奥谷禮子さん

週刊東洋経済に掲載された、ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)に関する奥谷禮子ザ・アール社長(労働政策審議会労働条件分科会委員)のインタビュー記事があちこちで話題になっているそうです。このお方、使用者代表委員の一人で、ほかにも規制改革・民間開放推進会議などでもご活躍されておられるのですが、人事管理や労使関係に関する知識はかなりイマイチなようです(経団連がしっかりサポートしてほしいものです)。いわば「ワンマン社長」の立場・視点からの発言や、自社のビジネスの立場での主張が間々みられ、実は使用者サイドの実務家の間でも「なんだかねぇ」という見方をされているお方です(笑)。
ということで読んでみました。

 若い人の中には、もっと働きたくてウズウズしている人たちがいる。結果を出して評価を得たいから、どんどん仕事するわけですよ。ところが現法制下では上司が「早く帰りなさい」と。本来そこは代休などの制度を確保したうえで、個人の裁量に任せるべき。働きたい人間が働くのを阻むのはマイナスですよ。
 仕事が面白い、もっと能力を高めたいと思っているときに、人の能力は伸びます。
週刊東洋経済2007年1月13日号から、以下同じ)

いきなりかなりまともな意見なので、かえって驚きました(笑)。
為念申し上げれば、評価を得たい、能力を高めたい「人たちがいる」のであって、全員がそうだとか、そうならなければならないというのでなければ、それはもっともな話だ、ということです。たしかに、今の制度だと、本人が残業代なんていらないからもっと働きたい、と思っていても、「サービス残業」と言われないためには「早く帰りなさい」と言わざるを得ませんし、それがWEが必要な最大の理由のひとつです。ただ、「代休などの制度を確保したうえで」というのはおかしい。代休というのは基本的には休日出勤の代わりの休日で、残業時間が合計1日分になったら1日休めるという制度にしている企業もありますが、いずれにしても「時間外労働」をカウントしてそれに相当する休日を付与するわけですから、時間外労働という概念がなくなるWEの議論とは整合性がとれません。このあたりが実務知識の不足を感じさせるところです。

自分自身の商品価値が上がれば、会社が買収されたとか倒産した場合でも、労働市場で売れるわけです。今まで8時間かけていた仕事を4時間でこなして、残り4時間は勉強に充てようとか、ボランティアをやろうとか、介護や育児に回すこともできる。24時間365日、自主的に時間を管理して、自分の裁量で働く。これは労働者にとって大変プラスなことですよ。

このあたりから徐々に本領発揮で(笑)、まあ働く人たち能力や実績が向上して「労働市場で売れる」ということはたしかに大切なことでしょう(とりわけ人材ビジネス屋さんとしてみれば)。しかし、「今まで8時間かけていた仕事を4時間でこなして、残り4時間は勉強に充てようとか」なんて、そんなん絶対無理に決まってますわな(笑)。8時間の仕事が突然4時間でできるようになったら、今まではどういう仕事をしていたんだと言われるのが当然なわけで。

 自己管理しつつ自分で能力開発をしていけないような人たちは、ハッキリ言って、それなりの処遇でしかない。格差社会と言いますけれど、格差なんて当然出てきます。仕方がないでしょう、能力には差があるのだから。結果平等ではなく機会平等へと社会を変えてきたのは私たちですよ。下流社会だの何だの、言葉遊びですよ。そう言って甘やかすのはいかがなものか、ということです。

奥谷さんの商売からすればこういう言い方をしたいかもしれませんが、すべての人がすべて自己責任で能力開発するなんて無理な話です。企業などの組織による支援・協力は不可欠ですし、人それぞれおかれた状況、環境によって必ずしも機会均等ではないのが現実なのですから、そこには公的な支援も必要です。自己責任では能力が伸びない人の能力もいろいろと支援して伸ばしたほうが社会全体、経済全体にとっては好ましいということのほうが多いのではないでしょうか。格差論についても同様で、能力差がダイレクトに経済格差に直結していいのかといえば、たぶんそうではない。一定の再分配がなければ安定した社会はつくれないはずです。「下流社会」が言葉遊び、というのは、たしかにこの言葉が誇張されて流行している面もあるという意味ではそうかもしれませんが、だからといって再分配をすべて「甘やかす」と一刀両断するのはいかがなものかと。

 さらなる長時間労働、過労死を招くという反発がありますが、だいたい経営者は、過労死するまで働けなんて言いませんからね。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います。ボクシングの選手と一緒。ベストコンディションでどう戦うかは、全部自分で管理して挑むわけでしょう。自分でつらいなら、休みたいと自己主張すればいいのに、そんなことは言えない、とヘンな自己規制をしてしまって、周囲に促されないと休みも取れない。揚げ句、会社が悪い、上司が悪いと他人のせい。

うーん、たしかに経営者は死ぬまで働けとまでは本気ではいわないかもしれません、口先だけで言うことはあるかもしれませんが。ただ、部下が「できません」と言ってきたときに、「ばかやろう、2〜3日徹夜してでもやってこい」と怒鳴るような上司はまだまだいるのではないでしょうか。会社と従業員、上司と部下の力関係を考えれば、やはりすべて自己管理せよというのは無理がある。逆に、いくら自分で働きたいといっても、健康を害するような長時間労働は企業がやめさせなければならないでしょう(安全配慮義務が労働契約法に定められるとの話もありますし)。ただ、今回のWEは長時間労働抑止のしくみを取り入れていますので、過労死を招くという反発はあたっていません。また、いわゆる過労死がすべて企業、経営者の責任かといわれるとそれは本人にも一定の責任がある場合も多いとは思いますし、あるいは「休みたい、仕事を減らしてほしい、しかし昇進もしたい、それができないのは会社が悪い、上司が悪い」というのはたしかにおかしいわけで、このあたりはバランスの問題ではあるのですが、それにしても奥谷さんはいかにも均衡を欠いていると言わざるを得ません。

 ハッキリ言って、何でもお上に決めてもらわないとできないという、今までの風土がおかしい。たとえば、祝日もいっさいなくすべきです。24時間365日を自主的に判断して、まとめて働いたらまとめて休むというように、個別に決めていく社会に変わっていくべきだと思いますよ。同様に労働基準監督署も不要です。個別企業の労使が契約で決めていけばいいこと。「残業が多すぎる、不当だ」と思えば、労働者が訴えれば民法で済むことじゃないですか。労使間でパッと解決できるような裁判所をつくればいいわけですよ。
 もちろん経営側も、代休は取らせるのが当然という風土に変えなければいけない。うちの会社はやっています。だから、何でこんなくだらないことをいちいち議論しなければいけないのかと思っているわけです。

いや、そういう人もいていいと思いますし、奥谷さんご自身がそういう働き方をしたいというのもご自由ですし、そういう人までそうでない人と同じような働き方を強いられるような法制度は改めるべきだ、というのであれば賛同できる部分も多々あります。ただ、全員がそうでなければならないとか、望まない人までそれを強いられるとかいうのはやはりおかしいでしょう。もちろん、ある程度高い処遇を求めるのなら、それに応じた働き方をすることも求められるというのはあるでしょうが、やはり程度の問題は大切です。
労働時間管理に関する労働基準監督署の指導にイライラするのもよくわかりますし、現状の行政に行き過ぎがあることには私も同感です。しかし、「残業が多すぎる、不当だ」が裁判所で民法で済む、なんてはずはないわけで、労基署や労働基準法を全否定するのはやはり行き過ぎでしょう(この記事、こういう極端な表現が目立ちますが、これは編集の責任もあるのでしょうか?)。
最後にまた代休が出てきますが、まあ、一定の休日は確保されなければならない、というのはまともな意見ではあります。ただ、どれだけの休日を確保すれば、どのくらい「詰めて」働いても大丈夫か、というのは、人により仕事により企業により異なるでしょうが、やはり大きな問題なわけで、とても「こんなくだらないこと」ではすみません。
なかなか強烈なキャラの人なので、かえって世の中のすべての経営者がこうだという誤解は与えないであろうことが救いではありますが(笑)、もう少ししっかり勉強して、立場をわきまえて発言してもらわないと、世の中になにかとご迷惑をかけるということはご理解いただきたいものです。