「日教組をぶっ壊す」by中山成彬&連合の反応

そういえばご無沙汰だなと思い出し、ひさしぶりに連合のホームページをチェックしてみました。相変わらず活発に活動されているようで、思わず?いくつかネタが拾えたので、例によって何回かに分けて(笑)最近の事務局長談話などについてちょっとコメントを。
まず、舌禍で辞任、さらには引退を表明した中山成彬国交相についての「連合見解」です。事務局長談話より格上の連合見解にしているところに連合の気合を感じます。

  1. 中山成彬国土交通大臣は、25日、報道各社のインタビューで、成田空港拡張への反対を「ごね得」、観光政策に関し「日本は単一民族」、「日教組が強いところが学力が低い」などと発言した。前者の二点については撤回し陳謝したが、27日には現職閣僚の立場のまま、「日本の教育のがんは日教組だと思っている」「日教組をぶっ壊す最先頭に立つ」と述べ、日教組に関わる発言を撤回しないと宣言し、「集会・結社・表現の自由」にまで抵触する誹謗中傷を繰り返した。
  2. 同氏は、野党からの追及はもとより与党内部からも、事実にもとづかない発言や閣僚としての発言の重みを認識しない等の厳しい批判が噴出する中で、28日、辞任に追い込まれた。所管する課題への認識の誤りや甘さは、同氏が閣僚の資質を持ち得ていなかったことの証左である。問題発言を撤回、謝罪し大臣を辞任することは当然であるが、それで落着する問題ではない。
  3. 民主主義の基盤である基本的人権を率先して擁護すべき内閣・閣僚が、憲法が保障する「結社の自由」を公然と否定し、事実に反する発言を撤回するどころか一層エスカレートさせているという前代未聞の事態は、日本の民主主義にとって極めて深刻である。任命した麻生総理大臣の見識と責任が厳しく問われており、麻生内閣は行政の最高機関としての見解を表明し、事態の責任を明確にしなければならない。
  4. 連合は、合法的に存在している労働組合を現職閣僚が否定し、解体する等の発言と行為を断じて容認しない。あわせて、中山前大臣の事実に反する誹謗・中傷発言に強く抗議し、撤回と謝罪を求める。連合は以上の認識に立ち、麻生総理大臣に対し、一連の事態に対する内閣としての謝罪、見解の表明を求める。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/kenkai/2008/20080930_1222757471.html

お怒りまことにごもっともで、連合として当然の反応でしょう。実際、麻生首相もあっさり任命責任を認めて陳謝しました(これは「成田ごね得」「単一民族」発言もセットではありますが)。
ついでに中山氏の発言について私の意見も少し書いておこうと思います(わざわざ書くまでもないことのような気もしますが)。まず、せっかくですから?地元の西日本新聞の記事で事実関係を確認しておきましょう。

…「成田」「単一民族」発言は撤回したとしながらも、日教組に関しては「政治家中山成彬としては撤回したという考えはない」と言い放ち、1時間近く「ごく一部の過激分子が政治的に子どもたちを駄目にして、日本を駄目にしようと活動している」などと持論を展開。自民党有志による「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長として、「自虐史観」批判を展開してきたことでも知られるだけに、前日の発言も含め「確信的にあえて申し上げた」と胸を張った。
 ただ、この日も発言は脱線気味。日教組は解体すべきだとしながらも「組織として駄目というんじゃなくて、問題はごく一部。そういうのを切り離さないと」。労組の問題点に触れる中で突然、大阪府政に言及。「長年、トップと職員組合が癒着し、財政破たんにひんしている。民主党が政権をとれば日教組自治労などの支援を受けているから、日本は大阪みたいになる」と、論点は次々に拡散した。
(平成20年9月29日付西日本新聞朝刊から)

まあ、「ごく一部の過激分子」「問題はごく一部」というのであれば、たしかに国立市とか所沢高校(これは高教組ですが)とかいう事例もあるので、それはそのとおりだろうと思います。ただ、おそらくそういう教員は日教組の組合員であることが多いのでしょうが、だから「日教組をぶっ壊す」というのはいくらなんでも飛躍しすぎではないかと思うわけで。別に、国立や所沢高校みたいなのは、日教組が運動方針に掲げて組織的に取り組んでいるわけではないでしょう(日教組のサイトでは運動方針が公開されていないようなので、ウラがとれてはいないのですが)。
たしかに、日教組の政治活動や平和運動など(特にこれらにかかわる言説)をみると、常識的にみてもおそらく偏向しているだろうと思う(私からみれば相当偏向してみえますが、まあこれは私自身もある程度偏向していると思いますので)のですが、そこは労働組合なのですから政治活動も平和運動も許容される範囲内でご自由にやればいいでしょう。国立市や所沢高校のように生徒・児童を直接的に巻き込んで特定思想に誘導したりとか、ヤミ専従のようなルール違反をしたりとかすればそれは明らかに問題ですが、入学式の国家斉唱時に起立しないというような行動については、自己責任のもとでの自己主張・自己表現のひとつとしてありうるものと考えることもできるでしょう。

  • 正直申し上げて、私は「日の丸・君が代」に血道をあげるくらいなら、そのエネルギーを使うべきもっと大切なことがたくさんあるのではないかと思っていますが。

で、当然ながらそこには「処分」が発生することもあるでしょうし、それに対して労組(日教組)が抗議するということもあるでしょう。こうした対立は基本的には団体交渉や労使協議などによって解決されるべきものと思います(交渉であれば、決裂したら機関決定して入学式を同盟罷業することもできるわけで)。中山氏は日教組のこうした行動にご不満なのでしょうが、そもそも労働組合運動というものは世間の体制や秩序との間に一定の摩擦や緊張を有する性格のものであることを考えれば、こうした対立は社会的に懐深く許容されることが望ましいだろうと思います(逆にいえば、団交や協議が不十分なまま政治的プロセスに入るのは問題だろうとは思いますが、このあたりは私は実態をよく知らないのでなんともいえません)。

  • なお、私個人としては、国家斉唱時に起立しなければならないことが一般的に就労環境をどれほど悪化させるのかということに若干の疑問を持っているのですが、ここはいろいろな意見があるところだろうと思います。現実には「私には耐えられない苦痛だ」という人がいれば団交事項とすべきなのかもしれませんが、労働条件改善の名を借りた政治活動という印象は禁じ得ません。
  • 日教組は入学式、卒業式などについて「子どもの参加」をうたっているようですが、これも「卒業式では『蛍の光』より『贈る言葉』を歌いたいなあ」という政治色のない範囲であれば大きく問題視しなければならないものではないでしょう。

ということで、国立市や所沢高校の例のようなごく一部の異常分子の存在を理由に彼らが加入している組合(日教組)を「ぶっ壊す」というのはいかにも無理なものですし、それではそれ以外に日教組をぶっ壊すことを正当化するに足るような理由があるかといえば、それも見当たりそうもないようです。中山氏には連合が主張するとおり、はやめに発言を撤回、謝罪されることをおすすめしたいところです。

  • ただ、特に小中学校については児童・生徒や保護者に十分な学校選択の自由がないことから、ごく一部の異常分子はきちんと排除されることが必要でしょう。これは日教組とは関係なく放置できない問題だろうと思います。逆にいえば、所沢高校についてはそもそも生徒も保護者もそういうのが好きで(少なくとも承知のうえで)所沢高校を選んだのだから、学校とゴタゴタする分には勝手にやらせておけ、という考え方もあるかもしれません(実際、所沢高校ではPTAもいっしょになってワッショイワッショイやってるようですし)。もちろん、守るべきルールが守られていなくていいのかとか、公費が投入される公立校として適格かといった議論はあるのでしょうが、それは労使関係とはあまり関係ない話です。