ワーク・ライフ・バランス(5)

ワーク・ライフ・バランス(5)

 このところ、少子化対策のひとつとしてワーク・ライフ・バランスが取り上げられることが増えているようだ。昨年9月に発足した安倍内閣少子化対策を政策の重点事項のひとつとして位置づけているとのことで、この2月には有識者を集めた『「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議』も発足している(この手の会議は乱立気味で、いささか影が薄い感もあるが)が、この会議においても「児童手当や育児休業給付の拡充など経済的支援が中心だった少子化対策の方向性を、「ワーク・ライフ・バランス」(仕事と生活の調和)重視に転換し、少子化対策を再構築する」方針だと報じられている(平成19年1月29日付毎日新聞朝刊による)。はたして、ワーク・ライフ・バランスは少子化対策として有効なのだろうか。
 山口一男シカゴ大学社会学部教授の夫婦関係満足度に関する研究によれば、「ワーク・ライフ・バランスの特徴である夫婦の重点共有生活活動(休日の夫とのくつろぎ、家事育児、趣味・娯楽・スポーツ、平日の夫との食事とくつろぎ)の有無、夫婦の会話時間(特に平日)、夫婦の休日の共有生活時間、夫の育児分担割合は妻の夫婦関係満足度と夫への精神的信頼度に強く影響し、それらの満足度と信頼度は妻の出生意欲に大きく影響する。」のだという。さらに、残業が減少して夫の収入が10万円減少したとしても、その代償として以下のいずれか1つを満たせば夫婦関係満足度は一定に保てるのだそうだ。

  • 平日の夫婦の会話時間を1日平均16分増加させる。
  • 休日に妻が夫と共に大切に過ごしていると思える生活時間の総計を1日平均54分増加させる。
  • 夫の育児分担割合を3%増加させる。
  • 妻が「食事」または「くつろぎ」を「夫と共に過ごす大切な時間」と感じる日(平日)を6日に1日増加させる。

 これだけで「仮に相当の減収をともなっても、夫の労働時間を短縮して家庭生活に振り向けることで、出生率が高まる」と言い切ることはできないのかもしれないが、それにしてもその可能性は高そうに思える。ただし、この結果には疑問もあって、極端な想定だが最大限に見積もって、たとえば新生児を育てる妻は1日24時間のすべてを育児にあてているとしよう。その3%ということは、約22時間で、ほぼ1日に相当する。もちろん、夫婦関係だから、夫が育児を分担するということ自体に一定のプレミアムはつくだろう。それでもなお、それが半額の5万円に相当すると仮定しても、平均的な妻は丸一日育児をアウトソーシングできれば5万円支払ってもよいと考えているという実感に合わない結論になってしまうのではないか。
 また、この調査からは離れるが、ワーク・ライフ・バランスを実現することで、職業キャリアの形成の一定部分が失われたり、遅れたりする可能性も否定できない。ワーク・ライフ・バランスが少子化対策として効果がありそうだということは直観的に納得できるが、それがいかほどの大きさかについてはあまり楽観できないのかもしれない。
 また、政府の「戦略会議」は、ワーク・ライフ・バランスを労働法制見直しと連動しながら検討するのだという(平成19年2月10日付産経新聞朝刊)が、法制度を見直せばワーク・ライフ・バランスが実現するとか、出生率が高まるとかいうように直結するかというと、これまた疑わしい。たとえば、これも極端な話だが残業や休日出勤を禁止したとしても、必ずしも夫がその時間で家事育児をするとは限らず、たとえば他のアルバイトや、自営を行う可能性もある。また、趣味・娯楽・スポーツに時間をあてようとしたときに、いまのわが国の現状では、それに要するコストも無視できない。もう一つ大問題なのが、とりわけ首都圏などの大都市圏における通勤時間の問題で、いかに残業をなくしたところで、通勤に往復3時間を要するのではワーク・ライフ・バランスはおぼつかない。
 結局のところ、ワーク・ライフ・バランスが少子化対策として有効なものとなるためには、残業なしでそこそこの収入が得られる安定した雇用を職住近接で確保したうえで、特に夫が仕事よりも育児・家事に喜びや楽しさを感じられるようになるという意識改革と、夫婦がともにおカネがかからずに楽しめる趣味を持つことで、「生活は相当質素だけれど、子どもがいるから幸せ」という社会をつくっていくことが必要だということではないか。これはかなり高いハードルにみえるかもしれないが、しかし本当に出生率を大きく引き上げようとすれば避けては通れない取り組みのようにも思える。一歩間違えば社会が階層化するリスクもあるのかもしれないが…。