韓国の少子化対策

韓国の少子化が日本以上に深刻であることはよく知られており、わが国同様、少子化対策は大きな政治課題となっています。今朝の日経新聞で、その具体策が報じられていました。

 韓国で少子化が急速に進んでいる。昨年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の数)は1.08と日本(1.25)を下回り、世界最低水準に落ち込んだ。政府は7月に保育費支援などの総合対策を確定して本格的に取り組み始めたが、ライフスタイルや価値観が変化するなか、少子化の流れを食い止めるのは簡単ではない。

 政府は確定した「低出産・高齢社会基本計画」で2010年までに総額32兆ウォン(約3兆8000億円)を投入し、保育施設の充実や教育費支援などを進める。「女性が家庭と職場を両立できる体制をつくるのが狙い」(韓明淑首相)だ。
 韓国の出生率は1970年に4.53だったのが、短期間で一気に低下した。「準備が遅れた」(同首相)のは否めない。少子化の原因が経済的理由だけではないため、政府が育児支援などを拡充しても大きな効果は期待薄との見方も強い。
(平成18年8月7日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

育児への経済的支援に熱心などこぞの国の大臣に読ませたい話ですが、面白いのは「家庭と職場を両立できる体制」づくりに対して「大きな効果は期待薄」とされている点です。「少子化は企業のせい」と言わんばかりに「育児と仕事の両立」を声高に主張するどこぞの国の役所にも読ませたいものです。


さてそれでは韓国でなにが問題かという話ですが、朴吉聲・高麗大教授のインタビュー記事によると、まずはこうです。

 最も影響を与えたのは1997年に起きた経済危機だ。国際通貨基金IMF)の指導による構造調整で、多くの人々が失業した。終身雇用や退職金制度がなくなった。人々は雇用の不安定さを心配し始め、結婚や出産を先延ばしする傾向が強まった。

なるほど、なるほど。それはそうでしょう。これは日本でも類似のことが言われていて、90年代の経済不振、雇用リストラなどが国民の先行き不安感を高め、「安心して子どもを作れなくなった」とされています。
さらに朴教授はこうも述べます。

 少子化対策として効果があるのは、家庭内での男女平等を定着させることだ。社会の男女平等は様々な制度を通じて進んでいるが、家庭内の男女平等は遅れている。男性も家事や育児に積極的に参加する文化を実現すべきだ。家庭内の男女平等は学校教育やテレビなどを通じて実現できる。

韓国は日本以上に性役割意識が強いとされていますので、育児を全面的に負わされる女性が「それはいやだ」ということになると、当然ながら出産を避けるようになるでしょう。
とはいえ、本当に「男女平等は学校教育やテレビなどを通じて実現できる」かどうかという問題はおくとしても、実際に家庭内が男女平等になれば子どもは生まれるのか、というところにも大いに疑問があります。記事では、韓国人男性のこんな声も紹介されています。

 貿易会社に勤める張浩準氏(32)は、大企業に勤務する妻(36)と結婚して3年。「妻は子供を産みたいというけど、僕は嫌いだ。子供が生まれた瞬間に自分の人生が終わってしまうと考えているからね」と張氏。
 政府の少子化対策についても「我々のような中産層が子供を持つかどうかは価値観の問題。政府が何をしようが我々の価値観は変わらない」と一蹴する。

これでは、家庭内が男女平等であってもなくても、子どもは生まれないでしょう。たしかに、子どもが生まれると、それまでとは大きくライフスタイルを変えざるを得ません。相当程度「子どもに生活を合わせる」ことが必要になるからです。当然ながら、仕事も遊びも従来のようにはいかず、かなりのものを失うことになります。それが、子どもを持つこと、育てることの喜びでは到底埋め合わせることができないほどの大きな苦痛であるならば、それはたしかに「人生が終わってしまう」ということでしょうし、そういう人はいかに男女平等にしようとも経済的支援を行おうとも子どもを持とうとはしないでしょう。1.08という極端な少子化の背景には、多くの人がこういう考え方を持っているという現実があるのではないでしょうか。そして日本でも、アンケート調査などには「できれば子どもがほしい」と建前の回答をしつつ、実は同じように「今の楽しい生活を失うくらいなら子どもなんか要らない」、さらには「結婚なんかしなくてもいい」という人はけっこう多いのではないでしょうか。これはある意味、国家が発展し、経済が拡大し、国民の暮し向きが改善して豊かな生活を送れることになったことの当然の帰結なのかもしれません。子どもがいなくても、結婚しなくても楽しく幸福な生活が送れるというのは、それはそれで「豊かだ」ということでしょうし、それを悪いことだと否定することもできないように思います。
さて、もし、こういう人が一国の大半を占めたなら、もはや少子化は止められないのかといえば、私は必ずしもそうだとは思いません。こういう人には経済的支援や男女平等、あるいは日本でよく言われるような「働き方の見直し」もさほど効かないでしょうが、要するに子どもがいても子どもがいないときと同じような生活ができるようにすればいいわけです。それも、なにも四六時中そうでなければいけないというわけではなく、生活の多くは子どもとともに過ごす(のでなければ、なんのために子どもを持つのかわかりません)としても、ある必要な一時に、子どもがいない生活が可能になればいいわけで、要するにいつでも誰でも使える、便利で使い勝手のいい、安価な保育サービスがふんだんに供給されればいいわけです。極端なことをいえば、子どもが泣き止まなくてどうしていいかわからない、この一時だけでいいから子どもがいない状態になってほしい、というときに、すぐ飛んでいって子どもを預けることができる(そして、できればそうしたときの対処方法を指導してくれる)くらいに便利なサービスが安価に提供される、ということです。
これには相当の財源が必要となるかもしれませんが、国によっては1歳くらいから育児はほとんど公的サービスでしてもらうことができるという例もあるということですから、あながち不可能というわけでもないでしょう。職業もそうですが、育児にも実際にやってみないとわからない楽しさ、喜びがたくさんあるのではないでしょうか。子どもを生んでも「豊かさ」は損なわれない、という安心感をまず与えて、まずは子どもを持つことに踏み切らせてしまえば、あとのコストはそれほど大きくならないかもしれない、という予測は楽観的すぎるかもしれませんが。