労働政策・考(3)時間外割増率

産労総研の「賃金事情」誌に連載している「労働政策・考」の第3回で、2007年10月5日号(No.2528)に掲載されました。以下に転載します。

 前国会では、労働契約法案および労働基準法最低賃金法の改正法案が継続審議となりました。今国会で審議されているものと思いますが、このうち労基法改正法案には、月間80時間を上回る時間外労働について割増賃金の割増率を現行の2割5分以上から5割以上に引き上げるとの内容がふくまれています。民主党の主張する一律5割以上への引き上げも議論されているかもしれません。
 さて、今回の議論は単なる労働条件の向上ではなく、「長時間労働の抑制」を目的としているようです。しかし、割増率引き上げの長時間労働抑制、時間外労働減少に対する効果については疑問視する意見もあります。
 たとえば、より大幅な引き上げが必要との意見があります。そもそも、割増率を引き上げることで時間外労働が減るというのは、使用者が高コストな時間外労働を嫌って、それを命じなくなるだろう、という考え方でしょう。使用者が労働者の行っている時間外労働に不急不要のものがあると考えたり、一定の効率化投資によって時間外労働を減らせると考えたりすれば、その分は時間外労働が減少することが期待できそうです。あるいは、繁忙に対して時間外労働ではなく、契約社員派遣社員の雇用を増やして対応しようと考える使用者もいるかもしれません。このとき、割増率が高ければ高いほど使用者に対して効率化投資や雇用増の誘因が強く働くことは想像に難くありません。
 とはいえ、将来的に景気の後退などで仕事量が減少する可能性があることを考慮すると、過剰設備や過剰負債につながりかねないような投資には慎重にならざるを得ないでしょうし、契約社員派遣社員も時間外労働を減らすのに較べると調整に時間がかかります。となると、割増率を相当高く設定しないと、効率化投資や雇用増には結びつかないということになるかもしれません。
 今回の改正法案については、中小企業団体などはコスト増につながるとして強く反対しているようですが、現実の影響は全員が毎月100時間残業しているという極端な例でも月例賃金が1〜2%増となる程度にすぎません。したがって、ほとんどの企業にとってはごく軽微な、ベースアップを少し抑制すれば吸収できてしまうくらいのコスト増にとどまるでしょう。したがって、効果としては「80時間」という数字に対する意識面でのものにとどまるかもしれません。
 それでは、割増率を十分に(これがどの程度なのかは不明ですが)高くすれば長時間労働は抑制されるのか、というと、これにも疑問があります。先般、ホワイトカラー・エグゼンプションの議論を通じてはからずも明らかになりましたが、働く人の多くが残業代の収入に期待しています。現実には多くの職種で働く人自身が時間外労働をある程度コントロールできることを考えると、一定額の残業代が得られれば満足だ、という人は割増率が上がれば時間外労働を減らすでしょうが、なるべくたくさん残業代をもらいたい、という人は割増率が上がればむしろ残業を増やすと思われるからです。割増率の引き上げは時間外労働に対するインセンティブを増やすということですし、中長期的に企業の負担できる人件費が一定であるとすれば長時間労働する人への分配を増やし、労働時間の短い人への分配を減らすということですから、普通に考えて、割増率は高くすればするほど時間外労働を増やす効果があるはずです(さらにいえば、割増率引き上げは契約社員派遣社員の雇用を増やす可能性が高いこともふくめ、最近流行の論調をまねれば「格差を拡大させる」効果があるという言い方もできそうです)。
 もちろん、割増率が大きく引き上げられれば、企業経営や労働市場にもかなりの影響が出ることも考慮する必要があります。長時間労働の抑制には、割増率の操作より、労働安全衛生法に定められているような労働時間そのものを規制して健康確保措置を行わせるようなアプローチがふさわしいのではないかと思われます。