経労委報告に対する連合事務局長談話

きのうのエントリで経団連の経労委報告をとりあげましたが、連合は発表直後に「談話」を発表していますので、きょうはこれを見てみたいと思います。

 日本経団連は、2006年12月に御手洗会長の新体制になって最初の「経営労働政策委員会報告」(以下「報告」)を発表した。前回までは「『現場力』の復活」「職場を支える『普通の人』たちの意欲を高める適切な舵取り」等、不十分ながら労働者の方にも目を向けていたが、今回は現場や生活の感覚と遊離し、前回まで触れていた「人間の顔」が見えない印象が否めない。
http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2006/20061219_1166524144.html、以下同じ)

うーん、しかし、読んでみると今回も一応「現場力」の重要性に対する記述があることはあるのですが、まあたしかに「普通の人」とまでは書いていません。まあ、全体的なトーンとしては、新体制になって若干10年前くらいの自立人材とか成果主義の路線に先祖返りしたかな、という感想は私も共有していますので、それを連合的に表現するとこういうことになるのかもしれません。もっとも、「人間の顔」というのは旧体制の奥田碩会長のキャッチフレーズだったわけで、さすがに新体制でもそれを繰り返すのはいかにも新味に欠けるので、今回は避けて通っただけのような気はしますが。

 今回の「報告」の特徴の一つは、「格差社会」の現実に対する記述がほとんどないことである。働く貧困層の問題など眼中になく、「景気回復は、企業部門から家計部門に波及しつつある」という現状認識は、わが国社会のどこをみていっているのか、理解できない。
 「格差問題に対する考え方」では、「事由が合理的で、回避可能な格差」ならばよいという一般論に終始し、具体的な事象に対する判断は示していない。日本経団連は、いま起こっている雇用形態間格差や企業間の取引関係の問題について、社会的公正さの視点から「当然のことだ」と捉えているのだろうか。「格差社会」の原因の一つは、この間の企業行動にあり、当事者としての自覚を持って、いまの現実を直視すべきである。

「ほとんどない」とは言いますが、実は経労委報告は(「談話」でも触れているように)わざわざ「格差問題に対する考え方」という一項と設けてこれについて論じています。たしかに、その内容は連合の気に入るようなものではないでしょうが、自分の気に入るように書いてないことをもって「記述がほとんどない」というのも…。

 「報告」は、これからは「人材力」だ、と主張している。連合も、重要な課題だと考えているが、「報告」には、その人材が、いまどういう状況にあるのか現状認識が欠落している。多くの職場では、長時間労働を余儀なくされる正社員と、労働条件が低く、企業の都合に合わせて便利に使われるパートや派遣、有期、請負などの労働者への「働き方の二極化」が進み、「現場の人材力」が低下している。それは、長期的視点に立った「人への投資」を軽視してきた人事政策の弊害に起因するものではないか。
 また、「報告」は、「自律的人材」の「自律的働き方」を提唱しているが、長期的視点に立った人材育成を怠り、「裁量権なき裁量労働」が横行する現実を踏まえると、職場実態から遊離した発想と言わざるを得ない。「働き方の二極化」を放置したまま、使用者に使い勝手のよい働かせ方を拡大することしか念頭にない提起であり、ましてや、ホワイトカラーイグゼンプションの導入は言語道断である。

まあ、立場が違えば「現状認識」が違うのも当然なので、こういう書き方になるのでしょうか。それとは別に、たしかに今年の経労委報告は人材育成への熱意がやや低いような印象はあります。ただ、働き方の多様化に応じたキャリアデザインの重要性などにも言及されており、連合の「時計の針を逆に回す」ような主張よりは前向きなようには思います。

 「報告」では、相変わらずの賃金抑制論が展開され、横並びで賃金抑制をはかろうとする意図が透けて見える。「報告」は、労働分配率の大幅な低下を景気循環で説明しようとしているが、従業員の人件費を削減する一方で、株主配当と役員報酬を大幅に増やすというベクトルの違いを景気循環というのであろうか。「いま、企業労使が取り組むべき課題は『付加価値の増大』である」とする一方で、「公正な分配」への言及がないことも問題である。「生産性三原則」はどこへ行ってしまったのか。「社会への貢献を果たす『公徳心』」という自覚があるなら、労働者のがんばりに充分に応えることからはじめるべきだ。我々は、毅然と成果配分を求めていく。

これに関しては、経団連は成果配分を否定しているわけではなく、というよりはむしろ肯定的で、ただその方法については一貫して「賞与に適正に反映」と主張しているわけです。株主への配分が増えていることに抗議することは労働運動としてはきわめてまっとうなことだと思いますが、いっぽうで経済低迷期の株主配当や役員報酬のことを思い出せば、それこそ無配とか役員報酬返上とか、賞与以上に増減の変動は激しかったわけで、ここでの連合の所論はいささか乱暴なような気がしないでもありません。
まあ、例年のことですが、これから交渉ごとを始めようというわけですから、最初はこのくらい言ってやれ、ということなのでしょう。経団連春闘を「幅広い内容を討議する『春討』」にしようと言っているわけですから、連合としても「格差」についての討議をもちかけてはどうでしょうか。真剣にやるのであれば、これは連合としても内部で相当深刻な合意形成を要することでしょうが…。