柳沢厚労相、また失言?

女性を機械に例えたとして非難されている柳沢厚労相が、また失言をしたと報じられています。

 柳沢厚生労働相が6日の記者会見で、「若者は『結婚して子供を2人以上持ちたい』という健全な状況にいる」などと発言したことに、野党各党は一斉に反発した。7日からの審議で厳しく追及する構えだ。
 民主党の小沢代表は山形市での記者会見で、「(女性を産む機械に例えた)発言以来、『ごめんなさい』と言っているが、柳沢氏自身の意識や考え方、体質は変わっていない」と批判。国民新党亀井久興幹事長も記者会見で、「子供を1人しか作れない人々は不健全と言わんばかりの発言だ」と指摘した。
(平成19年2月7日付読売新聞朝刊から)

ほかにもいろいろな人が批判しています。

 コラムニストの天野祐吉さんは「結婚願望とか子どもの数を、統計データを基に、多数派、少数派というならいいが、『健全』という言葉を使うのがおかしい。『産む機械』発言と奥の方でつながっている気がするし、失言というより、彼の人生観、社会観が出たんだろう」とみる。その上で「少子化担当のポストは無理だと思うが、柳沢さんはある意味正直に発言しただけ。政治家だけでなく、多くの人たちの中に無意識に残っているこうした考え方がなくならないと、大臣を代えても問題は解決しないと思う」。
 心理学者の小倉千加子さんも「結婚したい、子供が2人以上ほしい、というのを健全とすること自体、古い道徳観からくる発言で、年齢的な限界を感じる」と言う。「こういう発言が止まらない人が厚生労働大臣をしているから、ピントのずれた政策が続き、少子化が止まらないのだと思う。
(平成19年2月6日付朝日新聞夕刊から)

 共産党穀田恵二国対委員長は「1人だったら不健全、ゼロだったら不健全だと言いたいわけだ。全く反省していない」、社民党の福島党首は「子どもを持ちたくても持てなかった人や、持とうと思わない人に配慮がない」と批判。小沢、福島両氏と国民新党綿貫代表の3野党党首は6日夜の会談で、改めて辞任を求めることで一致。首相官邸で塩崎官房長官に申し入れた。
 与党内でも公明党浜四津敏子代表代行が「日本の少子化問題の本質を正しく理解していただかないと、厚生労働大臣の仕事はやっていただけないと思う」と批判した。
(平成19年2月7日付朝日新聞朝刊から)

まあ、たしかに穀田氏のいうような意味で発言したのなら、まことに不適切かもしれません。しかし、厚生労働省のホームページに掲載されている会見録をみるかぎり、そういう意味にはとれないように私は思います。

 若い人たちの雇用の形態というようなものが、例えば、婚姻の状況等に強い相関関係を持って、雇用が安定すれば婚姻の率も高まると、こういうような状況ですから、まず、そういうようなことにも着目して、私どもは若者に対して安定した雇用の場を与えていかなければいけないと、こういうことでありましょう。それからまた、女性、あるいは一緒の所帯に住む世帯の家計というようなものが、子どもを持つことによって厳しい条件になりますから、それらを軽減するという、いわゆる経済的な支援というようなものも必要だろうと、このように考えます。それからもう1つは、やはり家庭を営み、また子どもを育てるということには、人生の喜びというか、そういうようなものがあるんだというような、意識の面の、自己実現といった場合ももう少し広い範囲でみんなが若い人たちが捉えるように、ということが必要だろうというふうに思います。ただ、前から言っていることですが、そういうことを我々は政策として考えていかなければいけないのではないかと思うのですが、他方、ご当人の若い人たちというのは、結婚をしたい、それから、子どもを二人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけですね。だから、本当に、そういう日本の若者の健全な、なんというか、希望というものに我々がフィットした政策を出していくということが非常に大事だというふうに思っているところです。
http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2007/02/k0206.html

これは普通に読めば、たとえば厚生労働省の意識調査などで、子どもが二人以上持ちたいと思っている人が多い、という意味だろうと思います。無理に違う読み方をすればできるかもしれませんが、自然に読めばそういうことではないでしょうか。
で、やはり普通に読めば、「多くの若い人は子どもを二人以上持ちたいと思っている」という「状況」が「健全」だ、という意味の発言ではないでしょうか。もちろん、なにをもって「健全」とするかは人によって異なるでしょうし、その人の価値観を反映するでしょうから、これを「古い道徳観」と言って批判することはできると思います。価値観をまじえず「多数派」というべきだ、という考え方もあるでしょう。まあ、「家庭を営み、また子どもを育てるということには、人生の喜びというか、そういうようなものがあるんだ」というところに反応するのはわからないではありません。ただ、いっぽうでとりあえず二人以上というのはおおむね人口置換水準と同程度か若干上回る水準なわけで、それを「健全」と考えるのは十分にあり得る考え方ではないかと思います。少なくとも、少子化対策を論じる上においては、いたって常識的な発想ではないかと思います。もちろん、それが常識的だというのがダメなのだ、という見方もあるでしょうが…。
さらに、厚労相いわく「希望というものに我々がフィットした政策を出していく」ということですから、これは基本的に子どもを持ちたいという希望にフィットした政策を出す、ということで、希望しない人は不健全だ、という趣旨には読めないように思うのですが。もっとも、「日本の若者の健全な、なんというか、希望というもの」という言い回しは、「二人以上持ちたいというのが健全な希望」と読めないこともありませんが、これも日本全体の若者の傾向を指していると読むのが普通ではないかとも思います。
先般の女性を機械に例えた発言は、たしかに不適切な表現だったと思いますが、今回の発言に対する批判は、いかにも揚げ足取りという感じで、まともな議論ではないように思われます。普通に読めば「1人だったら不健全、ゼロだったら不健全」と言っているようには読めませんし、「子どもを持ちたくても持てなかった人や、持とうと思わない人に配慮がない」ということを細かく気にしはじめたら、「持ちたい人を応援する」ということすら言えなくなってしまい、少子化対策の議論などできなくなってしまいかねません。柳沢氏は「若者に対して安定した雇用の場を与えていかなければいけない」とか、「いわゆる経済的な支援というようなもの」とかとも言っていますが、福島さんはこれも、持ちたい人を持てなかった人や持とうと思わない人に較べて冷遇するものだから配慮がない、したがって不適切な発言だ、とおっしゃるおつもりなのでしょうか。
とりあえずこの議論、柳沢厚労相が「ゼロ人や1人は不健全」と言ったのか言わないのか、という問題と、「結婚して子どもを持つのが健全」という考え方の是非という問題とを区別して考える必要があると思います。私は厚労相はそんなことは言っていないと思いますし、結婚して子どもを持つのも、結婚して子どもを持たないのも、結婚しないで子どもを持つのも、結婚して子どもを持たないのも、健全でありうると思いますが。
それにしても、浜四津氏の「厚生労働大臣の仕事はやっていただけないと思う」というのはアカラサマに「辞めろ」と言っていて面白いものがあります。まあ、参議院はそれだけ危機感があるということでしょうか。