宗教テロも労働問題

日経新聞のコラム「経済教室」で、「危機を超えて 世界新秩序と日本」というシリーズが進行中ですが、一昨日、東京大学教授の山内昌之氏の「中東の混迷も見落とすな 長期的解決の道探れ 背景に人口増と失業問題」という論考が掲載されていました。状況があまりに違いすぎるのでわが国に対する含意を引き出すことは難しいだろうとは思いますが、まことに興味深い指摘を含んでいますので、備忘的に転載しておきます。


 「人口の時限爆弾」「ゆりかごの復讐(ふくしゅう)」と俗称される人口増と、テロや暴力の温床をはぐくむ若年者の失業問題を抱えるイスラム圏は、二〇〇九年の世界を展望する上で、隠れたもう一つの焦点となるだろう。急増する人口を背景に国際社会の中で自己主張する存在感の高まりは、国際秩序をますます不安定にする要因になりかねないからだ。世界経済低迷で一段と深刻化する失業や貧富の格差の問題はイスラム圏に象徴的に現れている。まさにドイツの社会経済学者、グナル・ハインゾーン教授が『自爆する若者たち』で指摘した「ユース・バルジ」(過剰なまでに多い若い世代)の問題こそが、経済不安にも匹敵する危機として世界の未来に暗い影を投じているといえよう。
 人口問題といえば、日本では少子高齢化を連想するが、イエメンの出生率六・二を筆頭に、北アフリカを含めた中東ではむしろ多子若齢化が進んでいる。一九七〇年に約一億九千万人だった中東の人口は現在の五億人に達し、二〇二〇年には六億人になると予測されている。また世界人口のうち四分の一を占めるムスリム市民は、二〇三〇年代には三分の一に達するのだ。
 人口増は不完全雇用という歪(ひず)みを生み出す。中東では人口の六―七割を二十五歳未満が占める。これこそが二〇%台半ばという世界最高の失業率を中東で生む背景にほかならない。こうしたイスラム人口の爆発の未来をどう見ればよいのか。
…ここで見逃せないのが欧州の人口を一五〇〇年の六千万人から一九一四年に四億八千万人へ押し上げた要因だ。四人の息子がいる家族でも二人は何とか手近な所で就職できるかもしれない。
 だが、あぶれた二人に残される道は、ハインゾーン教授によれば、国外移住、犯罪、国内クーデター、内戦または革命、集団殺害と追放、越境戦争という六つしかない。事実、欧州はユース・バルジの問題を海外植民や征服戦争で処理し、一九一八年までには地上面積の十分の九を支配した。十五―二十九歳のユース・バルジを「軍備人口」や「戦闘に最適な年齢」と呼ぶのは、刺激が強い表現にせよ歴史学的には間違っていない。
 今後十年、イスラム圏では膨大な新規学卒者が労働市場流入し、大部分がそのまま失業者になる現実は変えようもない。エジプトやシリアでは仕事のない公務員の過剰採用で失業率を抑えてきたが、もはや限界に達した。湾岸諸国への移住で就職・就労の機会を得てきたアラブの国々は、現地の政府・企業が自国の若者を優先雇用するに至り、貴重な就職市場を失った。
 九〇年代の控えめな数値でも二十四歳以下の失業率は、エジプトで二四・五%、ヨルダンで二八・五%に達していた。低賃金雇用や海外への移住を含めれば実質失業率はさらに上昇する。「無為に過ごし力をもてあました若者たちに、ジハードという単純で力強い思想は強い喚起力を持つ」という池内恵准教授(東大)の表現はやや極端にせよ、ユース・バルジにおける失業とテロとの相関関係の一断面を正しくとらえている。

 昨年末からのイスラエル軍によるイスラム原理主義組織ハマスの支配するパレスチナ自治区ガザへの報復空爆は地上侵攻作戦へと発展した。多数の死傷者を出した悲劇の一端は、ガザの人口が一九五〇年から二〇〇八年で二十四万人から百五十万人に増えた点とも無関係でない。産業のないガザに暮らすパレスチナ人青少年にとり、対決への参加は日々の勤労に代わって生活の一部ともなっている切ない側面もあるからだ。
(平成21年1月7日付日本経済新聞朝刊「経済教室」から、以下同じ)

宗教戦争や宗教テロも、宗教的要素だけではなく背後には経済的要素が大きく横たわっていて、雇用失業問題の影響も大きいということのようです。赤木智弘氏の「希望は、戦争。」は既存秩序の破壊を願うものでしたが、こちらはもはや戦争が壮大な需要創出、雇用対策になっているという感すらあります。歴史的にも、たとえば十字軍遠征も宗教戦争ではありますが、雇用対策でもあったのでしょう。さらに、帝国主義・征服戦争は土地や資源を獲得することを通じて産業振興・雇用創出を意図していたということでしょう。現在でも地下資源をめぐる紛争は多発しているわけですし。
さて、山内氏は結論として、こうした事態の打開は短期には難しいと述べています。

…ドイツのハーバーマス氏やフランスのデリダ氏といった欧州の哲学者たちが唱えるように「道義的な世界救済」として多数の移民を受け入れる選択肢もありうるだろう。
 しかし世界史的不況の中では、欧米社会でも納得できる職を見つけられず、ロンドンやマドリードでのテロのようにユース・バルジの暴力が再生産される危険性も高い。移住がかなわないと、故郷にとどまらざるをえない。その帰結は、ユース・バルジが相変わらず故国の不安定要因として変わらないということだ。
 アフガニスタンパキスタンの複雑な様相は、オバマ氏が考えているほど短期に解決できるものではない。ガザでの対決も同じである。イスラム圏のユース・バルジの抱える構造的不整合は、金融経済のグローバルガバナンスや中東和平の実現に加え、ムスリム市民の意識改革を含めた長期の展望で均衡点を見いだす以外に良策がないのである。

わが国でも、先々人口減少が確実なのだから移民を受け入れてはどうか、といった議論がときおりありますが、いま現在のようにいざ不況が到来すれば雇用失業問題が大きくクローズアップされるわけで、不景気になったから移民の皆様は祖国にお帰りください、とはいえないでしょう(そういう人は定義上も移民とはいえないかもしれませんし)。このあたり、連合も主張しているように慎重な対処が必要です。経済的な対処という意味では、どちらかといえば、人を入れるよりは海外投資によって現地国で雇用を創出するほうが望ましい対応でしょう(これも場合によっては国内の空洞化をまねく懸念はあるわけですが)。とはいえ、これら国々では治安状況など投資環境が良好でなく、リスクが大きいことから、ビジネスベースではしょせん無理な話なのかもしれませんが(やれるものならすでにやっているだろうという気もしますし)…。
また、山内氏のいう「ムスリム市民の意識改革」というのは、具体的には出生数を減らしていくことが主眼のようで、具体的には文中の別の部分になりますが、イスラムの教義上の困難を認めた上でこう述べています。

預言者ムハンマドは、結婚を「信仰の半ば」でありイスラムの慣行として強く推奨し、結婚という合法的形態の他に性行為を認めなかった。イスラムにとって、神の授ける子どもを拒否する避妊は原理的に歓迎できるものではなかった。
 それでもテロの根絶には、長期的には教育と産児制限を尊重し、短期的にはイスラム史の教訓に学ぶことが大事である。例えば女性解放や文字改革による識字率向上に取り組みつつ、イスラム圏全体の近代化を刺激したトルコの世俗主義経験は転換モデルとして学ぶに値する。二十一世紀に入っても出生率二・五を維持するトルコは、イスラムの家族観念と近代化を両立させ議会制民主主義を定着させた例として評価すべきだろう。

少子高齢化・人口減に悩むわが国では考えにくいことですが、雇用対策には雇用機会の増加、マッチングの改善のほか、仕事を必要とする人口の増加を抑制するという切り口もあるということでしょうか。