ポジショントーク?

今週月曜日に配信されたベストセラー作家村上龍氏主宰のメールマガジン「JMM」を今日になって読んだのですが、なかなか面白い主張がされていましたのでご紹介したいと思います。JMMで面白いといえばもちろん山崎元で、さすがに期待を裏切らないというか何というか。
今回のお題は「楽天三木谷浩史社長が、福島原発の事故をめぐる経団連の姿勢を批判し、脱退も示唆したようです。経団連がその利益を代表する「財界」は、東日本大震災からの復興にどのような役割を演じるべきなのでしょうか。」というもので、山崎氏の回答はこうです。

  • JMMのサイトにも掲載されました。

http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/economy/article674_2.html

 そもそも、経団連はいらない。無い方がいい。
 過去にJMMでも何度か書いたような気がしますが、私は、経団連(正確には社団法人 日本経済団体連合会)という存在自体が不要だと思っています。…個人ではなく、企業が、しかも時には集団で圧力を行使して(政治資金も支出して)政治に関わる姿は、企業経営者が忌み嫌うところの労働組合が政治にしゃしゃり出るのと同じかそれ以上に醜悪です。
 寄付やボランティア等の厚意は個人が個人の立場で行えばいい。企業は、株主や従業員の利益のために行動することが目的の組織なのだから、ビジネス・チャンスがあると判断すれば(思うに、かなりのチャンスがあるでしょう)、被災地でビジネスを行えば良く、営利を度外視して行動すべき身分の主体ではありません。したがって経済団体が被災地に対してなすべきことは何もありません。
 一方、政府にはもちろん被災地の復興のためになすべきことがたくさんあります。…必要且つ有効なのは、自治体に復興のための予算と権限を与えること、被災者個人に早く金銭的な支援を行うこと、そして、たとえば被災地でのビジネスに「特区」的規制緩和を適用してビジネスチャンスを拡げることや、問題の電力で言えば送電と発電の事業を分離して競争を促進すること、進出する企業への法人税減免を行うなどの被災地の経済復興をインセンティブ面から支援することなどでしょう。
 もちろん、ここにも経団連をはじめとする経済団体の役割はありません。早期廃止が最善です。早く団体を解消して、個々の経営者なり、社員なりが、個人の資格で政治に向かって発言すべきでしょう。震災からの復興に関しても、「社長」とか「経団連会長」といった資格から物を言うのではなく、個人として発言し、努力すればいいのです。
 正確な比喩ではないかも知れませんが、会社の交際費で飲み食いするのではなく、身銭を切って飲み食いする人の方が、個人としてまっとうで且つ立派なのと、大体同じようなものです…。「財界」の肩書きで物を言うことなど、全く下らないし、粋でない。
 結論は以上で尽きています。尚、私は、編集長がご質問で言及された三木谷浩史氏が経営する楽天グループに属する会社の社員ですが、上記の意見は、個人的な意見であり、所属組織とは無関係です。…

経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員:山崎元

最初はまあこの人楽天の人だよねと思いながら読んでいたのですが最後に「これはボスを守るためのポジショントークじゃないよ」となっていて、いやこれ本気で書いているのだとしたらいったいどこからどのように突っ込めばいいものやら。
大きな問題点はたぶん二つあって、ひとつは誰かこの人に中間団体の何たるかを教えてあげてくださいということ、もうひとつはいらないとか無い方がいいとか書く前にまずその対象がなにをやっているか確認したほうがいいですよということになろうかと思います。
山崎氏は「個人ではなく、企業が、しかも時には集団で圧力を行使して(政治資金も支出して)政治に関わる姿は、企業経営者が忌み嫌うところの労働組合が政治にしゃしゃり出るのと同じかそれ以上に醜悪です。」と述べられますが、極論すればそれこそが中間団体の本質であるわけです。いかに大企業とはいえ、法人をふくむ個人と国の力関係は圧倒的に大差であり、国の専横を防ぐためにはさまざまな属性の中間団体が国を監視し牽制することが望ましいでしょう。逆に、国のやること・やろうとしていることを個人がすべて把握して対応することも不可能なので、それは中間団体が国の動きをキャッチしてメンバーにアラームすることが大切になるわけです。
ここで山崎氏は「寄付やボランティア等の厚意は個人が個人の立場で行えばいい。」と書いておられますが、しかし寄付はしたい、ボランティアをしたい、でも何をどうすればという人はたくさんいるわけで、そういう人たちのためにたとえば日本赤十字社のような中間団体があるわけです。山崎氏のいう個人は自然人限定なのかもしれませんが、法人である企業が個人として社会貢献をなそうということも当然あるわけで(もちろんそれは貢献してもらった人は顧客になるだろうとか企業イメージの向上が業績アップにつながるとかいった営利的な意図を多分に含んでいるわけですが)、その際に経済団体が中間団体としてそのとりまとめにあたるというのも、いたってまっとうな話と申せましょう。現に経団連風評被害をふくむ被災地の企業内産直市の開催を呼びかけたりしているようですね(http://chikyu-no-cocolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-1304.html)。
さて、山崎氏は政府の役割として「自治体に復興のための予算と権限を与えること、被災者個人に早く金銭的な支援を行うこと、そして、たとえば被災地でのビジネスに「特区」的規制緩和を適用してビジネスチャンスを拡げることや、問題の電力で言えば送電と発電の事業を分離して競争を促進すること、進出する企業への法人税減免を行うなどの被災地の経済復興をインセンティブ面から支援することなどでしょう。」と述べ、「ここにも経団連をはじめとする経済団体の役割はありません。早期廃止が最善です。早く団体を解消して、個々の経営者なり、社員なりが、個人の資格で政治に向かって発言すべきでしょう。」と断じておられますが、しかしこれ経団連だけではなく経済団体すべてを解消すべきというのは驚くべき論です。現実には山崎氏のような著名な論客であっても一人でいかに吼えたところで国や政治はたいして聞く耳を持たない(失礼)わけで、「個々の経営者なり、社員なりが、個人の資格で政治に向かって発言」していたのではなおさらでしょう。それなりに聞く耳を持たせるためには(これは山崎氏自身が指摘していますが)やはりそれなりの規模による圧力が必要なわけです。
で、今回の震災後に経団連がやっていることをみると、たとえば3月31日に「震災復興に向けた緊急提言」というのを発表していて、内容をみると震災特区なども織り込まれています(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/022.html)。規制緩和要望も行われていて(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/040.htmlhttp://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/043.html)、これらはまさに山崎氏がいうように各企業がビジネスを行うための提言・要請であるところ、これを各企業・経営者からばらばらに持ち込まれたら政府もたまらんだろうなあというのは容易に想像できます。山崎氏が政治とのかかわりが経団連と同じくらい醜悪とお考えらしい(これは後述するように疑義もあるのですが)な労働組合(連合)と共同で「今夏の電力需給対策に関する労使の取り組みおよび政府への緊急提言」なんてのも出されてますな。「復興・創生マスタープラン」を経団連が発表したのは5月27日なのでこれを持ち出すのは山崎氏に不公平というものでしょうが、たぶん山崎氏はこういうことは丸ごとご存知ないのではないかなあと思うことしきり。
こうした機能や活動実態を承知した上で、たとえば日商があれば十分だから経団連はなくてもいいとか、大企業ばかりが集まっても資源のムダづかいだとか、復興についてはもっと適切な中間団体があるとか、あるいは中間団体のあるべき姿(一般化は無理とは思いますが)とかいった話なら、当否はともかく議論にはなるだろうと思います。しかし、山崎氏の議論はなんらの根拠も示すことなく「個人が国・政府に個別に発言すれば足り、中間団体はすべて不要、したがって経団連も不要」と断定し、「政治に関わる姿は…醜悪」だから不要だ、と述べているに過ぎません。もちろん山崎氏がどのような美意識を持たれようとご自由ですし、財界人としての発言が粋でないとか経団連が政治に関わることが醜悪とか感じる人も山崎氏だけでなく少なからずいるだろうと思いますが、気にいらないからなくなってしまえというだけの議論は説得力を持たないでしょう。だからまあポジショントークだろうと思って読んでいたわけですが、そうでないとしたら何なのだろうかと。
まあ私も中間団体の方々といろいろおつきあいがありますので、このエントリもポジショントークだと言われれば否定はしません。というか不都合がある向きにはこれはポジショントークですからそのようにお願いします(笑)。
(追記)
この回答は本当に突っ込みどころ満載で、たとえば引用では省略した部分ですが「時代的役割」は普通「歴史的役割」ではないかとか、「営利を度外視して行動すべき身分の主体ではありません。」というのは気持ちはわかるけどでも「身分の主体」ってなんだろうとかいった不思議な表現があり、これはJMMのホームページに載せるときには直したほうがいいと思います。この回答自体を掲載しないほうがいいという考え方もあるかもしれませんが面白いからそれは惜しいなあ。
それから、やや揚げ足取りめきますが「企業経営者が忌み嫌うところの労働組合」という表現があるところ企業経営者が忌み嫌わない労働組合というものも現実に多数存在するわけで、組合員数で見れば相当数を占めると思います。要するに労使協調路線の組合で、その取り組む政治活動はどのように評価すればいいのか、とりあえずわざわざ「企業経営者が忌み嫌うところの」と限定した以上は醜悪とまでは言えないのか、という問題もあります。まあ企業経営者は組合活動なんてすべからく忌み嫌っているに違いない、という事実と異なる思い込みがあるんだろうという推測が当たっているような気はしますが。
さらに「企業は、株主や従業員の利益のために行動することが目的の組織」という記載があって、まあ私は企業は株主や従業員などの利益のために行動することが目的の組織だろうと思いますが、「従業員のために」というのは山崎氏のこれまでの発言と整合しているのでしょうか?これはウラをとっていないので整合しているのであれば申し訳ありません。
また「問題の電力で言えば送電と発電の事業を分離して競争を促進すること」は有力な政策のようですが(私にはよくわからない)、復興に「必要且つ有効なのは」とまで言うのは言い過ぎのように思われます(まあ言い過ぎでもないでしょうか)。