官と民の違いと言ってしまえばそれまでなのかもしれませんが…

平家さんから、繰り返し長文のご意見をいただきました。
私としては思いがけず話が大きくなってしまったなという印象ですが(笑)、それはそれとして、私にはなぜ平家さんがここまで公務員の利益を守ろうとされるのかが不可解で、これ以上意見交換しても平行線だろうと思いますので、ここで私の意見もひととおりまとめて終わりたいと思います。端的に言えば、平家さんが「できない、できない」と言っておられることのほとんどは、民間では企業存続のために実施してきたことばかりです(もちろん、実施できずに存続できなかった企業もあったでしょう)。結局のところ、やらなければ企業が存続できず、職も失われる民間と、やらなくても増税すれば職も労働条件も確保できる公務員との違いということになってしまうのでしょうか?


たとえば、

…配置転換といっても、受け入れる側が、「経験・知識のない人間を受け入れたのでは数はそろっても、仕事がこなせない。」と判断する可能性があります。人員増が必要な部局と5%を超える削減が予想されている部局では仕事に大きな差があるように見受けられますから。転換のための訓練にも限界があるでしょう。
すると、新規採用を行わざるを得ず、その分配置転換を受け入れられません。

ずいぶん熱心にデータをあげて「経験・知識のない人間を受け入れたのでは数はそろっても、仕事がこなせない。」と言われていますが、これはデータをあげるまでもなくあたりまえのことでしょう。しかし、民間では半年前までは白物家電を作っていた人に再教育をほどこしてSEとして配置転換した(これは富士通の例だったと思います)とか、生産現場の監督者がサービス業の営業スタッフになった(これは新日鉄の例だったと思います)とかいったような事例は多々あります。たしかに、慣れ親しんだ仕事と違う仕事を覚えることはつらいことでしょうが、実際にその仕事に取り組みながら、経験者に教えられながら、まさにOJTで仕事を覚えていき、仕事をこなせるようにしていくわけです(これが「アダプタビリティ」というものでしょう)。取り組む前から「経験・知識がない人が来ても仕事がこなせない、限界がある」といって経験・知識のある人を新規採用するというのでは、「人材育成がまずい」を通り越して「人材育成をしていない」に等しいでしょう。
なお、自衛官については平家さんのご指摘に私も多分に賛同します。諸外国では常備と同程度ないし大きく上回る予備役を確保し、平時の要員を抑制しつつ有事の要員を確保しているのに対し、わが国の予備役は常備の5分の1以下という貧弱さです。軍隊アレルギーの強い日本ではなかなか難しいでしょうが、予備役の強化は急務ではないかと思います。これについては私はまったくの素人ですし、あまり、軽々に議論できる問題ではありませんが。
それから、

…公務員の世界でも「お前の部署から役に立つ人間を選んで退職させろ、役に立たない人間は残しておけ。」という指示が上から下りてきたら、業務遂行に責任を持つ(持たされている)管理職は猛反発するでしょう。

退職させろはともかくとして、「役に立つ人間」をさらに育てるために人事異動をかけることは民間ではごく普通に行われています(おそらく、公務員もそうだと思います)。もちろん、少なくとも一時的にはパフォーマンスが低下しますから管理職としてはつらいでしょうが、しかしそれは異動して出て行った本人の育成にとどまらず、その後任者を育成する絶好の機会ともなります。ですから民間企業では(おそらくは公務員でも)人事を停滞させないように、「役に立つ人間」を管理職が囲い込まないように、さまざまな手立てを打っているのだと思いますが。いずれにしても、組織の方針として転籍出向などの人事異動を推進するのであれば、管理職はそれに従うべきだというのが筋だと思います。

また、辞めさせられるときに「君は優秀だから、民間でもやっていけるだろう。やめてくれ。」と言われて納得する人がいるでしょうか?実際には、「(民間企業に)こういう口があるのだが、応募しないか?」といった方法でやるほかないのでは、と想像します。そのためには斡旋は必要でしょう。それを経団連に頼んだり、受け入れを強制してはならないことはご指摘の通りです。ただ、そうすると、付き合いのある会社に頼むことになりそうな気が。

もちろん、「辞めてくれ」とは言わないわけで(これは平凡な民間の人事担当者では思いもよらない発想です。外資系で肩たたきをした人数を自慢しているような人なら思いつくかもしれませんが)、ご指摘のように、転籍出向をすすめる形になるでしょう。つきあいのある会社に頼むのも、そのほうが本人のスキルがより生かせる(可能性は高いと思うのですが)のならば、結構なことだろうと思います。もちろん、受け入れ側のニーズに応じて事前に教育訓練を施すのもおおいに結構で、要するに、行政の民間に対する立場の優位を利用して「押し付け」るのではなく、行政、本人、受け入れ先のそれぞれにとって有益な転籍となるよう努力することが望ましい、ということだろうと思います。まあ、このあたりはかなり仮定の入る話なので、いざ現実になったときにどうなるかはわからないというのが正直な印象ではありますが。
なお、「それでも相対的に優秀な人が辞めても大丈夫なのかという気はします。」とのご懸念ですが、民間企業の場合ですと、人事担当者には広く知られた「2:6:2の法則」というものがあり、優秀な人が辞めると、それまでさほど目立っていなかったその下の層が俄然頑張りだして穴埋めをしてしまう、という傾向がみられるようです。ただ、これについては以前(たしかJMMでだったと思いますが)「公務員ではそれは成り立たない」との指摘を、それも公務員の方からいただいたことがありますので、平家さんのご懸念が当たっているのかもしれません。当たっていないことを期待したいのではありますが…。


さて、私としては行政も民間とまったく同様にしてしかるべきだ、とまで申し上げるつもりはありません(このあたり、私は世間の規制緩和論者、民営化論者よりは多少?甘い(笑)のですが)。行政の場合はなにをやろうにもいちいち法改正が必要だという制約があるうえに、その法改正が行政自身ではなく、政治によって行われるしかないという不自由さですから、民間のような機動性を求めるのは無理だろうということは常識的に認めるべきだろうと思います。また、公務員としてみれば「民間企業のようなしんどい思いをしなくてすむから公務員になったのに、話が違う」という思いのある人もいるでしょうから、それにも一定の配慮をして、民間に較べれば若干手緩くなることも認めていいのではないかと思います(甘いと言われそうですが)。「民間と違って、公務には穴をあけるわけにはいかない」という言い分も、たしかにそういう部分は一定程度あるだろうと思います。もっとも、これは行政が効率化努力を回避するための格好の理屈になっている感もあり、その範囲については行政の言い分をそのまま受け入れるわけにはまいらないでしょうが。
こうした事情は認めた上で、民間の納税者として、行政にもそれなりに民間に近い水準の努力を期待してはいけないのだろうか?というのが私の考えなのですが、どんなものなのでしょうか。平家さんとは、おたがい立場の違いもあり(あるのでしょうか?)、このまま平行線に終わるのも致し方ないかなという気がします。それはそれでそれなりの意義はあるでしょう。


さて、平家さんとお約束したことでもあり、「5年で5%」についての私の意見を書いておきます。
まず、平家さんのこのご指摘には、大筋では同感です。

「5年後の最終的な仕上がり、いつ、どこで、どのような行政サービスを、どれぐらいの水準提供すべきか、する必要があるのか、それに必要な公務員の質と量がどれぐらいなのかが十分考えられているのだろうか?」というのが基本的な不安です。これが「官」の人事、労務管理の基本でしょう?

仮に、「5年で5%」が絶対必要だということであれば、それを実行した場合、「官」の機能がどうなるかは、はっきりさせておくべきでしょう。「官」の機能が弱体すぎても困るのですから。

「5年で5%」にどのような根拠があるのかは私はよくは知らないのですが、仮にこれが「腰だめの数字」であるにしても、その根拠については、もう少し説明があっていいようには思います。民間企業であれば、必要な投資、投資家への適正な配当、従業員の労働条件などを確保するために必要な利益がいくらであり、それを確保するためにはどれほどの合理化が必要か、というものが、概算ではあっても示されるでしょう。同様に、現状では税収と行政サービスとがバランスしていないことは明らかなわけで、これをどのようにバランスさせるのか、具体的には増税、行政サービスの削減、および行政サービスの効率化・コストダウンをどのように組み合わせるのか、大雑把な説明はあっていいのではないかと思います(私が知らないだけで、説明されているのかもしれませんが)。
もっとも、こうしたプランをつくるのは、建前としては政治家の仕事ということになるのかも知れませんが、やはり現場を担う当事者である公務員が主体的に関与する必要があるでしょう。政治家が増税に選挙民の理解を得るためには一定の効率化やコストダウンの実現が必要だと考えているのに対し、公務員が効率化やコストダウンの検討に熱意がないようだと、政治家としてはとにかく何らかの目標を立てて話を進めるしかないということになってしまうのかもしれません。
また、平家さんのこのご指摘も、これはこれでもっともだとは思います。

基本的には「5年で5%」だけを決めるのではなく、それをどうやって達成するかも同時に考えておいたほうがよかったのではないでしょうか。「自然減と配置転換」でできるのかも検討しておくべきでしょう。また、配置転換のプランも立てておいたほうがよかったのではないかと思います。今後具体的なプランを作ることになるのでしょうが、そのプロセスで問題が発見されることは十分ありえます。

とはいえ、具体的な対応策を決めないままに、とりあえず「気合」で目標を設定することは、民間企業でも普通に行われていることです(むしろこちらのほうが多いくらいかもしれません)。平家さんが言われるように、できることを積み上げて目標を決めるのがたしかに計画的でしょうが、先に目標を決めてから、その達成のための具体策について知恵を絞る、というやり方のほうが、結果として大きな成果につながることが多いのではないかと思います。まあ、やはりこのあたりは、やらなければ仕方がない民間と、やらなくてすませることもできなくはなさそうな行政との違いなのでしょうか?


私もひとこと余計な感想を述べたいと思います。このブログでもすでに何度か言及したことがあったと思いますが、私は、公務員を除けば誰の目にも明らかなムダがビジブルな形で放置されていることが最大の問題ではないかと考えています(社会保険庁はその好例です)。実際、国際比較上は(比較は難しいのですが)、日本は人口当たりやGDP当たりの国家公務員数は決して多い方ではありませんし、個人の税負担もかなり低い方に入るのではないかと思います(企業の税負担は最も高い部類に入るでしょうが、行政サービス、たとえばビジネスインフラの整備度などを考慮すればずば抜けて高いということはないだろうと思います)。また、私は仕事柄国家公務員の方々とのおつきあいも多いのですが、多くの人はしっかり仕事をしておられるという実感もあります(とりわけ、キャリアの忙しさと拘束度の高さはすさまじいものがあります)。もちろん、中にはいかがなものかと思うような人もいますが、それは公務員に限った話ではありませんが…。
もっぱらムダな部分ばかりを、ときおり誇張含みで伝えるマスコミなどにも問題はありますし、それを鵜呑みにする国民にも問題はあるでしょう。それにしても、そうした明らかなムダをなくせば、そこで浮いた人員を他の(もっと必要とされている)仕事に動かしても(人員削減をしなくても)、かなりの程度国民の理解は得られるのではないでしょうか。それすら手をつけずに現状維持しようとすることで、かえってダイレクトに人数を減少させようという方向に議論が進んでしまうのではないでしょうか。なんか作戦を誤っているように思うのですが。