キャリア辞典「労働ビッグバン(4)」

「キャリアデザインマガジン」第62号のために書いたエッセイを転載します。得意技(笑)の日経テレコンによる記事検索ネタです。


 労働ビッグバンというと経済財政諮問会議、それも有識者議員の八代尚宏国際基督教大学教授という連想が働くが、このことばは必ずしも経済財政諮問会議や八代教授の専売特許ではない。
 日本経済新聞社の新聞記事データベース「日経テレコン21」を使って検索してみると、主要全国紙上に「労働ビッグバン」がはじめて登場したのは1997年11月27日付の日本経済新聞らしい。そこでは「山一証券をはじめ破たん金融機関の社員の再雇用問題は、人材の流動性を一気に高めるきっかけになりそうだ。終身雇用が崩れてきてもホワイトカラーの流動性は低かったが、大手金融機関の“突然死”を目の当たりにして「転職」という言葉が頭をよぎるサラリーマンは少なくない。山一ショックは金融ビッグバンに続く「労働ビッグバン」を引き起こすとみられる。」と使われている。1998年1月15日付の読売新聞朝刊にも類似の用例があって、「山一証券など破たん金融機関の社員の再雇用問題が、人材の流動性を一気に高めるきっかけになる可能性もある。終身雇用が崩れてきてもホワイトカラーの流動性は低かったが、「山一ショック」は金融ビッグバンに先駆けて「労働ビッグバン」を引き起こすかもしれない。」とある。時あたかも金融ビッグバンをめぐる議論が活発な時期だったから、そこからの連想で「労働ビッグバン」ということばが使われても不思議はない。ここでの「労働ビッグバン」の意味するところは要するに「ホワイトカラーの流動化」ということらしいが、これは9年近くを経てから現れた経済財政諮問会議の「労働ビッグバン」が労働力流動化を大きな眼目としていることと妙に符丁があっている。長期雇用がわが国労働市場の最大の特徴のひとつとされていることを考えれば、妙にというよりはむしろ当然のことかもしれない。
 いっぽう、同じ時期の毎日新聞は、1998年のいわゆる「春闘」をめぐる記事で「労働ビッグバン」という表現を使った。ベアゼロ、成果主義などをとらえて「景気低迷、大型倒産時代の春闘――。今年は賃上げもさることながら「安定雇用」と「企業存続」を両立させるため、新たな労使間ルール作りへの模索が進む。すでにベアなし春闘の試みなどで動きだした“労働ビッグバン”を点検する。」などと使われた。
 この年は、企画業務型裁量労働制の導入や人材派遣対象業務の原則自由化、男女雇用機会均等法の規制強化と女性の深夜業、時間外労働の規制緩和といった労働法の大改正が議論された年でもあり、これを指して「労働ビッグバン」と呼ぶ用例も、翌年にかけて多数みられた。この用法のさきがけは、どうやら女性労働関係の活動家の集まり(らしい)「変えよう均等法ネットワーク」が1998年3月に開催した「労働ビッグバンと女の仕事・賃金」というシンポジウムらしい。当時の新聞記事によるとその内容は「雇用制度の多様化やパート差別、セクハラ、職能・資格給による差別などについての各地から実態報告に続き、「削り取りの論理とどう闘うか」と題した討論を行う。非正社員の賃金の現状や、同じ価値の仕事なら同じ賃金を求める「ペイ・エクイティ」の可能性などについて」ということらしいが、9年後の今日でもどこかで開催されていそうなシンポジウムだ。これら法改正をひとくくりに「労働ビッグバン」と呼ぶ用例は毎日新聞日本経済新聞東京新聞などにみられる。やはり、女性労働と関係した記事が多い。なお余談ながら、この少し前の1997年には、NTTの再編を軸とした電気通信関連3法案が成立したが、これをさして「通信ビッグバン」という表現もたびたび使われていた。ちょっとした「ビッグバン」のミニブームだったようだ。
 いずれにしても、複数分野にまたがる一連のかなり大きな労働法改正を「労働ビッグバン」と呼んでいるのは、今回の経済財政諮問会議の用法とかなり近いといえそうだ。ということは、今回の議論は「第2次労働ビッグバン」とでも呼ぶべきものなのかもしれない。