残業上限「月60時間」

前々から観測気球は上がっておりましたが、いよいよ昨日の働き方改革実現会議で政府案が提示されました。

 政府は14日、首相官邸働き方改革実現会議を開き、残業の上限を月60時間と定めた政府案を示した。1年間で720時間に収めることとし、繁閑に合わせた残業時間の調整を可能とする。会議に参加する労使ともに受け入れる方針だ。政府は労働基準法改正案を年内に国会に提出し、早ければ2019年度に運用を始める。

残業時間の上限規制
(現状)
●36協定締結時→月45時間、年360時間
●特別条項締結時→年6カ月までは制限なし
(政府案)
●1カ月の上限を60時間に
●年間で計720時間に
●繁忙期は最低限上回れない上限を別途設ける
(今後検討)
●繁忙期は月100時間まで容認
●2カ月平均で80時間を超えないようにする

 安倍晋三首相は「労働者側、使用者側にしっかりと合意を形成していただく必要がある。罰則付きの時間外労働時間の上限規制はこれまで結論を得ることができなかった」と強調した。

 働き過ぎの現状を変えるため、政府は労基法で残業の上限を定める。その時間を上回る残業をさせた場合は企業に罰則を科す。政府案は36協定の特例として、年間の残業時間を720時間、月平均で60時間と定めた。
 繁忙期に対応するための措置も今後検討する。仕事が集中する時期には月60時間を超す残業を容認。1カ月のみなら100時間までの残業を可能とし、2カ月平均で80時間を超えないように規制する案で最終的に詰める。100時間超の残業は脳や心臓疾患による過労死のリスクが高まるとされており、この数字は超えないようにする。
 80時間や100時間の残業上限を巡っては野党が過労死ラインと批判。連合からも反発が出ており、今回の案には盛り込まなかった。ただ、政府は「過労死の認定基準は医学的な根拠に基づき1カ月100時間超の残業」と説明している。3月末にまとめる働き方改革の実行計画には、この方針を盛り込む見通しだ。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H41_U7A210C1MM8000/

まあ労使ともに受け入れる方針だということですからよろしいのではないでしょうか。この政策で現状に較べて世の中に大変なご迷惑がかかるかといえばそうでもないでしょう(まあ個別にはともかく)。しかしあれだな、わざわざ「この会議に参加する」とおことわりを入れているのは、「労政審じゃねえんだぞ」という官邸の意向を汲んだのか、あるいは「この会議に参加していない」労使(特に労だな)の中には「受け入れない」という話もあるという趣旨なのか、なかなかに味わい深いですな(←ほめている)。
さてこの上限規制を考える際のポイントをいくつか書いていきたいと思うのですが、まず重要と思われるのはこれはある種の労使にとっては事実上の規制緩和と言えなくもないということです。
どういうことかと言いますと、今回提示された政府案が実現会議のサイトにアップロードされていますが(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hatarakikata/dai7/siryou2.pdf)、従来は強制力のない大臣告示だった「月45時間・年360時間」を労基法に書き込んで強制力を持たせ、36協定の特別条項は維持したうえでそれによる延長の上限を年720時間として、一時的な事務量増加の場合の上限も別途設ける(具体的には書かれていませんが、月100時間とか2か月160時間とか言われているものですね)、というものであるわけです。
そこで実態をみますと、ある種の労使≒ショップ制などでしっかり組織された労組が存在して労使関係の成熟した労使においては、以前も書いたように(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20150327#p1、真ん中あたりのhamachan先生の論考へのコメントで触れています)コンプライアンスやレピュテーションの観点も含めて行政指導による強制力を重視し、すでに従来の大臣告示の水準(月45時間・年360時間)をかなり強制力のあるもの、まあ絶対に超えないというわけではないにしても超える際には労使で相当のハードルを設定した上でアフターフォローも厳格にやるという運用になっている労使もかなりあるわけです。さらには、これはだいぶ以前になりますがこのブログでも東京新聞の記事をご紹介したことがありますが(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20120727#p1)、すでに特別条項の絶対上限が100時間を下回っている労使というのも相当にあります。まあ今回の政府案等が実現したとしてもこれら労使が運用を緩めるとも思えませんが(つ労基法1条2項)、しかし心理的にはかなり楽になるのではないかとも思われ、そういう意味では規制緩和だということもできそうです。
次に「安倍晋三首相は「労働者側、使用者側にしっかりと合意を形成していただく必要がある。罰則付きの時間外労働時間の上限規制はこれまで結論を得ることができなかった」と強調した。」と、従来労政審厚労省ではできなかったことが実現会議・官邸ではできたと自画自賛しておられる件です
まあそれはそのとおりだと思うのですがただそれがなぜかと言えば現実的な規制内容になったからという点に尽きるのであり、従来はこの議論になるとなぜかすぐにEUでは週48時間とか日本の実態に合わない話を持ち出す人がいて、そうなるとさすがに使用者サイドとしても「議論はできないねえ」という話でしょうし、労働サイドだって建前はともかく本音でそれがいいとは思ってない人も多かったのではないかと思います。それが今回は年間720時間ということなので、まあ労使ともに例外設定などを除けば基本線としては受け入れ可能なところだったのではないかと思われます。それが可能になったのは官邸主導の実現会議だったから、というのはそのとおりかもしれませんが、しかし実現会議には労使の代表も含まれていて一応は三者構成になっているわけですから、三者構成がいけないというよりは推進会議には圧力をかける傍聴者がいないからではないかなあなどと邪悪なことを考えたりもする心の汚れた私。
さて年平均以外の規制についてはまだ労使で折れ合っていないようで、巷間報じられている月100時間・2か月160時間といった上限については今回の政府案には織り込まれず継続検討となっています。この100時間・80時間(2か月160時間)というのは日経新聞も書いているように長時間労働の労災認定基準を参照しているものと思われ、それなりに医学的な根拠のある数字であり、かつ上でご紹介した過去エントリの東京新聞記事(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20120727#p1)でも見られるように労使の実務に定着していますので、これを利用するのは妥当な線といえるように思われます。
これに対して連合の神津会長は「認定基準とは明らかな開きがあるべき」との見解ということで、まあ労組がなるべく上限を抑制したいと考えるのは自然なことでしょう。
ただその理屈には注意が必要で、実現会議の委員提出資料を見ていると労働界以外の委員の方で「「上限は75時間以下」になると、「命を守る法的上限が入った」という社会への強いメッセージとなり、評価も高まるのではないか?ここに過労死以上の80時間、100時間という数字が入ると、バッシングの恐れもある」とか主張している人がいるらしくいやそれはそういう話なのか
このブログでも繰り返し書いているように100時間、80時間というのは「おおむね」であり「これを超えていたら強い因果関係を推定して労災認定して救済しましょう」という基準であって、そこで不連続かつ大幅にリスクが高まるというものではありません。従事する職務の内容にもよるでしょうし、睡眠時間から逆算した数字なのでたとえば通勤時間の多寡もリスクに影響してきます。そういう性格のものを「過労死ライン」と呼び、さらに一部のメディアがあたかもこれを超えると飛躍的に過労死の確率が高まるかのように報じているのはかなりミスリーディングと申し上げざるを得ません。もし100時間、80時間に対してバッシングをなすメディアがあるとしたら、単なる勉強不足・知識不足か、あるいは意図的なデマゴーグであり、いずれにしても問題だと言えましょう。というか、この委員の方はジャーナリストであるらしいのですが、ジャーナリストが「(社会の)評価が高まる」、つまり政策で世間の人気取りをすることを推奨するというのもいかがなものか(お、久々に使ってしまった)と思うのですが、いやそうでもないのか、ジャーナリストだからこそそういう発想になるのか…。まああれかな、そういう持ちかけ方をすれば官邸がそう動くと見たのかな。官邸も甘く見られたもんだ。
ただまあ100時間・80時間と95時間・75時間でどれほど違うかというとそれほど違わないのではないかという考え方もあり、連合がどうしても100・80は嫌だというなら例外の例外が適切に設定されるならそれはそれでかまわないという考え方はあろうかと思います。実際、他の委員の提出資料をみると、金丸委員が提出した経済同友会の「時間外労働規制等に関する意見」「研究開発やシステム設計などの専門職など、一律的な規制が難しい職種 については、健康配慮のための特別措置を講じた上で、適用除外を認める」ことを要望しています。具体的なケースとして想定されるのは、たとえば大物のシステムトラブルなどが発生した場合にはベンダーのエンジニアさんというのは昼夜兼行で対応することになるのでしょうが、物理的身体的負担が重い肉体労働ではない(いやしんどい仕事でないというつもりはありませんので為念)ことを考えれば、本人の健康状態などを慎重にモニターして異常のないことを確認しながら上限を超えることを容認する(そして解決後はまとめて休む)ということは考えられていいでしょう。
なお実現会議の提出資料をみるとなかなかに興味深い反応が示されており、たとえばイトーヨーカ堂の田中社長の資料には「現在、企業の再三の指導にもかかわらず、生活残業等で社員個人が意図的に違反しているケースも散見されるので、そういった社員への対応指針も検討すべき」(強調引用者)というまことに率直極まりない記述があります。生活残業で年720時間超…うーん、あるのかもしれませんねえ。日当たりにすれば約3時間なので、平均的に9時出勤・21時退勤、休日出勤すれば日当たりはさらに短くなりますので、まあ身体的負荷の高くないホワイトカラーであれば不可能ではなさそうです。基本的には企業の人事管理でなんとかすべき問題ではないかと思うのですが、懲戒処分できるとかいうことを想定しているのかなあ。指導にもかかわらず残業した分は残業代を払わなくてもいいとか、まさか考えていないと思いますが…。
また、上でご紹介した経済同友会の意見には「生産性の低い長時間労働の是正は、日本社会全体の構造改革である。したがって、実現に向けた期限を定め、国家公務員等も民間企業と同等の条件を適用する「働き方改革」を求める。」との一文があり、他人にやれと言うなら手前もやれという話ですなこれは。実際、このブログでもたびたび書いていますが、官僚にせよ有識者にせよ「そこまで言うならまず手前でやってみせてくれ」と言いたくなることはたしかに多いように感じます。
というか、日経新聞が報じている識者のコメントもそういう感はあり、

山本勲・慶大教授の話 残業上限の統一基準を作ることは評価できる。月60時間という数字は決して厳しい数字ではないが、今までは限度なく働ける状況だったので、急激に変えるのはひずみが大きい。まずは60時間から始めるというのはバランスが取れている。
 法律で残業時間を規制し、罰則が適用されることで抑止力が生まれる。統一基準を設けると、あまりに長く働いていることへのチェック機能が働くようになる。ただ、月100時間の「過労死ライン」は決して超えてはいけない。繁忙期でもそこまでいかない基準の適用が必要だ。インターバル規制は導入すべきだ。疲労の蓄積を防ぐことが担保される。月100時間の「過労死ライン」は決して超えてはいけない。労働時間規制の対象となっている一般の労働者は、ほぼデジタルで勤怠管理をしている。企業が日々の労務管理ができないとの理由で導入に消極的になるのは言い訳にすぎない。
(平成29年2月15日付日本経済新聞朝刊から)
http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20170215&ng=DGKKZO12923090V10C17A2EA1000

前半部分については、ジョブ型でスローキャリアの働き方が普及してくれば上限も段階的に引き下げていけるだろうという趣旨だと思われますのでまことに妥当だと思うのですが、続けて「月100時間の「過労死ライン」は決して超えてはいけない」と言われると「だったらあなたも絶対に超えないでくださいね」と言い返したくはなります。いや山本先生としてはもちろん「月100時間の「過労死ライン」は決して超えてはいけない」のは「労働時間規制の対象となっている一般の労働者」であって、大学教授は「労働時間規制の対象となっている一般の労働者」ではないから超えてもいいのだ、ということだとは思うのですが。なお余談ですが「労働時間規制の対象となっている一般の労働者は、ほぼデジタルで勤怠管理をしている」というのは(いや時間だからデジタルに決まっているわけではありますがこれはそういう意味ではないでしょう)どこまで当たっているのかという気はします。いやタイムカードや勤怠簿をexellで集計してますというのまで含めれば「ほぼしている」と言っていいと思うのですが、デジタルな入退場時刻の記録や、端末のログイン/ログオフで労働時間を集計しているというのは、それなりの大企業かそっち系の業種では当たり前かもしれませんが、中小零細事業者まで含めれば「ほぼしている」とは言えないように思うのですが…もちろん「企業が日々の労務管理ができないとの理由で導入に消極的になるのは言い訳にすぎない」というのはそのとおりだと思うのですが。
ついでにもうお一方の有識者コメントについてもご紹介しておきますと、

 山田久・日本総合研究所チーフエコノミストの話 …女性や介護を抱える人たちの雇用を促して労働力を確保するためにも長時間労働の是正は必要で、中長期的に残業上限は引き下げていくべきだ。そのためには解雇規制の緩和も並行して進める必要がある。
 欧州の労働時間が短いのは、日本と比べて解雇規制が緩く、不採算事業の整理がしやすいためだ。労働市場の流動化が促されたのに伴い、長時間労働を前提にしないと採算が合わないような事業の淘汰が進んだ。日本は解雇規制が厳格なために収益性の高い部門に人材を移せず、不採算な事業が温存されがちだ。政府案は労働時間の総量に枠をはめつつ、仕事の繁閑に対応できる中身となっている。現実的な内容だ。
(平成29年2月15日付日本経済新聞朝刊から)
http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20170215&ng=DGKKZO12923060V10C17A2EA1000

こちらも、ジョブ型や地域・勤務時間限定型のスローキャリアな働き方が普及していけば上限も引き下げられるし、そうした働き方は雇用保護も緩やかなものになるだろうという意味であればそのとおりだと思うのですが、「欧州の労働時間が短いのは、日本と比べて解雇規制が緩く、不採算事業の整理がしやすいためだ」以下はどこまで本当なのかなあ。もちろん日本企業が残業時間を雇用調整に活用してきたことが労働時間が長くなる一因だというのはまずまず定説だと思うのですが(その効果に疑問を呈する向きもありますが)、それが主要な要素だということはないように思うのですがどんなものでしょうか。「日本は解雇規制が厳格なために収益性の高い部門に人材を移せず、不採算な事業が温存されがちだ」というのも、賃金が低いゆえに収益性が高く、賃金が高いゆえに不採算だというのであれば、高賃金の人を解雇して低賃金で働かせるという理屈になるわけで、それがいいかどうかは議論があると思います。つか労働時間と関係ないんじゃないかと思うんですけどねこれ。そうでもないのかな。
さてほとんど報じられていませんがきのうの実現会議では高年齢者雇用についても議論されたらしく、これも提出資料などをみるといろいろ論点がありそうなのですが、こちらは明日以降書けたら書こうと思います。