ベッカー「人的資本」(7)

またしても明快。

 公務員が民間ではできない特殊性のある仕事能力を磨いてきたとすれば、彼らが民間に転職することは容易ではない。もし公務員が懸命に公務特殊的な能力を磨いていたのなら、民間で仕事をする能力を高める暇は無かったはずだからである。そうした公務員には、最後まで公務員として仕事をしてもらわねばならない。途中で民間に出されるというリスクがあるのに、公務特殊的な能力を磨いてくれる人は少ないだろう。
 もちろん公務員の中にも、民間企業で役立ちそうな能力によって仕事をしている人もいる。たとえば経済分析といったような仕事をする能力は民間企業でも使えそうだ。そうした仕事に従事する公務員なら、比較的容易に民間に再就職できるかもしれない。
 しかし、よく考えてみれば、民間でもできる仕事なら、それをわざわざ公務員にやってもらう必要はなく、民間に開放するなり、外注すればよいともいえる。公務員にやってもらうのは、民間にはできない、公務特殊的な能力を要する仕事に限定していくべきだろう。
 こう考えると、公務員制度改革の柱が、民間企業への再就職支援制度というのはやはり少し変である。むしろ改革の中心は、職業生活の最後まで、安心して公務員として仕事をしてもらえる制度(適切な年金制度も含む)をつくることであるべきだ。そうでなければ、民間で高い生涯所得を得られるかもしれないような人材に、生涯、公務特殊的な能力を磨いてもらうことは難しい。公務員制度改革に関する『人的資本』の含意は、その意味できわめて明快であるように思われる。
(平成19年6月1日付日本経済新聞朝刊「やさしい経済学」から)

公務特殊的能力はともかく、公務員(特に高級官僚)には基礎能力の高い人も多いはずで、適材適所、適正労働条件であれば、民間も受け入れるんでしょうが。それを変に高い労働条件を求めるものだから、民間としても「では、仕事を持って来られる人」とか、ハイレベルな能力(?)を求めてしまう…というのは暴論でしょうね。