城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来』

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

キャリアデザインマガジンのために書いた書評です。
よほど、富士通が腹に据えかねているのでしょうか。富士通の実態もこうはひどくないと思いますし、日本全体でもこんな状態ではないと思うのですが…。それに対する批判はけっこうまとも(言い換えれば平凡)なので、個別の事例については当たっているケースもあるでしょう。

 なかなか評価の難しい本なのだが、基本的には年功序列というシステムと、それをよしとする「昭和的価値観」を批判した本といえそうだ。さすがに、それなりにまとまった人事管理の経験を持つ人だけに、年功序列の弊害に関する指摘はなかなかいいところを突いている。社会保障に関する主張などは、シンプルなだけにかえって鋭い。たしかに、年功序列が時折世間でも言われているような「賃金後払い」のシステムであるとすれば、高齢化が進展すればその持続可能性が低下するのは理の当然であろう。
 ただし、著者が批判している「年功序列」は「賃金も昇格も地位もすべてが年功だけで決まる」というもののようだが、こうした純然たる年功序列がどれほど現在の日本に存在しているのかというと、かなり疑わしい。もちろん、お役所などには依然として古色蒼然たる年功序列が存在しているらしいし、この本でも紹介されているような「過去の年功だけで子会社の幹部におさまり、その部下である若手社員が疲弊している」といった実態もまだまだあるだろう。しかし、こんにち大半の企業ではそんな呑気な人事管理が許される状況にないことは論を待たない。それどころか、すでに1960年代には「年功序列」に対する問題意識が強く持たれており、それに対して今日にいたるまでさまざまな取り組みが行われてきた。それが十分な成果をあげたかどうかは別として、少なくとも年功序列は単なる賃金の後払いではなく、「人材への長期的な投資と回収」の結果として平均的には年功的に賃金が上昇するというものとして定着しているといえるだろう(もちろん動機づけの側面もあるだろう)。これはあくまで「平均的に」であって、個別にみれば多くの人はどこかで賃金もキャリアも上昇しない「引き込み線」に入っていったし、中には(不本意ながらも)「一生下働き」というキャリアを歩んだ人も多数存在するはずだ。そう考えると、著者はあたかも40年前の「年功序列」が今も現存するかのようにこれを批判し、過去40年間に起こってきたことを「これからの若者はこうなる」と述べているに過ぎないのかもしれない(ちなみに、著者は今後の人事制度については「キャリアの複線化」をあげ、これを実現しているのはキヤノンなどごく一部の企業であると述べているが、現実にはキャリアの複線化はかなり広く普及しているのではないか)。
 たしかに、こんにち多くの若年が厳しい状況におかれていることは間違いないだろうし、これまでの世代以上に困難が高まるという予想もある。ただ、その相当部分は長期にわたる経済不振、企業業績の低迷がもたらしたものであることもまた事実ではないか。たしかに、企業が長期的な人材投資という戦略をとると、ある程度年齢を加えてしまった若年にとってはそのしくみにうまく乗りにくいという問題があり、それにはなんらかの対処も必要かもしれない。しかし、逆にいえば、今後若年人口が減少していくなかにおいては、長期的な人材投資という戦略は、若年にとってきわめて有利にはたらくことも想像に難くない。これを(著者が批判するような)古典的な年功序列と同一視して全否定してしまうことは、決して若年にとって有利な結果にはならないだろう。
 著者はさいごに、若者に対して「自分で主体的に動き出す」ことをすすめている。「上司に訴えて、望む業務を勝ち取る」「社内公募、社内FAの利用」「転職」などである。それまでの論調からするとずいぶん穏健な印象だが、そこが著者の実務経験がもたらす現実性ということだろうか。もちろん、こうした自主性を発揮することは望ましいし、上司に対して「あの仕事を経験してみたい」などと希望を伝えるのは、日常的に行われていることだろうと思う。ただし、すべての人が社内公募で選ばれて活躍できるとはかぎらないし、ましてや、転職を成功させることができる人は少数派だろう。長期的な人材投資という戦略は、言葉は悪いが、多くの平凡な人たちを貴重な戦力に育てることができるという大きな長所を持っている。
 そう考えると、キャリアを考える際には自分を育ててくれそうかどうかを重視しましょう、間違っても著者が批判しているような年功序列の組織に入ってしまわないように(まあ、それでも雇用とそこそこの労働条件が約束されるお役所のような組織ならいいかもしれないが)、といういたってありふれた結論になるが、それがこの本を読んだ偽らざる印象だ。