キャリア辞典「ワーク・ライフ・バランス(7)」

 「キャリアデザインマガジン」の「キャリア辞典」のために書いたエッセイです。
 この問題に関しては、「日本労働研究雑誌」の最新号の冒頭に、学労使による興味深い座談会が掲載されています。
 ワーク・ライフ・バランス(7)
 ワーク・ライフ・バランスの大切さについては、かなり認知が進んできているように思う。しかし、その実現のためには難しい問題が多い。これに関しては、このところ「働き方の見直し」を指摘する意見が多い。
 なぜ、働き方の見直しが進まないのか。「企業の論理」を悪者にする意見は多いし、それも一理あるのだろう。しかし、現実にその働き方で働くのはその人自身にほかならない。働く人の意識も変えていかなければ、働き方の見直しも難しいだろう。前回は、そのひとつとして働く人たち、特に男性の「キャリア観」のあり方があるのではないか、と問題提起させていただいた。今回は最後にもうひとつ、別の問題提起をしたい。
 法政大学キャリアデザイン学部助教授で、ワーク・ライフ・バランス研究の第一人者のひとりである武石恵美子氏は、毎日新聞のインタビュー記事でこう語っている。
「ワーク・ライフ・バランスというと、短時間勤務とか、在宅勤務をイメージされがちですが、長時間労働や残業を減らし、有給休暇をきちんと取ることが重要です。そうなれば、新たな少子化対策を考えなくても、状況はかなり変わってくるはずです。
 ただ、残業をなくすには、利便性を追い求めてきた社会全体の発想の転換が必要です。24時間営業のコンビニエンスストアが早く閉店しても仕方ない。そのくらいの覚悟が必要になります」(平成18年7月6日付毎日新聞朝刊から)
 たとえば、労働時間が短いとされているドイツでは、つい先日まで24時間営業のコンビニエンス・ストアはターミナル駅などのごく例外的なものを除いて存在しなかった。小売店舗従業員保護のために営業時間が厳しく規制されていたためだ。もちろん、これは消費者にとってははなはだ不便だが、労働時間を短くするには甘受するしかない。昨年末にこの規制は緩和され、平日については24時間営業も可能となったというが、日曜・祝日の営業禁止規制は残っているので、365日営業はまだ基本的にできないようだ。セブン・イレブン・ジャパンのホームページには世界各国の店舗数が掲載されているが、2006年12月末現在で日本が11,525店舗、米国は6,095店舗で、ドイツについては記載がない。ワーク・ライフ・バランス推進論者に人気の高い北欧諸国をとってみても、ノルウェーに105店舗、スウェーデンに73店舗、デンマークに61店舗を数えるのみだ。まあ、セブン・イレブンだけがコンビニエンス・ストアではないだろうが、いかに日本の消費者が利便性を享受しているかを感じさせられる。
 実際、連合は、その基本方針のひとつである2006〜2007年度『政策・制度 要求と提言』において「男女がともに仕事と生活を調和させ、健康で充実して働き続けられる社会の実現に向けて、長時間労働の是正をはかる」という項目の中に「国民のゆとり確保の観点から、国民生活等に欠かせない分野を除き、正月3ヵ日休業の制度化をはかる。特に、「元日」については、特別な日として事業者団体等に対して営業自粛を指導する」という要求を掲げている。連合は1996年に大手スーパーの元日営業が拡大したのを受けて「元日営業反対」の方針を決定し、運動に取り組んできているが、むしろ元日営業は拡大している感がある。
 24時間営業にしても、あるいは365日営業にしても、それが利益追求という「企業の論理」によるものであれば、法律で禁止してしまえばやめさせることはたやすい。労働者としての国民としてみれば、労働時間が短くなったり、休日の就労がなくなったりすることは望ましいことであり、労働者としての生活を豊かにするものだろう。しかし、消費者としての国民はどうだろうか。深夜や休日の買い物ができなくなるということは、消費者としての生活の豊かさが損なわれることを意味する。加えて、労働時間が長ければ、あるいは休日に就労すれば得られたであろう収入がなくなることは、ますます消費者としての生活の豊かさを損なうことにつながろう。結局のところ、これは労働者としての豊かさと消費者としての豊かさに一定のトレードオフ関係が存在する中で、どのようなバランスがもっとも望ましいか、という問題だと思われる。その選択は人によってさまざまだろうが、全体としては、元日営業すら依然として拡大傾向にある現状をみると、国民の多くは消費者としての豊かさをさらに求めていると考えざるを得ないのではないか。
 これはワーク・ライフ・バランスだけの問題ではないのだろう。労働条件の劣る就労が存在するのは、(当然それだけではないが)安価な財やサービスを求める消費者のニーズが存在することと無縁ではない。「豊かさとはなにか」「なにが幸せなのか」といったことを、いまあらためて考え直すことが必要なのかもしれない。