大久保幸夫『キャリアデザイン入門[2]専門力編』

「キャリアデザインマガジン」第62号のために書いた書評を転載します。

キャリアデザイン入門〈2〉専門力編 (日経文庫)

キャリアデザイン入門〈2〉専門力編 (日経文庫)

まあ、ないものねだりだってことはよくわかってるんですけどね・・・。
 『[1]基礎編』に続く『[2]専門編』で、「オビ」には「ビジネスのプロを目指す」「仕事人生の充実に必要なことは?」「進むべき道の決め方や、専門知識・技術をどう磨くか、40歳以降のキャリアについて解決すべき課題を説く。」との惹句が並んでいる。「まえがき」をみると「ミドル期以降のキャリアについて書かれた本は驚くほど少ない。」「私は、むしろこの中高年期にこそ、解決すべきキャリア課題が多くあるのではないかと思っている。」と、まことに意欲的である。
 そこで、この本はまず第1章で、40代以降のキャリアとして、高度な「ビジネス・プロフェッショナル」をめざす「プロフェッショナル・キャリア」という考え方を提唱する。そして、それに「基礎編」で提示された「筏下り・山登り」モデルを適用する。専門分野の「本決め」をして、筏下りから山登りに移行できた人が「プロ」であるという。すべてのビジネスパーソンの中で11%しかいない少数派である。やがて、プロとして専門性を磨き、外部から講演や執筆を求められるようなプロに「開花」する。これはプロになれた人の数人に一人であるという。そして、プロとしての究極は社会的評価を確立した「無心」であり、「ごく少数」ということになる。
 第2章では、「無心」に至るための専門力の磨き方が述べられる。そして第3章では、それをふまえた40代、50代、60代のキャリアデザインの考え方が説明されている。たしかに、60代のキャリアデザインに言及した本は少ないかもしれない。しかも、この部分では「ブランクの怖さ」といった現実をふまえた実践的で有益なアドバイスもあり、なかなか有用であるといえそうだ。
 とはいえ、全体を通じてみると、「キャリアデザイン入門」という本としてはどうしても違和感をぬぐえないものがある。著者は「基礎力編」から通じて「職業的に栄達すること、経済的に成功することがよいキャリアというわけではない」というようなことを繰り返し述べているし、本書ではミドル以降の人々の多様性についても再三言及している。これはキャリアデザインを考えるうえでのきわめて重要な観点だろうと思うのだが、残念ながら本書のほとんどはこれとはうらはらに、「プロフェッショナルとしての職業的栄達・成功」のための「入門」に費やされているように思える。もちろん、そういう成功者を増やしたいという著者の気持ちはよく伝わってくるし、それ以外の記述にもそれなりの紙幅は費やされてはいる。しかし、プロになれない人はあたかもキャリア上の敗残者のような、あるいはプロの初期段階にとどまった人は不十分なキャリアしか達成できなかった人であるかのような記述にとどまっていることには不満を禁じえない。この本はたしかに職業キャリアの本であろうが、職業以外の人生キャリアのあり方は職業キャリアにもそれなりの影響を与えるであろうことは想像に難くない。多数の「プロになれなかった人」、大多数の「開花に至らなかった人」の中にも、職業以外の人生キャリアとの相互作用の中で職業キャリアに満足感や幸福感を確保している人も少なくないだろう。おそらくはプロとして栄達する人よりはるかに人数が多いであろうこうした人たちへの言及がほとんどないのは、「キャリアデザイン入門」という書名の本としては物足りなさを感じざるを得ない(あるいは、「専門力編」という書名の本だからそれが当然だということかもしれないが)。
 また、その結果かどうか、この本では少なくとも普通に読む限りはいわゆる「ブルーカラー」のキャリアをイメージすることは非常に難しいのではないだろうか(ブルーカラーも含むものとして読めば読めないこともないかもしれないが)。プルーカラーにも高度な専門力が存在することは論を待たないが、この本が述べるような「開花」「無心」を実現することは、ありうることではあろうがホワイトカラーと比較してきわめてまれなことだろう。
 もっとも、それはそれでいいのかもしれない。日経文庫の『キャリアデザイン入門[2]専門力編』という本の読者は、大方はホワイトカラーのビジネスパーソン、あるいはそれをめざす学生などだろうから、その関心はこうした方向に向いていることも間違いなさそうだからだ。とりわけ若い読者にとってはこうした本のほうが夢が持て、勇気が与えられるという点で入門書としてふさわしいという考え方もあるだろう。また、職業キャリアの挫折や停滞局面にも十分配慮した入門書などといっても、著者がいうように「ミドル期以降のキャリアについて書かれた本は驚くほど少ない。」という中では、ないものねだりと言うしかないのかもしれない。
 そう考えると、「基礎力編」と本書の2冊は、わが国における実態をふまえたキャリア研究をもとにした本格的なキャリアデザインの入門書の登場として、おおいに歓迎すべきものといえるのだろう。それはあわせて、わが国のキャリアデザイン学の課題の一つを示しているともいえるのかもしれない。
 ※文中、書名・章表示の数字表記はローマ数字です。