人事管理からみた若年非正規雇用問題(1)

そろそろいいかな、という気がしてきましたので(本当か?)、今年の4月に発表された総合研究開発機構(NIRA)の報告書『就職氷河期世代のきわどさ―高まる雇用リスクにどう対応すべきか』に寄稿した「人事管理からみた若年非正規雇用問題」を転載しておきたいと思います。長いので、本文が2章構成になっているのにしたがって2日に分けます。以下転載です。


はじめに


 本稿では、企業の人事管理、すなわち若年労働力の需要者の立場から、世間で「若年非正規雇用問題」と呼ばれているものについて若干のコメントを試みる。筆者は一介の実務家であり、研究者ではないので、文献的根拠をいちいち示すことはしていない。また、記述の一部は筆者の業務を通じた経験や見聞によるものであり、必ずしも学術的評価に耐えるものではないことを了解されたい。なお、本稿はすべて筆者の個人的見解であり、筆者の勤務先であるトヨタ自動車株式会社、および関係する団体等の公式見解ではない。


1.若年非正規雇用問題はなぜ起きたか


■日本企業の人事戦略の特色
ロスト・ジェネレーション」などとも俗称される若年非正規雇用問題については、1990年代後半から2000年代前半にかけての企業の雇用調整の影響が指摘できよう。この時期、多くの企業が、業績の深刻な低迷にともなう経営のスリム化を迫られていた。
日本企業の人事管理の特徴として、若年者、特に新卒者を採用し、原則として定年まで雇用するという「長期雇用慣行」があげられることが多い。これは多くの企業が職場でのOJTを中心として長期的な人材育成、すなわち人的資源投資を行い、それを長期間かけて回収していくという人材戦略を採用してきた結果として成立したものと考えられよう。この戦略は、企業が必要としている技能だけを、その技能を要する仕事をさせながら身に付けさせるという点で非常に効率的な能力形成がはかられると同時に、その企業に特有の固有技術やノウハウ、いわゆる企業特殊的熟練や、さらには変化や不確実性に対応するノウハウ、いわゆる知的熟練を蓄積するうえでも優れていた。このような「人材育成力」がわが国産業・企業の競争力を支えてきた部分は大きいものと思われる。
こうした人材戦略はわが国に必ずしも特有のものではないが、わが国においてはこれが企業間に広汎に普及し、かなりの程度徹底していることが特徴といえよう。そのため、わが国の労働市場や、労働法制・労働政策、労使関係、あるいは個別企業における賃金制度などの人事管理も、基本的には長期雇用慣行を前提としたものとして成立してきたといえるのではないか。
いくつかその代表例をあげると、たとえば人事管理における年功的な処遇があげられる。長期投資・長期回収を意図する以上、社員には長期勤続が期待され、その定着は人事管理の重要な課題となる。年功賃金には生計費確保という側面もあるが、定着促進や能力向上へのインセンティブという側面も見逃すことはできない。未熟練の若年期には貢献度を上回る賃金を支払いつつ人材投資を行い、ある時期からは貢献度が賃金を上回るようにして投資の回収をはかる。この時期に投資を上回る回収を行い、定年退職が近づいてくると再び賃金が貢献度を上回り、最終的には退職金が支払われることで、生涯を通じて賃金と貢献度の均衡がはかられる。これは定年までの勤続を促すとともに、人事考課をともなう職能資格制度とあいまって、勤続を通じて能力を伸ばすことが賃金の上昇に結びつくという形で、能力向上へのインセンティブとしても働いてきた。
労働法制においては解雇権濫用法理、とりわけ整理解雇をめぐる判例法理があげられる。企業は社員に対して中長期的な人材投資を行うが、その中身は相当程度企業特殊的熟練を含んでいる。したがって、社員が退職した場合には、同業に再就職したとしても賃金が下がる可能性が高い。また、年功的な処遇のもとでは、人材投資が回収される時期に退職した場合、社員にとって損失となる可能性もある。そもそも、いわゆる「期間の定めのない雇用」とは実務上は「定年までの長期的な有期雇用」であることが多く、企業が定年までの雇用を約束するかわりに社員は能力開発や転勤を含む人事異動など企業の必要に柔軟に対応しているのだから、社員はその約束を一方的に反故にするような企業の機会主義的な行動から保護される必要があろう。そのため、労働基準法は「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」としているし、とりわけ社員になんら非がないにもかかわらず経営上の事情で解雇を行う「整理解雇」については、高度の必要性、解雇回避努力、人選の合理性、および労働組合や従業員との協議や説明などの手続きを尽くすことといった4要件・要素が判例法理として成立してきた。
また、労働政策の面で特徴的なものとして、雇用調整助成金制度があげられよう。これは、一定の事業活動の縮小等を余儀なくされた事業主が、将来的な事業活動の回復を前提として、整理解雇を回避するために休業や教育訓練、出向を実施して雇用を維持した場合に、休業手当や教育訓練費用、賃金の一部を政府が助成するという制度である。いずれ回復が見込めるのであれば、人材投資が行われた社員が一時的な不況などのために離職を余儀なくされることは企業にとっても社員にとっても損失であるとの考え方であろうが、離職者が出ればいずれ求職者給付が発生するのだから、同じ給付を行うのであれば雇用が維持されたまま助成金として支出したほうが好ましいという考え方とも考えられ、政策的に雇用の維持が重視されてきたことが伺える。
■日本企業における雇用調整
このように、従来の日本企業における雇用調整においては、長期雇用の社員の雇用維持を重視し、整理解雇は「最後の手段」と位置づけられることが多かった。具体的には、時間外労働による対応は比較的日常的に行われてきた。忙しいときに人手をふやさず、残業で対応しておけば、仕事が減ったときには残業を減らせば雇用を減らさずにすむ。あるいは、同一社内で職場間の繁閑に差がある場合は、仕事が少ない職場の従業員が一時的に忙しい職場に移り、その仕事を手伝うということも多くみられる。また、人件費の抑制という観点からは、時間外労働の減少にともなう時間外手当の減少のほか、賞与についても労使交渉を経て経営状況に応じた減額が柔軟に行われてきた。
こうした対応が限界に達し、いよいよ人員を減らさなければならなくなると、まずとられる対応は新規採用の抑制と、パートタイマーや契約社員といったいわゆる非正規雇用の雇い止めである。
定年退職などで従業員が退職するのに対し、新規採用での補充を行わなければ人員は減少する。既存の雇用は維持されたまま人員を減らすことができ、企業内に蓄積された熟練は流出しない。一般的に「自然減」と呼ばれているが、これは新卒者にとっては就職難にほかならない。卒業時が不況で就職難だった世代は、そうでない世代に比較して生涯所得などで不利になっているという「世代効果」が示されている。パートタイマーや契約社員といったいわゆる非正規雇用は、とりわけ近年には基幹的職務を担うケースもみられるものの、いわゆる正社員に較べると繁忙時の補充的要員という性格を強く持っていたと言ってよかろう。したがって、いわゆる正社員と比較すれば「長期投資・長期回収」といった人材戦略との関連性は弱く、退職した場合も熟練の流出は比較的多くない。さらに、これら非正規雇用は有期契約であることが多く、契約を更新せず雇い止めすることで比較的容易に人員を減少させることができることから、人員減の手段として利用されやすいという事情もある。判例法理においても、「解雇回避努力」として非正規雇用の雇い止めを行うことが求められている。
さらに人員過剰が厳しくなると、雇用調整助成金を活用した雇用調整が行われるようになる。たとえば稼働日を休業日とする「休業」がある。この場合、企業は平均賃金の6割以上の休業手当を支払わなければならないが、雇用調整助成金が給付されることや、とりわけ工場などでは一斉休業することによる用役費などの低減効果が大きいことなどもあり、企業にとっては比較的軽い負担で雇用を維持することができる。あるいは「出向」、たとえば製造会社で余剰となった人員を販売会社に出向させて営業に従事させるといった雇用調整も実施されてきた。
こうした手段を講じてもなお人員過剰が解消されないとなると、いよいよ長期雇用の社員の雇用維持も困難となってくる。この段階で取られる方法は、希望退職の募集や賃金の減額といった厳しいものとなってくる。ここまで手順を尽くしてなお経営上の高度な必要性があるのであれば、ようやく整理解雇が可能となるというのが、わが国政労使の一般的な価値観として共有されてきたといえるだろう。
■若年非正規雇用問題の需要サイド要因
さて、今回の雇用調整局面をみると、従来の雇用調整とはやや異なる状況もみられる。
第一に、今回の雇用調整局面がかなりの長期にわたったことがあげられる。そのため、もっとも基本的な雇用調整手法のひとつであるいわゆる「自然減」、すなわち新規採用の抑制による退職者の不補充が長期間継続した。これが、新卒者の「就職超氷河期」という状況をもたらした最大の要因と思われる。
第二に、今回の雇用調整局面では、非正規雇用は減少せず、正規雇用が減少したことがあげられる。これはおそらく、日本経済の期待成長率が下方屈折したことと関連していると思われる。日本経済は高度成長の終了後も年率4%程度の安定成長を維持してきたが、今回の雇用調整局面の成長率はそれを大きく下回り、今後もわが国の潜在成長率は2%程度とみるのが大勢ではあるまいか。産業・企業による差は大きいだろうが、全体的にみれば経済成長が低ければ企業組織の拡大も見込みにくいことは容易に予想される。経済が順調に成長し、企業組織が趨勢的に拡大を続けている状況であれば、一時的な人員過剰はその後の組織拡大によって容易に吸収され得ただろうが、企業組織が拡大しないとなると、人員過剰は一時的なものにとどまらない可能性が高まる。そうした状況下では、長期雇用の社員の雇用を維持しつつ景気の変動や業績の好不調に対応していくためには、時間外労働や非正規雇用といった雇用調整のフレキシビリティをより多く確保することが必要となろう。今回の雇用調整局面においては、多くの企業が今後さらに一段の雇用調整に迫られる場面を想定し、フレキシビリティの観点から一定割合の非正規雇用を残したままで希望退職などによる正規雇用の削減に向かったのではなかろうか。また、新規採用を行う場合でも、フレキシビリティを考慮して正規雇用ではなく非正規雇用で採用しようと考えるケースが多くなっていったことは想像に難くない。人事管理の側面からは、従来から長期雇用の新入社員に対して、まずは基本的な実務を知るという育成上の観点から、初歩的な業務が割り当てられることが多かった。しかし、企業組織の拡大が止まり、長期雇用の新入社員が減少すると、これら業務は、長期的技能蓄積が期待されないパートタイマー、契約社員派遣社員などへ割り当てられることが多くなった。このように、期待成長率の下方屈折が若年労働市場をますます厳しいものとしたと思われる。
第三に、企業統治をめぐる状況の変化があげられる。従来、日本企業では2期連続で赤字決算になると本格的な雇用調整が行われる傾向があることが示されていたが、今回の雇用調整局面ではその期間が短くなる傾向が指摘されている。王子製紙の大國昌彦会長(当時)は1999年8月に開催された日経連経営トップセミナーのパネルディスカッションで、ライバル会社が雇用削減を含むリストラ計画を発表したところ株価が上がったのに対し、自社のリストラ計画の中で雇用を守ると発表したところ株価が下がったことを嘆いたというが、近年、企業経営者は株主価値の向上のみを追及すべきだといった主張が有力となり、また、短期的な利益を追求する傾向の強い投資ファンドなどが発言力を高めていることなどもあって、企業が余剰人員を「抱え込む」ことに対する風当たりは強くなっている。雇用調整助成金制度に対しても、「衰退産業を延命し、産業構造の転換を妨げる」などの批判がなされた。このような企業統治をめぐる状況の変化が、雇用情勢をより厳しいものとした可能性は否定できまい。
第四に、今回の雇用調整局面においては並行して老齢基礎年金支給開始年齢の引き上げが始まり、高齢者雇用の拡大が強い政治的要請となっていたことがあげられよう。当時の雇用失業情勢に照らして若年雇用への悪影響を指摘する意見があったにもかかわらず、2004年には高年齢者雇用安定法が改正され、2006年4月1日以降、企業に原則として希望者全員について段階的に65歳までの雇用確保措置が義務づけられた。これがさなきだに厳しい若年の雇用情勢をさらに厳しいものとしたことは見やすい理屈だろう。
今日、雇用失業情勢は改善し、新卒就職はむしろ売り手市場の様相を呈している。「ロスト・ジェネレーション」の中にも、第二新卒や正社員登用といった形で安定した職を得た人が少なくなかろう。とはいえ、それはまだ少数派と考えるのが妥当とも思われ、継続的な取り組みは必要であろう。とりわけ、日本企業の人材戦略が長期投資・長期回収を意図している以上、高齢になればなるほど状況が困難であることに変わりはない。若年非正規雇用の中でも、30代にさしかかったいわゆる中高年フリーターにはまだまだ厳しい状況が続くのではないか。
■供給サイド要因
以上、もっぱら若年非正規雇用問題について需要サイドの要因を述べてきたが、供給サイド、すなわち若年自身にその要因を求める意見もあるようだ。筆者にはその当否を判断することはできないが、当時「若年雇用対策」として実施されてきた施策をみると、供給サイドの改善をはかるものも少なくない。たとえば教育訓練への支援がそれであり、「社会人基礎力」や「人間力」といったキーワードで語られるのもまた供給サイドの施策であろう。需要サイドの対策を述べる前に簡単にコメントしておきたい。
結論からいえば、実務的な見地からすると、こうした施策が直接的に大きな効果を発揮することは望みにくかったのではあるまいか。今回の雇用調整局面の最も深刻な一時期には、名だたる大企業でも採用計画が「ゼロ」という例がいくつもみられた。「若干名」ならともかく「ゼロ」ということは、どんなにいい人材が入社を希望してきても採用するつもりはありません、ということだろう。このような極端な需要不足下においては、供給サイドを改善して優れた人材をたくさん並べたところで採用増が期待しにくいことは明白だろう。あまり適当な例えではないかもしれないが、食べ過ぎで腹痛を訴えている人の前に山海の珍味を並べても食欲を覚えないのと似たようなものではあるまいか。
もっとも、これら施策が即座に効果を発揮しなかったとしても、経済や企業業績が回復し、労働需要が高まってきた状況においては、やはり教育訓練を受けてこなかった人よりは受けてきた人のほうが先に採用されるということはあるのかもしれない。そういう意味では、供給サイド施策も一定の意義は有していたと評価できるのかもしれない。
ちなみに、やはりさまざまな施策が講じられたマッチング対策についても同様のことがいえそうに思われる。もちろん、供給サイド施策もマッチング施策も大切であり、一定の効果はあろうが、需給バランスが大きく崩れた中では限界があったということではなかろうか。