連合がプリンス系をボイコット

きのうのエントリを書くためにhamachan先生のブログを渉猟していて発見したネタです。

 日本教職員組合日教組)が今月2日に「グランドプリンスホテル新高輪」(東京都港区)で開催予定だった教育研究全国集会(教研集会)の全体集会が、同ホテルから使用を拒否されたため中止となった問題で、連合は15日、プリンスホテル系列のホテルを当分の間、使用しないよう傘下の労働組合に要請することを決めた。すでに会議などで予約している場合でも、会場変更を求めるという。
 同ホテルの使用をめぐっては、東京高裁が先月、日教組に会場を使用させるべきだとする決定を出したが、同ホテルは右翼団体の街宣活動の恐れなどを理由に使用を拒否した。
 連合の古賀伸明事務局長は「異例の対応だが、言論、集会の自由を尊重しないばかりか、司法の判断にも従わない姿勢は看過できない」としている。
(平成20年2月16日付読売新聞朝刊から)

 日本教職員組合の教育研究全国集会をめぐり、グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が会場使用を拒んだ問題で、連合は15日、プリンスホテル系列の施設を利用しないよう呼びかけることを決めた。事実上の不使用運動で、「プリンス側が社会的責任を明確にするまで当分の間続ける」という。
 連合が傘下労組や関係団体に不使用を呼びかけるのは近年では例がなく、古賀伸明事務局長も「異例の対応」と話す。春闘の勉強会などですでに予約していた数件もキャンセルするという。
 連合は「プリンス側は司法判断に従わず、宴会場に加えて約190室の宿泊予約も一方的に解除している。ホームページで公表した見解も居直っているもので容認できない」と主張している。
 プリンスホテルは「お客様の安心、安全を考えてお断りしたものであり、その点を引き続きご理解いただけるよう努めていきたい」としている。
(平成20年2月16日付朝日新聞朝刊から)

 連合の高木剛会長は17日、グランドプリンスホテル新高輪日教組の集会を拒んだことに抗議し、構成組織などがプリンスホテル系ホテルの使用を当分控えると決めた問題について、「ホテルが『非がない』との感覚でいる限り問題は解決しない。問題が決着するまで使う気はない」と強調。連合としてホテル側が誤りを認めるまでボイコットを続ける考えを示した。
(平成20年2月18日付産経新聞朝刊から)

hamachan先生はこれについて「労働組合の立場からすれば、もっとも正しい反応」と論評しておられますが、私もまことに同感です。結社と言論の自由は労働運動にとって最も重要な価値観ですし、労働運動がその目的を達しうるのは、なにより参加と団結の力によってでしょう。したがって、重要な価値観を守るために参加と団結の力を行使するというのは、労働運動としてはたしかにもっとも正しい行動と申せましょう。
もっとも(別に連合にケチをつけるつもりではないのですが)、ホテル側にも言い分はあるわけで、それを実力行使でねじふせて何か楽しいのかな、という気はします。ホテルの言い分が間違っている(もっとも、労組の価値観に照らして誤りという判断では直接にはなかったわけですが)と裁判所が言っているわけですから、すでに言論レベルでは決着済の問題ではあるわけです。まあ、今後他のホテルが同様の行為に及ばないように「見せしめ」として「お仕置き」するという意味でも有意義ではあるでしょう。
ただ、これはもっと突き詰めて考えれば、ホテルの問題というよりは、私たち一人ひとりの心の問題ではないかと思います。要するに、自分が高級ホテル、というか、プリンスが高級かどうか知らないので、まあ一般論としてシティホテルとしておきますが、それに宿泊したときに、たまたま日教組が集会をやっていて右翼が騒いでいて、それでも「これは集会の自由のためには受忍すべきことなのだ」と心から思えるかどうか、という話ではないでしょうか。おそらくは、うるさい、やめさせろ、カネ返せなどと苦情を述べる宿泊客が多いのが現実であり、だからホテルとしても自衛のためにそうしたリスクのある集会はお断りする、という行動に出ているのではないでしょうか。

  • もちろん、だからといっていったん受け付けた予約を安易に反故にしたうえ、裁判所の判断にも従わないという今回のプリンスホテルの行動はまったく正当化できるものではありません。為念。
  • さらにいえば、同じく(以上に)非難されるべきは、他人の迷惑かえりみず騒ぎ立てる右翼団体であることは申し上げるまでもありません。これまた為念。

そういう意味では、連合がとりあえず日教組の集会の周辺で騒ぎ立てる右翼団体を批判していないのは立派なことでしょう。実際、経団連会館とかの前で執務の妨害になりかねない大音量で気勢をあげている労組の行動などは、第三者からみれば日教組の集会を妨害する右翼団体と同じようなものにみえるでしょうから。

  • 言うまでもなく、これは「部外者には同じようなものにみえる」ということを申し上げているのであり、労組と右翼団体を同一視するつもりは一切ありません。為念。