デンマーク

前回の続きですが、JILPTの機関誌「ビジネス・レーバー・トレンド」4月号では、奥谷禮子さんのほか、大橋範雄大阪経済大学教授、奥西好夫法政大学教授、権丈英子亜細亜大学准教授、玄田有史東京大学教授、佐野嘉秀法政大学准教授、龍井葉二連合非正規労働センター長、鶴光太郎経済産業研究所上席研究員、永瀬伸子お茶の水女子大学教授、仁田道夫東京大学教授、橋本陽子学習院大学教授、メアリー・ブリントン ハーバード大学教授、古郡鞆子中央大学教授、村松久良光南山大学教授、樋口美雄慶應義塾大学教授といった錚々たる面々がコメントを寄せておられます。
そのうち、デンマークについて言及しておられるのは、奥谷さんのほかには奥西先生と権丈先生のお二人です(鶴先生は、奥谷さんの熱意ある支持にもかかわらずデンマークには言及しておられません)。
まず、権丈先生のご意見からみてみましょう。

 デンマーク・モデルは、(1)解雇しやすい柔軟な労働市場、(2)手厚い失業給付を始めとした寛大な社会保障制度、(3)(スウェーデンで古くから展開されていた)積極的労働市場政策を有機的に連携させることにより――しばしば「黄金の三角形(the golden triangle)」と呼ばれる――労働市場の柔軟性と労働者の生活保障を両立させようというものである。
 日本でデンマーク・モデルに関心を寄せる人々には、労働者の生活保障の充実を訴える者だけでなく、規制緩和により労働市場流動性を高めることを主張してきた論者も含まれる。しかしながら覚えておいてほしいのは、まず、デンマークでは、早くから外部労働市場が準備されていたこと。これに加えて、積極的施策(職業訓練・職業紹介等)と消極的施策(失業給付等)をあわせた労働市場政策に二〇〇四年でGDPの四・五%が投入されており(日本では同年に〇・七%)、OECD諸国ではトップであることである(OECD. Stat.)――大規模な財政支出デンマークフレキシキュリティを支えているのである。このため、フレキシキュリティを雇用戦略とすることに合意したEU諸国においてさえも、デンマーク型をそのまま自国に導入しようとはしておらず、それぞれの道を探っている。
http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2009/04/002-019.pdf、以下同じ)

奥西先生はこうです。

デンマークは、企業に米英並みの「柔軟性」を保障しつつ、適用範囲が広く手厚い失業保険、強力な再就職支援措置といった社会的セーフティ・ネットで補完している(医療、教育も無料)。ただし税負担は世界トップクラスである(低賃金者でも限界所得税率は四四%。他に失業保険料が三%、消費税は二五%)。
 オランダやデンマークは政策決定のガバナンス(ILO用語ではsocial dialogue)という点でも際だっている。いずれの国も中央レベルの(政)労使協議がきわめて強力な役割を果たしている。オランダの賃金抑制+ワークシェアリング、パート政策は労使双方に大きな調整努力を求めるものだが、そのような政策が合意、実行されたのは、そのガバナンス構造の成果と言って過言でない。

権丈先生の「日本でデンマーク・モデルに関心を寄せる人々には、労働者の生活保障の充実を訴える者だけでなく、規制緩和により労働市場流動性を高めることを主張してきた論者も含まれる」というのはなかなか気の利いた一撃になっていますが、権丈先生ご指摘のとおり、労働市場流動性だけに着目していたのでは現実的な議論にはなりません。
権丈先生はここでは外部労働市場財政支出を指摘されていますが、「外部労働市場が準備されていた」といっても日本で想像するような並大抵のものではありません。デンマークの場合は、奥西先生も触れられているように、さまざまな労働条件や、他国なら労働法で定めるような事項まですべて国レベルでの中央労働協約で決められていて、大げさにいえば、いわば国全体が一つの企業のような状況であるといえるかもしれません(そう例えるなら、首相が社長で、求心力ある名誉会長として国王が君臨しているという感じでしょうか。ちょっと違うかな)。失業といっても所得保障は手厚いし、自宅待機して教育訓練を受けている、みたいなものなのでしょう。もっとも、賃金水準まで中央で全国一律に決めてしまっては企業の動機づけの手法が著しく限定されて人事管理に支障をきたすことは目に見えているわけで、近年では賃金などについては支部(個別労使)レベルで決定されるようになっているとか(聞いた話なので自信なし。ご存知の方、ご教示ください)。だとすれば、その影響がどのように出てくるのかは興味深いところです。
さて、これだけみるとまことにけっこうな話のようですが、それではなぜ「EU諸国においてさえも、デンマーク型をそのまま自国に導入しようとはして」いないのか、奥西先生がその理由をより明確に指摘しておられて、「低賃金者でも限界所得税率は四四%。他に失業保険料が三%、消費税は二五%」というたいへんな高負担が必要になるわけです。それなしには「国全体が一つの企業」は実現し得ないわけです。

  • もちろん、この高負担は労働政策だけではなく、教育や福祉にも振り向けられているわけですが、逆に幼児教育のレベルから愛国心教育などをしっかり行い、こうした施策を正当化する刷り込みを行うことで高負担に疑問を持たれにくくしているという面もあるのではないかと思います。

さすがに、これをそのまま自国に導入しようというのは大陸欧州諸国でも難しいのでしょう。ましてやわが国では、ここまでやるというコンセンサスを得るのはかなりの困難をともないそうです。「労働者の生活保障の充実を訴える者」も「規制緩和により労働市場流動性を高めることを主張してきた論者」も、都合のいいところだけをつまみ食いするのではなく、全体をみて議論してほしいものです。

  • また、これはとりわけ「労働者の生活保障の充実を訴える者」の方々は目をつぶりたいところかもしれません(邪推です)が、デンマーク法人税率は25%と、アイスランドアイルランドのようなタックス・ヘイブン的指向のある国を除けば、先進諸国ではおそらく最低水準となっています。社会保険料の企業負担もかなり少ないという話もあります(これまた聞いた話なので自信なし。ご存知の方、ご教示ください)。実はデンマークって、企業が優遇されていて、国民が重課税されている国でもあるんですね。今さらの話かもしれませんが。