bewaadさんへのお礼

5月8日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060508)にbewaadさんからTB(http://bewaad.com/20060509.html#p01)をいただいているのですが、コメント欄が大爆発していて小心な私にはとても踏み込めませんので、ここからTBでコメントさせていただくとともに、お礼を返したいと思います。

以下、私のコメントはbewaadさんのご意見をひきながら書いていきますが、一部にはコメント欄での多数のコメントに関するものも含まれます。かなり読みにくいと思いますが、ご容赦ください。

ところがこの民主的プロセスは、行政府から見れば外部要因で、かつ、削減するとの目的も同様に民主的プロセスによる外部要因ということになるので、それらが調整されぬまま行政府に投げられても対応が不可能です。非常に極端な話をするなら、いずれか一方は内部要因としてよいなら、行政府だけで十分対応可能でしょう。例えば頭数は絶対削れ、そのために業務に支障が生じてもかまわないというなら削れるでしょう。これだけの仕事はやれ、そのために必要な頭数は確保してやるというのなら求められる業務はできるでしょう。では現状は前者でしょうか、ということです。

これは平家さんも類似のご意見(公務員は外部要因で無理を押し付けられる)をお持ちだったと思います。実際には、民間では「頭数は削れ、その上でこれだけの仕事はやれ」ということが求められて、そのための努力が日常的にされているわけです。今回は発端が人員削減でしたのでそれに関した議論に終始しましたが、実際は人員削減に限らず生産性向上全般に言えることだろうと思います。bewaadさんが次のように述べられているのも似たような意味だろうと思います。

…具体的に行政府を統べる民主的プロセスの担い手=政治家との関係を考えると、民間の成功事例とは異なり目的の共有が困難であるといえます。労使協調路線の民間企業においては、労働者集団の存続と企業の存続がほぼ重なったものとしてお互いに認知されているので、協力による痛みわけが成立しやすい状況が存在します。言い換えれば、労働者は労働者で自分たちを単に痛めつけるようなことを経営者が考えるとは思わず、経営者は経営者で労働者が企業の存続を危うくするほどのエゴは主張しないと信頼しているがゆえに、全体としての最適解が得られやすいのです。

企業の存続に限らず、民間では労使協調で生産性を向上させれば労働者にも適正な配分(具体的には賃上げや賞与の増額など)が行われますが、公務員にはそうした生産性向上へのインセンティブがありません。それが非効率が温存されることにつながります。公務員の職場に露骨な非効率が平然と放置されているのは、公務員個人の問題というよりは、こうしたしくみの問題と考えるべきなのでしょう。

他方で昨今の行革においては、政治家は行政府を抵抗勢力でありその主張は削減を拒む言い訳と捉えがちで、一方、行政府からは政治家にとって行政府を叩けば叩くほどその利益になる(=人気が上がる)ので削減は効率化の手段ではなく自己目的化していると見えることが多くなっています。

民間企業の場合でも、投資ファンドなどがこっそりと株を買い占めて、合理化などで無理難題を吹っかけてきたりしたら、労組が反発するのは当然として、経営者も労働者との間に立って防戦します。いっぽう、経営が傾いて、同業他社に増資を引き受けてもらって救済・再建に取り組む場合は、労組も強くは抵抗できないでしょうし、経営陣も新株主の意向をふまえた合理化・人員削減を行うでしょう(実際には経営者も交替することが多いでしょうが)。
問題は、これまでも繰り返して書いてきましたが、国民の誰の目にも明らかな行政のムダや非効率が、あからさまな形でビジブルに存在しているがために、国民の多くが政治家が「公務員を削減せよ」と言うのを支持してしまうところにあるのではないかと思います。bewaadさんご自身や、周囲の職場においては、おそらく非常に多忙で生産性も高い(給与水準を考慮すればなおさら)ものと思います(さらに、その多忙の原因の相当部分は政治家の非効率にあるものと推測します)ので、政治家が公務員の削減を言うのは実感として投資ファンドが無理難題を言うのと同様に見える部分が大きいのではないかと思います。しかし、国民の多くは、あからさまなムダをみて、公務員を削減しつつ行政サービスを維持するという政治家の主張を、たとえば三協精機を立て直した日本電産永守重信氏の発言と同様に見ているのではないでしょうか。

このような状況に組織があるなら、それが民間企業であっても、まずは密な意見交換を通じた信頼関係の醸成から始めるのが人員削減を成功させる定石でしょう。そうした生ものとしての組織に目配りすることが今の議論には欠けているのではないでしょうか。

ですから、この結論には私も同感です。現実には財政事情をふまえてある程度(増税に理解が得られる程度)の人員削減努力が当面必要としても、中長期的には仕事や組織、人事管理のあり方などについて労使で綿密に意思疎通を行い、信頼関係を醸成していくことが必要と思います。それを通じて、たとえば仕事に関しては、不要な仕事をやらなければならないせいでやるべきことができていない、といったことを明らかにし、必要な手立てを打っていくといったことの積み上げが信頼関係につながります。また、仕事と能力と成果に見合った賃金がきちんと支払われるようにするとともに、効率化の成果はそれに取り組んだ公務員にも適正に還元される仕組みを労使で検討し、導入していくことも求められます。世間で批判の多い天下りの退職金渡り鳥も、そこばかりがあからさまに見えてしまっているわけですが、本質的な問題は若い頃に仕事や能力や成果をはるかに下回る賃金水準で働いた分を事後的に精算しているという構造にあるわけで、退職金渡り鳥はやめる、そのかわりに若い頃から適正な賃金を受け取り(キャリアの仕事ぶりと能力を考えれば、相当な高賃金を受けても国民は納得すると思います)、基本的に定年まで省内で働けるようにしても国民の理解は得られるのではないかと思います。なかなか、労使がいわば一蓮托生になっている民間企業のようにはうまくいかないかもしれませんが、それにしてもコミュニケーションの重要性に変わりはないものと思います。