保育サービスの潤沢な供給を

きょう、社会保障審議会少子化対策特別部会の「次世代育成支援のための新たな制度体系の設計に向けた基本的考え方」が発表されました。「新たな制度体系」というだけあって、まことに網羅的な内容となっています。
厚労省HPに掲載された「概要」をみていきますと、「基本認識」に続いて、具体論の第一として「サービスの量的拡大」がきています。「子育て支援サービスは、全般的に「量」が不足(必要な人が必要な時に利用できていない)。大きな潜在需要を抱えている。」という認識はまことに適切と思われます。ただ、本文を読むと、それがすぐに「仕事と子育ての両立」とか「女性の就業率の高まり」とかにつながっていってしまうのは残念なところで、これでは少子化対策としては不十分なものにとどまるでしょう。保育サービスを必要としているのは、決して「保育に欠ける」子どもだけではなく、また「仕事と子育ての両立」を求める保護者だけでもないはずです。
出産・育児によって得るものは非常に大きいいっぽうで、失うものもまた相当に大きいわけですが、この「失うもの」は手ごろな価格で便利に利用できる保育サービスが潤沢に供給されることによって、かなりの程度取り戻すことができます。だから保育サービスの供給増は非常に重要なわけですが、どうもこうした政策検討の中では、「失うもの」が「就労」(とそれにともなう職業キャリアや収入)に限られてしまいがちなところに大間違いがあるのではないかと思うわけです。
もちろん仕事を続けられることはとても大切でしょうし、なにごともカネあってこそのもの、というのも世の真実ではあるでしょうが、しかしカネに関しては配偶者にバッチリ稼がせるという作戦もあります。育児・出産で失われるのは仕事だけではなく、レストランでの友人とのランチタイムや、おしゃれな装いでのショッピング、週末の温泉への小旅行、あるいは年に一度の海外旅行といったものもやはり失われます。私たちの生活が豊かになったことで、こうしたものを「かけがえのないもの」と感じ、育児・出産で得るものとは引き換えられないと思う人も増えているのではないでしょうか。
ですから、保育サービスの量的拡大は「「仕事と生活の調和推進のための行動指針」において10年後(2017年)の目標として掲げられたサービス量の実現に向け」というレベルではまったく物足りないわけで、保育サービスの利用基準を抜本的に拡大もしくは自由化し、仕事をする人が仕事をする時間だけ保育サービスを利用できれば足りるというのではなく、仕事をしない人が遊びに行くときにも保育サービスを利用できるようにするのでなければ、少子化対策としての効果は限定的でしょう。たしかに今は「仕事が続けられなくなるから子どもはいりません」という人が多いのかもしれませんが、それではそういう人に対して「仕事を続けられるようにしてやったぞ、さあ子どもを持て」と言ったところで、「いや、仕事は続けられても遊びに行けなくなるからやっぱり子どもはいりません」と言われてしまう可能性はかなり高いのではないでしょうか。
とはいえ、これまでは保育サービスに関しては「財源不要の少子化対策」として「企業内託児所」に並々ならぬ期待が寄せられていたのに較べれば、「財源の手当て」に踏み込んで「認可保育所の拡充を基本としつつ、多様な主体が、働き方やニーズの多様化に対応した多様なサービスを提供する仕組みとしていくことが必要」と述べているのはまことに大きな進歩と申せましょう。「認可保育所の拡充を基本」というのが何箇所も出てくるのはいささか目障りなのですが、「保護者とサービス提供者の契約など利用方式のあり方についても、新しい保育メカニズムの考え方を踏まえつつ、利用者の多様なニーズに応じた選択を可能とする」というところにまで踏み込んでいるのは評価できます。まあ、認可保育所中心というのは「保育サービスの公共性」や「子どもは保育サービスを選べない(から行政の介入が必要)」ということで、役所としては譲れない一線なのでしょうか。