迷走するホワイトカラー・エグゼンプション

ホワイトカラー・エグゼンプションを含む労働基準法改正法案の2007通常国会への提出、成立をめぐって混乱が続いているようです。政府としてはなんとしても提出したい意向のようで、あれこれと手段を講じています。
ということで、焦点の年収要件について「900万円」との意向が示されました。

 柳沢厚生労働相は10日午前、公明党の斉藤鉄夫政調会長と会い、一定の条件を満たした会社員を労働時間規制から外し、残業代をなくす「ホワイトカラー・エグゼンプション」について、年収900万円以上の会社員を対象に検討していることを明らかにした。
 柳沢氏が同日示した厚労省案によると、制度導入の対象者について「管理監督者一般の平均的な年収水準を勘案」と明記。その水準を「現状では900万円以上と想定される」とした。また、「労働者が自分で業務量をコントロールすることは実際にはできず、過労を招く」との批判に対応するため対象労働者の仕事内容を「職務記述書」などで明確化するとした。
(平成19年1月10日付朝日新聞夕刊から)

まあ、最初は900万円でもいいのではないでしょうか。ざっと計算すると、ベースが月45万円、所定労働時間が月160時間、残業が30時間、割増率が25%とすると残業代は約10.5万円になります。55.5万円×12ヶ月=660万円と900万円との差が賞与ということで、240万円÷45万円で年間5.3か月分と、まあこんなイメージでしょうか。賞与の5.3ヶ月は多いように思われるかも知れませんが、年収が高いほど賞与の比率が高い傾向があるというのは賃金担当者の実務実感には合っていると思います。まずは導入してみて、問題がないようであれば徐々に要件を下げていけばいいのではないでしょうか。
「職務記述書」も、業務分担くらいのイメージであればそれほど問題ないのではないでしょうか。米国のジョブ・ディスクリプションのようにガチガチのものになるとさすがに困りますが。どんどん仕事を追加されると困る、ということでしょうから、そこの歯止めになるような運用であればいいのではないかと思います。むしろ、仕事を追加したときにエグゼンプトから外れる、逆本人同意がきちんとできるようにすることのほうが大切ではないかと思われ、これは指針などに書き込む必要があるかもしれません。
さて、この基準だと、厚労省の算術によると対象者は約20万人とか。

…賃金構造基本統計(05年)などに基づく推計では、年収900万円以上の会社員は約540万人。このうち部課長など管理監督者としてもともと労働時間規制の対象外が約300万人を占める。さらに業務内容を上司から指示され自分で決められないと見られる人も除くと40万人が残る。ホワイトカラーが半数とみて、対象者を全労働者5400万人の0.4%の20万人とはじいた。
(平成19年1月11日付朝日新聞朝刊から)

年収900万円ももらっていて「業務内容を上司から指示され自分で決められないと見られる人」がそんなにいるのかな、という気もしますが、たとえば工場などの監督職層などが該当するのでしょうか。ブルーカラーでも、交替制や深夜勤務の手当も含めるとかなりの高収入になる人はけっこういそうです。それにしても20万人とはかなり少ないようにも思えますが、たしかに相当数は管理監督者に該当しているでしょうから、案外、対象者は大企業の管理職手前くらいの人に絞られてくるかもしれません。まあ、労使委員会や本人同意などの手続きをきちんとやり、健康確保措置も実施して、ということになると、どうしたって大企業に限られてくるのはむしろ自然なのでしょう。まあ、いずれにしても選挙が心配で棚上げしたいというのが与党の意向ですから、対象を小さく見せようとするのが当たり前ということでしょうか。
むしろ困るのはこれです。

 柳沢厚生労働相は10日、自民党の中川政調会長公明党の北側幹事長、斉藤政調会長と会い、制度の対象者を「年収900万円以上で、課長以上」に限定する考えを明らかにした。
(平成19年1月11日付読売新聞朝刊から)

「課長以上」というのはどういうことなのでしょう。たいていの企業では、部下が10人とか20人とかいるような古典的な「課長」は管理監督者扱いしているでしょうし、いわゆる「課長クラス」のスタッフ職についても、労働協約で非組合員にするなどの手続きを経たうえで、事実上の労使自治管理監督者扱いにしていることが多いのではないかと思います。厚労省サイドはこれまでも繰り返し「呼称、タイトルではなく実態」と言ってきたわけで、ここで突然「課長以上」と言われても…。まあ、逆にいえば、タイトルが課長であればいいということなら、どんどん課長の肩書きを発行すればいいということかもしれませんが、それでは本末転倒だと思うのですが…。
これでもまだ足りないということで、こんなものまで出てきました。

 厚生労働省は十一日、一定の条件を満たす会社員を労働時間規制から除外する「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」について、制度の対象業務を企画や立案など五つに絞る方針を固めた。「管理監督者一歩手前」「年収九百万円以上」という条件に加え業務を限定し対象労働者を絞り込み、制度導入に慎重論が強い与党側の理解を得たい考えだ。賃金決定の基本ルールも指針で定める。
 制度の対象となるのは「企画、立案、研究、調査、分析」の五業務。これらの職種は社員が労働時間をある程度自由に設定しながら仕事を進め、その成果も評価しやすい。自律的労働を志向する新制度の導入対象にはふさわしいと判断した。
 新制度の前提となる成果主義賃金制を公正に運用するため、厚労省は目標管理の手法や仕事の成果を評価する基準を明示した指針を定める方針。指針の内容は今後詰める。
(平成19年1月12日付日本経済新聞朝刊から)

「企画、立案、研究、調査、分析」ですか。ぜひともお願いしたいのは、企画とはなにかとか、立案とはなにかとか、研究や調査以外の仕事がどの程度含まれてもいいのかとかいった神学論をはじめないでほしい、ということです。あくまで訓示的に、それなりに知的なデスクワークに従事するホワイトカラー、という程度の要件にしないと、実務家としてはこの人はいいのかとかこの仕事は問題ないのかとかいうことを心配しなければならず、予測可能性が低くて使い物にならない制度になってしまいます。そもそもWEへの大きな期待のひとつは、現行の職務要件を中心とした裁量労働制が、予測可能性が低い上に安全サイドできつめきつめの要件になっていて、使い勝手が悪いことの反省に立って、年収要件や本人同意のような明確で予測可能性の高い要件による制度とするというところにあるのですから。
また、「賃金決定の基本ルールも指針で定める。」というのも、遅刻・欠勤に対する時間割減額(これは米国ではけっこう問題になるようですが)はしないとか、評価については求めがあれば説明するとか、せいぜい「成果や能力、職務などを中心に評価し、労働時間を理由に評価をしない」くらいの理念的なものにとどめてもらわないと困ります。というか、行政が「あるべき目標管理や評価基準」を決められるわけもないわけで(そんなことができるなら、民間企業が成果主義騒ぎで混乱したり、口先ばかりで使えないコンサルに大金をつぎこんだりすることもなかったわけで)。そのために現場を良く知る労使が労使委員会で議論するという集団的手続きを入れているのだと思うのですが。
まあ、私としても法案提出、成立には賛成なので、そのための方便として厚労省があれこれ取り出してくるのも悪いとは言いませんが、どうかせっかくの制度をあまりおかしなものにしてしまわないように願いたいものです。