連続シンポジウム

今日も引き続き、12月5日付日経新聞朝刊の特集「少子化連続シンポジウム」から考えて生きたいと思います。まことに論点満載の特集ですが、今日は昨日に続く部分です。

橘木 子育てに直面する30歳から40歳半ばの男性の仕事の負担が重い。日本は残業時の賃金の割増率が海外と比べ低く、安易に残業をさせがちだ。割増率を引き上げれば、残業も少なくなるのではないか。忙しい人たちの負担を和らげるためにも失業中の若者やフリーターを企業は積極的に雇用すべきだ。
佐藤 スウェーデンでは女性が子育てで休暇を取る際に、男性も一緒に休暇を取るように勧めている。日本の女性の不満は「私の苦労を夫は知らない」というところにある。遠回りだが互いの理解を深めることが大切だ。
(平成17年付12月5日付日本経済新聞朝刊から)

これはそう単純にいきますかどうか。


30歳から40歳半ばの仕事が忙しい、というのは年齢階層別の労働時間などをみても明らかなようです。これにはいろいろな要因があるでしょうが、くどいようですがここでも「キャリア」との関係は無視できないと思います。いうまでもなく、長い職業人生の中でも、30代から40代前半は、キャリア形成上もっとも重要な時期でしょう。ここで仕事を通じてさまざまな経験や知識を蓄積し、能力を向上させ、さらにストレッチした仕事に取り組むという「キャリアアップ」を実現することが望ましいと考える人は多いでしょう。そのためには、かなりの程度労働時間が長くてもよい、と考える人もまた多いのではないでしょうか。こうした人たちが現にいる(ということは、橘木先生ご自身の30代、40代を想起していただければ容易に理解できると思うのですが)にもかかわらず、たとえば割増率の引き上げなどで一律に労働時間を制約することが本当にいいのかどうかは大いに疑問が残るところです。
また、90年代の労働時間短縮の進展でその機能は低下しているとは思われるものの、やはり残業が雇用安定のための調整弁になっていることは忘れてはならないと思います。割増率を100%くらいにすれば、あるいは残業から雇用への代替は高まるかもしれません。しかしそれは一方で残業によるフレキシビリティを大幅に低下させますから、それを維持するためには、残業から代替された雇用の多くは有期雇用などのいわゆる「不安定雇用」にならざるを得なくなる可能性が高いように思われます。
ではどうすればいいのか、については後日にゆずり、とりあえずここでは、問題は橘木氏のいうように「割増率を上げて、フリーターを雇用」といった単純なものではなさそうだということを書いておきたいと思います。
佐藤氏の発言はちょっとトーンが変わりますが、ある意味こんにちの日本社会における多くの女性の本音を代弁しているのでしょう。日本では依然として「男性は(働いて)家族を養うべし」との旧弊な性役割意識が強く(これは男性にとってもしんどい話だと思うのですが)、女性の育児・家事労働が軽視されやすく、男性が「稼ぐ」ことの苦労のほうが重視される傾向があるように思われます。「育児がどのくらい大変か、一度やってみろよ」というのは、情においてまことにもっともなものがあります。
ただし、こうした意見はつまるところ、育児労働はビジネスでの労働に比べてクリエイティブではない、やりがいのない仕事であるという意味になりかねないことには注意が必要でしょう。本当は、育児を経験するということは、その苦労とともにやりがいをも経験することであることが望ましいと思うのですが、なかなかそうキレイにはいかないのでしょうか。
もうひとつ、この意見から考えられるポイントとして、「育児のワーク・ライフ・バランス」といったものがあると思います。まぎらわしい表現ですが、ここでいう「ワーク」とは育児のことで、「ライフ」とはそれ以外の、余暇や趣味といったものを指します。生活全体でいえば、ワークは仕事+育児+家事など、ライフは余暇や趣味ということになるでしょうか。要するに、仕事と育児が両立できればそれでいいのか、といえば、おそらくそうではないのではないか。仕事と育児だけではなく、余暇や趣味なども両立(?)できなければ満足できず、結局は子どもを生まないのではないか・・・ということです。子育てをしている女性の「苦労」というのも、案外このあたりが大きいのではないでしょうか。だとすると、企業に対して「仕事と育児の両立」をひたすら求めればそれでいい、という単細胞な方法論は、さて仕事と育児は両立できますよ、ということに本当になったときに、「でも遊ぶ時間がほしいから子どもはいらない」ということになってしまうという落とし穴にハマりそうな予感がひしひしとするのですが。
で、とりあえず子育てする女性が「余暇や趣味」をも両立させるために一番安上がりで手っ取り早いのが「その間は夫が育児をする」ということですから、やはり「私の苦労もわかってよ」ということになるのはまことにもっともなことだろうと思います。ただ、第一歩はそれだとしても、それで家庭は満足できるのか・・・?つまるところ、安価で便利な子どものお預かりサービスをふんだんに供給することが必要になってくるでしょうが、さてそれは成り立つものかどうか・・・?