きのうの続き

きのう(4月25日)のエントリについて、平家さんがご自身のブログで取り上げてくださいました。ご指摘のとおり、人事労務管理の経験のない方には説明不足だったように思いますので、ここで追加的にご説明させていただきます。

 「公務員、それも国家公務員は一般的に就職人気も高いわけで、であれば(少なくとも)就職時にはそれなりの人材が集まっているはずでしょう。」と書かれています。本当でしょうか?

 現在、あるいは過去20年ぐらいであれば当てはまるかもしれません。しかし、高齢の公務員といえば、ま、50歳から60歳でしょう。定年制がしかれていますから、61歳以上の公務員はいません。彼らが採用されたのは40年から30年前です。つまり、昭和40年から50年です。

 このころの公務員のほとんどは高卒の初級職です。悪名高き人事院勧告が完全実施されるようになったのは、昭和45年ぐらいです。高度成長期で民間企業も採用を増やしていた時期です。国家公務員は高校生にとってとって、そんなに人気のある職場だったでしょうか。「それなり」という言葉はかなり幅のある表現なので、何とも言えませんが、国家公務員三種に旧帝大を卒業した大学生が応募するようになった現在とは事情が違います。地元に残りたい長男には、人気があったと思いますが。

きのう(4月25日)のエントリは特段50歳、60歳を意識して書いたわけではないのですが、この年代についても考えてみたいと思います。


きちんとウラを取ったわけではないので推測なのですが、公務員人気が現在のように高まったのはオイルショック以降なので、当時と今とは違うというご指摘はそのとおりと思います。昭和40年代は高校進学率が約70%から約90%に急上昇し、民間企業では高学歴化=高卒でも現業部門に配属しなければならないことが問題視されていた時期にあたります。高校は出たけれど地元に仕事がない、あるいは都会に出てもいいのだけれど民間だと工員の仕事しかない、ということで公務員になった人が「デモシカ公務員」などと呼ばれていたのではないかと思いますが、当時の高卒は「それなりの人材」と申し上げてもよろしいのではないかと思いますし、公務員の就職人気もそこそこだったとみていいのではないかと思います。このあたり、事情をご存知の方がいらっしゃればご教示いただければ幸いです。

 「それが戦力にならない余剰人員になってしまったのは、官による人材育成のまずさの責任もかなりあるはずです。」というのも本当でしょうか?

 官は官の事業を実施するために必要な人材を養成してきたはずです。その事業を止めることになれば、公務を遂行する能力があっても、余剰人員には違いありません。公務の戦力にならないというよりも、戦力そのものが不要になったというべきでしょう。官の事業そのものの取捨選択が官ではなく政で行われていう以上、しかも急速に行われている以上、多くを組織としての官の人材育成の問題とするのは無理でしょう。

それがまさに「人材育成のまずさ」なのです。民間企業ではほとんど常に事業構造が変わりますが、それにともなう余剰人員は配置転換や職種変更などで吸収します。新しい仕事は新しい職場で教えることで人材を育成します。あるいは、仕事は同じでも使われる技術はどんどん高度になります。いま、民間企業の現場で熟練工として尊敬されている人は、30年前、40年前のほとんど手作業の時代から、現在のNC制御機器までの技術革新に対応してきました。こうした「変化や不確実性への対応」ができる人材を十分に育てていないという点に、官の人材育成のまずさがあります。こうした人材が育っていれば官の事業が変わっても対応できるはずですし、民間企業にしたところで、事業の変化は市場に対応する必要に迫られて行うわけで、特段のフリーハンドがあるわけではありません。社会保険庁の業務がオンライン化されたときに、「端末を使いこなせない人がいるから紙ベースの仕事も残す」という人材育成がまずくないとはおよそ言えないだろうと思います。

 「もし自然減以上に人員を削減しようとの意図が官にあるのであれば、」

 多分ないと思います。新聞など読む限り、必死で人員削減に抵抗しているようにしか見えません。そのような意図を持っているのは政あるいは民間でしょう。「追い込まれている」というなら分かりますが。
 あるいは「もし自然減以上に人員を削減しようとの意図が政や民にあるのであれば、」という方がいいかもしれません。

これはかなりわかりにくい表現で、私の文章がまずいのですが、自然減というのは定年などによる退職者について、全部または一部を新規採用で補充しないことで全体の人員を減らす、ということです。つまり、役所が人員削減に必死で抵抗していると報道などで伝えられるのは、自然減もさせたくない、あるいはするとしても最小限にしたい、ということだろうと思います。
自然減以上に人員を削減する、というのは、同じ減らすにしても組織を維持するために若い人は一定数採用したい、したがって定年退職や自己都合退職など以外の方法で人員を削減する、ということを言っています(わかりにくくて申し訳ありません)。民間企業でも希望退職を募るかたわら新入社員を採用するというケースをみかけますが、これは次代を担う人材を育成・確保するためには一定数の採用が必要だから、ということだろうと思います(とはいえ、多くの企業では、希望退職を最小限にするために新規採用をゼロにしていますが)。

 「労働市場での転職が可能な人を削減するいった配慮が必要なのではないかと思います。」

 どうやって、そういう人を削減するのでしょう?まさか、「君は民間でも通じそうだから解雇する。」とは言いえないでしょう。退職金を上乗せして希望退職を募集するのでしょうか?きっと退職金上乗せには国民の強い反対があると思います。今でさえ、退職金が高いとされているのですから。

 実行可能性を脇に置いて置いて、もっと基本的な疑問があります。そういう、柔軟な対応が可能な公務員は相対的にかなり優秀な公務員ではないかと思うのですが、そういう人だけ辞めていったら、残る人で官の仕事はきちんとやれるのでしょうか?

今の公務員制度だと、懲戒など本人に非があるケースを除けば、仕事や組織がなくなると免職する分限免職のしくみしか持っていませんので、たしかに技術的には難しいだろうと思います(ちなみに、分限免職については割増退職金の規定があるようです)。結局のところ、人事制度や組織を見直して、アダプタビリティやフレキシビリティが確保できるしくみを再構築することが必要なのだろうと思います。