イタリアに学ぶには

日経BP社のサイト「BPnet」で、評論家の森永卓郎氏が、経団連が人口減少に移民受け入れで対応するというアイデアを示した報告書を批判しています。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/160/index.html
移民受け入れが非常に困難な政策課題であり、先行した諸国でも十分うまくいっている例はないということは森永氏の主張のとおりで、実は氏が批判している経団連の報告書でも、経団連による欧州諸国の調査結果として「うまくいっていない」ということが明記されています。たしかに、慎重な上にも慎重な検討が必要な課題でありましょう。
さて、その後森永氏はなぜか経団連が移民受け入れを主張するのを「安価な労働力確保が目的」と断じ、「不況は企業による賃金抑制のせい」というかなり疑わしい氏の持論を展開します(もちろん、勤労者所得の伸び悩みが経済不振の一因であることはそのとおりと思います。ただ、森永氏はそれを過大評価しているように思われますし、それに対する対策は短絡的で合理的でないと感じますが、ここではそれは本題ではないのでこれ以上は書きません)。
そして、それに続いて、人口減少への対処として、イタリアの例を提示しています。

 「でも、日本の人口が減少するのは明らかだろう。森永は、移民以外に何かいい対処法を持っているのか」という反論される方もあるだろう。
 わたしが総理大臣になったら、本当の意味での構造改革をやってみたいものだ。低賃金労働力を使うのではなく、誰もがゆったりと暮らして、もっとクリエイティブな活動に専念するように推奨する。とりあえず、夏休みを1カ月とり、残業もやめるようにと勧告するだろう。
 こういうと、すぐ「森永はまた大ボラを吹いているが、そんなことでは経済はまわらない」としたり顔で批判する人がいる。だが、そんなことはない。たとえば、イタリアという国は、そんな感じでまわっているではないか。
 イタリアは、国土の面積が日本とほぼ同じで人口は約半分。しかも、日本と同じように高齢化社会である。ところが、一人当たりのGDPは日本とほぼ同じなのだ。いや、夏はたっぷりとバカンスをとり、労働時間は日本より少ないのだから、実質的に日本よりも一人当たりの所得は多いといっていい。
 なぜそんなことが可能なのかといえば、それは、高付加価値の製品をつくっているからだ。革製品やブランドの服など、イタリア製品といえば付加価値の高さによって世界市場で受け入れられている。もちろん、イタリアにだってさまざまな問題が存在しているが、少なくとも今の平均の日本人よりは、伸び伸びと暮らしているのは間違いない。
 そんないい先例があるではないか。現に日本でも、アニメやマンガをはじめとするクリエイティブな文化が、クールなものとして世界で評価されはじめたところである。それをもっと伸ばす方向を考えてみればどうだろうか。
 そのためには、若い人がもっと創造的になれる環境づくりが大切だと思うのだ。歩行者天国を禁止したり、メイド服で歩いているだけで取り締まったりするのは、方向が逆なのである。
 そして何よりも、本当に人口を増やしたいのならば、若い人がきちんと結婚できて、子どもがつくれるような給料を出すことが先決である。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/160/index3.html

あまり具体的な対処法が示されているとは申し上げられないように思いますが、イタリアを参考にすべきとの主張には一理ありそうに思えます。北欧マンセー論に較べればかなり日本に対するインプリケーションがあるように思えるからです。
ただ、イタリアにしてももちろん付加価値の高いブランド品だけで経済が成り立っているわけではなく、自動車産業のような重厚長大産業やIT・ハイテクにも一定のプレゼンスがありますし、日本だってアニメやマンガだけで経済が成り立つわけもありません。
また、一人当たりGDPが同程度とはいっても、現実の生活実感レベルでの消費生活は、まだだいぶ日本のほうがリードしているのが実態ではないかと思います。もちろん、なにをもって消費生活の豊かさとするかは個人の価値観によるところが大きく、田舎の農場で質素に素朴に暮らすことが「消費生活の豊かさ」であるという考え方ももちろんあるでしょう。しかし、少なくともイタリアにはディズニーランドもユニバーサルスタジオもなく、24時間営業のディスカウントストアもないでしょうし、会社勤めの女性が海外旅行に出かける頻度も日本のほうが相当高いでしょう。私はイタリアに住んだことも行ったこともありませんので本当のところがどうかはわかりませんが、政策論として述べるのであればこうした違いにも配慮する必要はあると思います。