つまり、正規労働者の賃金も非正規労働者の賃金もそれなりに合理的なプロセスによって決定しているわけで、その水準は雇用の安定・不安定という要素も含む就労の実情にそれなりに応じたものとなっていると一応は考えられるのではないでしょうか。特に、非正規労働者はマーケットプライスなのですから、雇用不安定プレミアムも価格に織り込まれていると考えるのが自然ではないかと思います。それでもなお賃金水準が正規労働者より低い傾向にあるのは、雇用安定以外の要素、たとえば技能水準や職務内容、将来も含む期待役割などの反映が大きいと考えてよいのではないでしょうか。「正社員の既得権益」というのはそれはそうなのかもしれませんが、それでもかなりの部分はさまざまな要素を反映した合理的なものなのではないでしょうか。OECDはわが国の正規・非正規の賃金格差は生産性の違いを大幅に上回る不合理なものと指摘しているそうですが、これはおそらく短期的な業務の比較に基づくもので、蓄積能力や長期的役割期待といった日本企業が重視する要素を無視ないし軽視しているのではないかと思います。
もちろん、労組の有無による交渉力格差はあるでしょう。とりわけ正規労働者の賃金には生計費配慮の要素が含まれている(これとて従業員の長期安定的能力発揮・向上のための必要によるわけではありますが)ことも事実でしょう。また、正規労働者の賃金は長期精算かつ下方硬直性を有するのに対し、非正規労働者の賃金は需給に応じて比較的迅速に上下するでしょうから、短期的な比較においてはその格差は必ずしも就労の実情に応じていないという可能性もあるでしょう。このあたり、論者によってさまざまに評価は異なってくるのだろうと思います。とはいえ、経営者が恣意的に不合理な差別を行うことは結局は業績悪化につながるわけですし、まっとうなプロセスを経て決まってきた賃金水準をもって「不当な」と言われるのは経営者としてはいささか心外ではなかろうかと思います。
次に、「不況という負の経済ショックを誰が負担するか、という問題に私たちは直面している。関連する利害関係者は、企業および株主、正規労働者、非正規労働者の3者である。その中で、非正規労働者が集中的に負担しているのだ。もちろん、株価が下落することで株主が損失を負ったというのも事実である。しかし、2002年以降の景気回復期には、企業収益が増加し続け、株価が高騰したにも関わらず、労働者の賃金は上昇しなかったことを忘れてはならない。好況期に積み上げた内部留保を使って企業が雇用を維持するのが筋であろう。」というご意見は頷けるものです。たしかに、建前としてみれば内部留保はこうした業績悪化時にも配当を継続できるよう積み立てているものであるかもしれませんが、現実には多くの企業では、内部留保があるおかげで赤字になってもすぐに資金ショートにはならない、倒産して従業員が失業の憂き目にあうこともない、といったとらえ方がされているのではないでしょうか。まあ、業績悪化にもかかわらず配当を継続している企業も多いので、この両方が並存しているのが現実なのでしょうが。ただ、赤字経営になっているときに内部留保を活用して雇用維持をはかるというのは、おそらく世間で考えられていると思われるほどには持続可能ではないだろう、というのは1月6日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090106#p1)で書いたとおりです。
もっとも、この論法でいくと、一般論として「雇用を維持するのが筋」というのは頷けるにしても、「蓄積した内部留保では、企業が雇用や賃金を維持できない、というのであれば労働者も負担を引き受けざるを得ない。しかし、正社員の既得権益を守るために非正社員に負担を押しつけていいだろうか。」とまでは、場合によっては言えないかもしれません。内部留保の蓄積に貢献したのが従業員であることは間違いないにしても、それが内部留保をもっぱら非正社員の雇用維持にあてることの理由になるかどうかは微妙だからです。例外はありましょうが、やはり企業業績により強くコミットし、利益に貢献し、内部留保の積み上げに寄与したのは、非正規労働者より、より多く正規労働者ではないでしょうか。正規労働者にしてみれば、「われわれが20年、30年(2002年以降としても7年)と営々と積み上げてきた内部留保を、わずか1年勤続しただけの非正規雇用に割り当てるのか」と思うかもしれません。まあ、大竹先生が言われるとおり、「正規労働者の雇用と賃金を守るために、非正規労働者の雇用に集中的に影響が出ているのは事実」ですし、しかもこれは今に始まったことでもないので、「正規労働者が内部留保積み上げに寄与することができたのも非正規労働者が存在したおかげだろう」という理屈も十分ありうるでしょうから、勤続の長さ以上に非正規労働者は貢献を主張できるだろうとは思いますが。
ということで、私は正規労働者と非正規労働者の賃金や雇用の違いは、もちろん非合理な部分もあるでしょうが、目に見える印象に較べれば、はるかに合理的なものではないかと思います。もちろん、それでもなお、大竹先生が指摘されるように「たまたま、就職氷河期に学校を卒業しただけで、非正社員になって、低賃金な上に景気変動の影響を大きく受ける。これほど理不尽なことはない。」という道義的な観点は当然ありえますし、私も同感するところがあります。ただ、これのみを理由に正規労働者の雇用安定や賃金の水準を下げ、非正規労働者のそれらを上げることは、おそらく企業業績を悪化させる方向に働くのではないかと思います。したがって、道義的正義の実現のみに向けて「企業も正規労働者も、自ら分配問題を解決できない」のはまことに当然だろうと考えます。
ということで、あれこれグダグダと書き並べてきましたが、結論である「政府の出番である。好況期の過大な内部留保から便益を受けた資本家や高所得層の課税を強化し、低所得層へ所得を再分配するか、公的支出を増やして、職を失った人たちを雇用すべきである。教育・保育・介護等公的サービスの不足分野は多い。」については、全く意義なし、もろ手を上げて大賛成です。とりわけ、社会保障負担をともなわない資産性所得や、それを安定的にもたらすことで格差固定を招きやすい資産保有に対しては、重課税して再分配することが好ましいと私は考えます。非正規労働者の雇用の安定や賃金水準が低きに失すると考えるのであれば、その是正は政府による再分配によるべきであり、企業の賃金制度や雇用ポリシーに働きかけて行おうというのは筋違いというべきでしょう。企業に高い賃金を払わせ、雇用維持の意欲を持たせたいのであれば、キャリア形成支援などの積極的労働市場政策を進めることが求められるでしょう。企業業績向上のためにそれが必要であれば、企業はおのずと安定した雇用と高い賃金を提供するはずだからです。