中村圭介・連合総研編『衰退か再生か:労働組合活性化への道』

衰退か再生か:労働組合活性化への道

衰退か再生か:労働組合活性化への道

連合総研が約2年間にわたって取り組んだ「労働組合の現代的課題に関する調査研究委員会」の成果にもとづいて編集されたものということで、当代一流の労働研究者によるわが国労働運動の現状の分析と、それにもとづく「労組再生」への提言が述べられています。第2章から第8章までの分析はいずれも興味深いものです。
それにもかかわらず、この本で述べられた処方箋では、残念ながら労組の再生は望み薄なのではないか、というのが私の率直な感想です。


一流の研究者と、本気で労働運動に取り組んでいる活動家たちが真剣に検討した結論に対して、私のような部外者があれこれいうのは失礼このうえないことだろうと思いますが、あくまで一個人の感想ということで書かせていただきます。
当たり前のことですが労使関係というのは労働者と使用者の関係です。労働運動も、使用者の存在なくしてはありえません。ところが、昨今の連合主導による労組再生論議、この本の研究会や「連合評価委員会」の議論などは、すべて一貫して「労組」の立場からの検討となっています。もちろん、労組再生の議論ですから、労組が自ら、独自に行うべきというのは当然だと思います。しかし、くどいようですが労使関係が労働者と使用者の関係である以上、労組のカウンターパートである使用者のまなざし、意識を全く無視した議論ははたして現実的でしょうか。ところが、これらの検討にあたって、経営者や経済団体など、使用者の意見に目を向け、耳を傾けた気配はまったくと言っていいほど感じられません。こうした一方的な検討から導かれた処方箋が効果を持つかどうかはいささか疑わしいように思われます。
やや極端な見方をすれば、これらの検討は「労働者にとって使用者は敵であり、闘争の対象」といった古典的な労資関係観のドグマにとらわれすぎているように感じます。もちろん、労使間には一定の距離感と緊張関係が維持されるべきことは当然ですし、使用者といっても多様であり、労使関係に配慮を欠いた前近代的な経営者もいるでしょうから、「敵・闘争」という観点も必要ではあるでしょう。しかし生産性運動が50周年を迎え、これほど大きな成果をあげたこの時代に、旧来のドグマに全面的に執着することにどれほどの意味があるのでしょうか。
同じように、「労働組合は常に弱者の味方でなければならない」とのドグマも、執着しすぎると戦略的観点を欠くことになるのではないでしょうか。もちろん、労働組合は使用者にくらべてはるかに弱い立場にある労働者が、団結することで対等な関係を実現しようとするものですから、「労組は弱者の味方」はその限りではまったくそのとおりでしょう。ただ、それが「最も弱い立場におかれたパートタイマー、派遣社員などになにより目を向け、優先しなければならない」という発想に固定されているとしたら、作戦としてはうまくないのではないでしょうか(もちろん、作戦より教条が重要だという判断なのかもしれませんが)。現実には、組織率はたしかに非典型のほうがかなり低いにしても、未組織労働者の人数は正社員のほうが多いわけですし、また、生産性運動をやるにしても、争議行為を行うにしても、使用者により「ひびく」のは正社員のほうでしょう。議論のあるところでしょうが、労組が活性化し、影響力を高め、再生していくには、正社員・非正社員をあわせて組織化していくことが効果的なように思われます。
「原点に立ち返る」ことは多くの場合重要ですが、あまりに硬直するのも考え物なのではないかと思います。使用者の観点を踏まえ、それを戦略的に活用した「労組再生」の検討も必要ではないかと思うのですが、どんなものなのでしょうか。